「天保山町 (鹿児島市)」の版間の差分
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'''天保山町'''(てんぽざんちょう<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/toshikeikaku/tochiriyou/images.html|title=鹿児島市の町名|publisher=鹿児島市|accessdate=2020-11-02}}</ref>)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]の[[町丁|町]]{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=445}}。旧[[鹿児島郡]][[西武田村]][[武 (鹿児島市)|大字武]]の一部(飛地)。[[郵便番号]]は890-0061<ref>{{cite web|url=https://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=46&city=1462010&id=158038|title=鹿児島県鹿児島市天保山町の郵便番号|publisher=日本郵便|accessdate=2020-11-08}}</ref>。人口は2,098人、世帯数は1,056世帯(2020年4月1日現在)<ref>{{Cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/soumu/soumu/soumu/shise/toke-02/jinko/h2704age5.html|title=年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)|date=2020-04-01|accessdate=2020-05-08|publisher=鹿児島市}}</ref>。[[1973年]](昭和48年)より天保山町の全域で[[住居表示]]を実施している{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=742}}<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kensetu/toshikeikaku/tochiriyou/machizukuri/tochi/hyoji/documents/jissikuikiitirann0223.pdf|title=住居表示実施区域町名一覧表|date=2020-02-03|accessdate=2020-06-28|publisher=鹿児島市}}</ref>。 |
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[[File:Monument of Kagoshima Commercial High School.jpg|thumb|[[鹿児島市立鹿児島商業高等学校]]跡地]] |
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'''天保山町'''(てんぽざんちょう Tenpozan-Chō)は、[[鹿児島県]][[鹿児島市]]の[[町丁|町名]]。旧[[鹿児島郡]][[西武田村]]'''大字武'''の一部(飛地)。[[郵便番号]]は890-0061。人口は2,098人、世帯数は1,056世帯(2020年4月1日現在)<ref>{{Cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/soumu/soumu/soumu/shise/toke-02/jinko/h2704age5.html|title=年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)|date=2020-04-01|accessdate=2020-05-08|publisher=鹿児島市}}</ref>。天保山町の全域で[[住居表示]]を実施している。 |
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[[江戸時代]]の[[天保]]年間に[[甲突川]]の浚渫土砂によって埋立てられ造成された土地である{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=368}}{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=170}}。[[1863年]]([[文久]]3年)に[[鹿児島湾]]において[[薩摩藩]]と[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]](イギリス)との間で勃発した[[薩英戦争]]は薩摩藩が天保山に設置した[[砲台]]からイギリス艦隊に対して砲撃を行ったのをきっかけに戦闘が開始された{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=397}}。 |
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「天保山」という地名は[[天保]]年間に[[甲突川]]をさらい、その砂を揚げた地であることに由来している<ref name="kadokawac">『[[角川日本地名大辞典]] 46 鹿児島県』角川書店 p.689</ref>。 |
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== 地理 == |
== 地理 == |
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鹿児島市中部、[[甲突川]]河口部に位置し、東側は[[鹿児島湾]](錦江湾)に面している。町域の北方は甲突川を境として[[錦江町 (鹿児島市)|錦江町]]、南方は[[与次郎]]、西方は[[国道225号]]を境として[[下荒田]]に接している。 |
鹿児島市中部、[[甲突川]]河口部に位置し、東側は[[鹿児島湾]](錦江湾)に面している。町域の北方は甲突川を境として[[錦江町 (鹿児島市)|錦江町]]、南方は[[与次郎]]、西方は[[国道225号]]を境として[[下荒田]]に接している。 |
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町域の北西端には[[鹿児島市消防局]]中央消防署や鹿児島市産業政策課分庁舎が設置されている。 |
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1935年から2006年までは町域内には[[NHK鹿児島放送局]]の局舎があったが、2006年に[[本港新町]]に移転した。 |
1935年から2006年までは町域内には[[NHK鹿児島放送局]]の局舎があったが、2006年に[[本港新町]]に移転した。 |
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=== 地名の由来 === |
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「天保山」という地名は[[天保]]年間に[[甲突川]]をさらい、その砂を揚げた地であることに由来している{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=689}}。 |
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== 歴史 == |
== 歴史 == |
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=== 天保山の成立と薩英戦争 === |
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天保山には[[島津斉興]]によって砲台が備えつけられ、後に[[島津斉彬]]によって改修された。[[1863年]]天保山に備えられた11門の砲台からイギリス艦隊に対して砲撃を行ったのが[[薩英戦争]]の始まりになった<ref>{{citation|url=http://www.kagoshima-kankou.com/industrial-heritage/52629/|title=薩英戦争で先陣を切って砲撃した天保山砲台|publisher=鹿児島県観光サイト かごしまの旅}}</ref><ref>{{citation|和書|url=http://www.meijiishin150countdown.com/cust-map/244/|title=天保山砲台跡|publisher=鹿児島市明治維新 150 年カウントダウン事業}}</ref>。 |
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[[ファイル:Bombing_of_Kagoshima_Map_-_1863.PNG|thumb|当時の新聞による薩英戦争の戦況図。図左下の'''BATTERY POINT'''は天保山砲台のことを指す。]] |
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天保山は名前の通り、[[天保]]年間に天保の改革の一環として[[甲突川]]の浚渫土砂によって埋立てられ造成された土地である{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=368}}{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=384}}{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=170}}。 |
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のちに[[島津斉興]]によって洋式砲術調練場が天保山に設置され{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=170}}、砲台や防弾火薬庫が整備されのちに[[島津斉彬]]によって改修された{{Sfn|芳即正|五味克夫|1998|p=170}}。 |
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[[1911年]](明治44年)に[[西武田村]]の大字武(現在の[[武 (鹿児島市)|武]])の一部(飛地)より分割、それと同時に天保山の区域が鹿児島市に編入され鹿児島市の町名「'''天保山町'''」となった。[[1973年]](昭和48年)には町域の一部を[[下荒田]]一丁目から四丁目に分割した。 |
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[[1862年]](文久2年)[[9月14日 (旧暦)|9月14日]]、[[武蔵国]][[橘樹郡]][[生麦|生麦村]](現在の[[神奈川県]][[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]][[生麦]])において[[薩摩藩]]の国父[[島津久光]]の行列に乱入した騎馬の[[イギリス人]]を薩摩藩士が[[無礼討ち]]した事件([[生麦事件]])に端を発して、[[1863年]](文久3年)[[7月2日 (旧暦)|7月2日]]、薩摩藩に対して交渉を行うため[[鹿児島湾]]に7隻のイギリスの艦隊が派遣された。イギリス側が薩摩の汽船3隻を掠奪したことに激発した薩摩藩は天保山に設置されていた11門の砲台からイギリスの艦隊に対して砲撃を行った。これがきっかけとなり、[[薩摩藩]]と[[グレートブリテン及びアイルランド連合王国]](イギリス)との間で[[薩英戦争]]と呼ばれる戦闘が始まった{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1969|p=397}}<ref>{{cite web|url=http://www.kagoshima-kankou.com/industrial-heritage/52629/|title=薩英戦争で先陣を切って砲撃した天保山砲台|publisher=鹿児島県観光サイト かごしまの旅|accessdate=2020-11-08}}</ref>。 |
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{{See also|生麦事件|薩英戦争}} |
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=== 明治初期から天保山町の設置まで === |
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明治時代初期には天保山は[[鹿児島郡]]鹿児島近在武村及び荒田村の飛地となっており、[[1889年]](明治22年)の町村制施行によって[[鹿児島郡]][[西武田村]][[武 (鹿児島市)|大字武]]の一部となった。 |
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鹿児島市が編纂した「鹿児島のおいたち」によれば天保山について以下のとおり記述している{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=401}}。 |
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{{Quote|当時の天保山は旧砂揚場ともいわれ、堀できりはなされ、西側半分は古田浜等の塩田であった。・・・天保山一帯や現在の甲南中学校附近一帯は、市の区域に挟まれながら、当時西武田村の飛び地であった|鹿児島のおいたち}} |
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[[1911年]](明治44年)に[[鹿児島郡]][[西武田村]]の大字武(現在の[[武 (鹿児島市)|武]])のうち飛地となっていた天保山の区域を鹿児島市に編入した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=783}}。 |
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=== 天保山町の設置以降 === |
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[[ファイル:NHKkagoold.jpg|thumb|かつて天保山町に設置されていた[[NHK鹿児島放送局]]。現在は[[本港新町]]に移転している。]] |
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[[1934年]](昭和9年)2月に[[下荒田|下荒田町]]に属していた天保山の区域が分割され鹿児島市の町「'''天保山町'''」として設置された{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=783}}。但し、町として設置された時期については「[[角川日本地名大辞典]]」においては、[[1911年]](明治44年)に天保山の区域が鹿児島市に編入された際に「天保山町」が設置されたと記述されている{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=445}}。 |
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[[1934年]](昭和9年)に失業救済事業として行われていた鹿児島湾の天保山護岸工事が2年の月日を費やして完成した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=757}}。[[1935年]](昭和10年)には[[日本放送協会]]の[[NHK鹿児島放送局|鹿児島放送局]]の局舎が天保山に設置されることが決定し、局舎の建設に着手、同年[[10月26日]]にラジオ放送を開始した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=1113}}。また同年までに天保山にあった池沼が埋立てられた{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=757}}。[[1935年]](昭和10年)には洲崎町(現在の[[錦江町 (鹿児島市)|錦江町]]など)との間に天保山橋が開通し{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=762}}、[[1967年]](昭和42年)には天保山大橋が開通した{{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=763}}。 |
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[[1973年]](昭和48年)[[12月3日]]には下荒田・天保山地区において[[住居表示]]が実施されるのに伴い町域の再編が行われた。天保山町、鴨池町(現在の[[鴨池]])の一部及び下荒田町の全域より、[[下荒田]]一丁目から下荒田四丁目までが設置された{{Sfn|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983|p=445}}<ref>{{cite web|url=http://kagoshima-hiroba.jp/wp/oldpdf/s48/s48_12_01.pdf|title=かごしま市民のひろば|date=1973-12|accessdate=2020-11-08|format=pdf}}</ref>。また同時に天保山町の全域で住居表示が実施された{{Sfn|南日本新聞|1990|p=778}}。 |
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[[第二次世界大戦]]終戦後から戦災復興地区として土地区画整理事業が天保山地区で行われていたが、[[1981年]](昭和56年)までに完了した{{Sfn|南日本新聞|1990|p=772}}。[[1984年]](昭和59年)には[[鹿児島市消防局]]中央消防署が天保山町に庁舎を新築移転した{{Sfn|南日本新聞|1990|p=812}}。 |
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[[2006年]](平成18年)には、[[1935年]](昭和10年)の開局以来天保山に設置されていた[[日本放送協会]][[NHK鹿児島放送局|鹿児島放送局]]が[[本港新町]]に新築移転した{{Sfn|南日本新聞|2015|p=1068}}。 |
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=== 町域の変遷 === |
=== 町域の変遷 === |
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!実施前 |
!実施前 |
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|- |
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| |
|天保山町(新設) |
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|[[1934年]](昭和9年){{Sfn|鹿児島市史編さん委員会|1970|p=783}} |
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|[[1911年]]([[明治]]44年) |
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| |
|下荒田町(一部) |
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|- |
|- |
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|下荒田一丁目から下荒田四丁目 |
|下荒田一丁目から下荒田四丁目 |
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|[[1973年]]([[昭和]]48年) |
|[[1973年]]([[昭和]]48年) |
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|天保山町の一部 |
|天保山町の一部 |
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|} |
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== 文化財 == |
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=== 市指定 === |
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* 天保山砲台跡(史跡)<ref name="city-history-list">{{cite web|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/kyoiku/kanri/bunkazai/bunka/bunka/bunkazai/documents/siteiitiran.pdf|title=鹿児島市内の指定文化財等一覧表|publisher=鹿児島市|date=2020-04-01|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
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*: [[1974年]](昭和49年)[[3月15日]]指定<ref name="city-history-list"/>。薩摩藩によって整備された[[砲台]]であり、前述の通り[[薩英戦争]]ではイギリス艦隊に対して砲撃を行った<ref>{{cite web|url=https://www.kagoshima-kankou.com/s/industrial-heritage/52629/|title=天保山砲台跡|publisher=鹿児島県観光サイト|accessdate=2020-11-08}}</ref>。 |
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== 人口 == |
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以下の表は[[国勢調査]]による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。 |
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!colspan="2"|統計年 |
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!colspan="2"|人口 |
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|[[1995年]](平成7年) |
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|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000023630600|title=国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
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|style="text-align:right;"|1,002 |
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|<div style="width:100.2px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|[[2000年]](平成12年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025138246|title=国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
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|style="text-align:right;"|1,305 |
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|<div style="width:130.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|[[2005年]](平成17年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000025514538|title=国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|1,755 |
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|<div style="width:175.5px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|- |
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|[[2010年]](平成22年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000012671630|title=国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|1,979 |
|||
|<div style="width:197.9px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
|||
|- |
|||
|[[2015年]](平成27年) |
|||
|<ref>{{cite web|url=https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?&stat_infid=000031522312|title=国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県|publisher=総務省統計局|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
|||
|style="text-align:right;"|2,122 |
|||
|<div style="width:212.2px;height:10px;background:#9999ff"></div> |
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|} |
|} |
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== 施設 == |
== 施設 == |
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=== 公共 === |
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*[[鹿児島市消防局]]中央消防署 |
* [[鹿児島市消防局]]中央消防署<ref>{{cite web|url=http://www.city.kagoshima.lg.jp/shobo/chuou-fd/index.html|title=消防局 中央消防署|publisher=鹿児島市|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
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* 鹿児島市産業政策課分庁舎 |
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*天保山公園 |
|||
** 計量検査所<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/kei-seisaku/index.html|title=産業局 産業振興部 産業政策課|publisher=鹿児島市|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
|||
*[[共月亭]] |
|||
** 公益社団法人鹿児島市シルバー人材センター{{Sfn|南日本新聞|2015|p=416}}<ref>{{cite web|url=https://www.city.kagoshima.lg.jp/koyosuishin/shisetsu/kosha/007.html|title=公益社団法人鹿児島市シルバー人材センター|publisher=鹿児島市|accessdate=2020-11-08}}</ref> |
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;医療機関 |
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* 天保山公園 |
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*JA鹿児島厚生連病院 |
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** [[共月亭]] |
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;寺社 |
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=== 寺社 === |
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*西大宣寺 |
*西大宣寺 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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{{Reflist}} |
{{Reflist|2}} |
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== 参考文献 == |
|||
*{{Cite book|和書 |
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|author = 鹿児島市史編さん委員会 |
|||
|year = 1969 |
|||
|title = 鹿児島市史 第一巻 |
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|publisher = 鹿児島市 |
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|isbn = |
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|url = http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-04.html |
|||
|ref = {{SfnRef|鹿児島市史編さん委員会|1969}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = 鹿児島市史編さん委員会 |
|||
|year = 1970 |
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|title = 鹿児島市史 第二巻 |
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|publisher = 鹿児島市長 [[末吉利雄]] |
|||
|url = http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima-03.html |
|||
|ref = {{SfnRef|鹿児島市史編さん委員会|1970}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = [[南日本新聞]] |
|||
|year = 1990 |
|||
|title = 鹿児島市史 第四巻 |
|||
|publisher = 鹿児島市長 [[赤崎義則]] |
|||
|ref = {{SfnRef|南日本新聞|1990}} |
|||
|url = http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/shishi/kagoshima.html |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = [[南日本新聞]] |
|||
|year = 2015 |
|||
|title = 鹿児島市史 第五巻 |
|||
|publisher = 鹿児島市長 [[森博幸 (政治家)|森博幸]] |
|||
|ref = {{SfnRef|南日本新聞|2015}} |
|||
|url = http://www.city.kagoshima.lg.jp/kikakuzaisei/kikaku/seisaku-s/shise/shokai/kagoshima-05.html |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author = 角川日本地名大辞典編纂委員会 |
|||
|year = 1983 |
|||
|title = [[角川日本地名大辞典]] 46 鹿児島県 |
|||
|publisher = [[角川書店]] |
|||
|isbn = 978-4040014609 |
|||
|ref={{SfnRef|角川日本地名大辞典編纂委員会|1983}} |
|||
}} |
|||
*{{Cite book|和書 |
|||
|author1 = [[芳即正]] |
|||
|author2 = [[五味克夫]] |
|||
|year = 1998 |
|||
|title = [[日本歴史地名大系]]47巻 鹿児島県の地名 |
|||
|publisher = [[平凡社]] |
|||
|isbn = 978-4582910544 |
|||
|ref={{SfnRef|芳即正|五味克夫|1998}} |
|||
}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[鹿児島市]] |
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* [[天保山町 (今治市)]] - 愛媛県今治市の町名。同じく「天保期に山のようにみえる構造物が建築されたこと」を由来とする。 |
* [[天保山町 (今治市)]] - 愛媛県今治市の町名。同じく「天保期に山のようにみえる構造物が建築されたこと」を由来とする。 |
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* [[天保山]] - 大阪市の山。同じく「天保期に成立した築山」を由来とする。 |
* [[天保山]] - 大阪市の山。同じく「天保期に成立した築山」を由来とする。 |
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* [[飛地]] |
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{{Geographic Location |
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{{ウィキ座標2段度分秒|31|34|22|N|130|33|40.4|E|region:JP|display=title}} |
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|Centre = 天保山町 |
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|North = [[錦江町 (鹿児島市)|錦江町]] |
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|East = [[与次郎|与次郎一丁目]] |
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|Southeast = [[与次郎|与次郎一丁目]] |
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|Southwest = [[下荒田|下荒田四丁目]] |
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|Northwest = [[錦江町 (鹿児島市)|錦江町]] |
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|image = |
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}} |
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{{鹿児島市の町丁}} |
{{鹿児島市の町丁}} |
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{{DEFAULTSORT:てんほさんちよう}} |
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{{Pref-stub|pref=鹿児島県}} |
|||
{{Japan-block-stub}} |
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{{DEFAULTSORT:てんほうさんちよう}} |
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[[Category:鹿児島市の町丁]] |
[[Category:鹿児島市の町丁]] |
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[[Category: |
[[Category:1934年制定の町・字]] |
2020年11月25日 (水) 15:10時点における版
天保山町 | |
---|---|
天保山公園内にある共月亭 | |
北緯31度34分22秒 東経130度33分40.4秒 / 北緯31.57278度 東経130.561222度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 鹿児島県 |
市町村 | 鹿児島市 |
地域 | 中央地域 |
地区 | 鴨池地区 |
人口 (2020年(令和2年)4月1日現在) | |
• 合計 | 2,098人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
890-0061 |
天保山町(てんぽざんちょう[1])は、鹿児島県鹿児島市の町[2]。旧鹿児島郡西武田村大字武の一部(飛地)。郵便番号は890-0061[3]。人口は2,098人、世帯数は1,056世帯(2020年4月1日現在)[4]。1973年(昭和48年)より天保山町の全域で住居表示を実施している[5][6]。
江戸時代の天保年間に甲突川の浚渫土砂によって埋立てられ造成された土地である[7][8]。1863年(文久3年)に鹿児島湾において薩摩藩とグレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス)との間で勃発した薩英戦争は薩摩藩が天保山に設置した砲台からイギリス艦隊に対して砲撃を行ったのをきっかけに戦闘が開始された[9]。
地理
鹿児島市中部、甲突川河口部に位置し、東側は鹿児島湾(錦江湾)に面している。町域の北方は甲突川を境として錦江町、南方は与次郎、西方は国道225号を境として下荒田に接している。
町域の北西端には鹿児島市消防局中央消防署や鹿児島市産業政策課分庁舎が設置されている。
1935年から2006年までは町域内にはNHK鹿児島放送局の局舎があったが、2006年に本港新町に移転した。
地名の由来
「天保山」という地名は天保年間に甲突川をさらい、その砂を揚げた地であることに由来している[10]。
歴史
天保山の成立と薩英戦争
天保山は名前の通り、天保年間に天保の改革の一環として甲突川の浚渫土砂によって埋立てられ造成された土地である[7][11][8]。
のちに島津斉興によって洋式砲術調練場が天保山に設置され[8]、砲台や防弾火薬庫が整備されのちに島津斉彬によって改修された[8]。
1862年(文久2年)9月14日、武蔵国橘樹郡生麦村(現在の神奈川県横浜市鶴見区生麦)において薩摩藩の国父島津久光の行列に乱入した騎馬のイギリス人を薩摩藩士が無礼討ちした事件(生麦事件)に端を発して、1863年(文久3年)7月2日、薩摩藩に対して交渉を行うため鹿児島湾に7隻のイギリスの艦隊が派遣された。イギリス側が薩摩の汽船3隻を掠奪したことに激発した薩摩藩は天保山に設置されていた11門の砲台からイギリスの艦隊に対して砲撃を行った。これがきっかけとなり、薩摩藩とグレートブリテン及びアイルランド連合王国(イギリス)との間で薩英戦争と呼ばれる戦闘が始まった[9][12]。
明治初期から天保山町の設置まで
明治時代初期には天保山は鹿児島郡鹿児島近在武村及び荒田村の飛地となっており、1889年(明治22年)の町村制施行によって鹿児島郡西武田村大字武の一部となった。
鹿児島市が編纂した「鹿児島のおいたち」によれば天保山について以下のとおり記述している[13]。
当時の天保山は旧砂揚場ともいわれ、堀できりはなされ、西側半分は古田浜等の塩田であった。・・・天保山一帯や現在の甲南中学校附近一帯は、市の区域に挟まれながら、当時西武田村の飛び地であった—鹿児島のおいたち
1911年(明治44年)に鹿児島郡西武田村の大字武(現在の武)のうち飛地となっていた天保山の区域を鹿児島市に編入した[14]。
天保山町の設置以降
1934年(昭和9年)2月に下荒田町に属していた天保山の区域が分割され鹿児島市の町「天保山町」として設置された[14]。但し、町として設置された時期については「角川日本地名大辞典」においては、1911年(明治44年)に天保山の区域が鹿児島市に編入された際に「天保山町」が設置されたと記述されている[2]。
1934年(昭和9年)に失業救済事業として行われていた鹿児島湾の天保山護岸工事が2年の月日を費やして完成した[15]。1935年(昭和10年)には日本放送協会の鹿児島放送局の局舎が天保山に設置されることが決定し、局舎の建設に着手、同年10月26日にラジオ放送を開始した[16]。また同年までに天保山にあった池沼が埋立てられた[15]。1935年(昭和10年)には洲崎町(現在の錦江町など)との間に天保山橋が開通し[17]、1967年(昭和42年)には天保山大橋が開通した[18]。
1973年(昭和48年)12月3日には下荒田・天保山地区において住居表示が実施されるのに伴い町域の再編が行われた。天保山町、鴨池町(現在の鴨池)の一部及び下荒田町の全域より、下荒田一丁目から下荒田四丁目までが設置された[2][19]。また同時に天保山町の全域で住居表示が実施された[20]。
第二次世界大戦終戦後から戦災復興地区として土地区画整理事業が天保山地区で行われていたが、1981年(昭和56年)までに完了した[21]。1984年(昭和59年)には鹿児島市消防局中央消防署が天保山町に庁舎を新築移転した[22]。
2006年(平成18年)には、1935年(昭和10年)の開局以来天保山に設置されていた日本放送協会鹿児島放送局が本港新町に新築移転した[23]。
町域の変遷
実施後 | 実施年 | 実施前 |
---|---|---|
天保山町(新設) | 1934年(昭和9年)[14] | 下荒田町(一部) |
下荒田一丁目から下荒田四丁目 | 1973年(昭和48年) | 天保山町の一部 |
文化財
市指定
人口
以下の表は国勢調査による小地域集計が開始された1995年以降の人口の推移である。
統計年 | 人口 | ||
---|---|---|---|
1995年(平成7年) | [26] | 1,002 | |
2000年(平成12年) | [27] | 1,305 | |
2005年(平成17年) | [28] | 1,755 | |
2010年(平成22年) | [29] | 1,979 | |
2015年(平成27年) | [30] | 2,122 |
施設
公共
寺社
- 西大宣寺
小・中学校の学区
市立小・中学校の学区(校区)は以下の通りである[35]。
町・町 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
天保山町 | 全域 | 鹿児島市立八幡小学校 | 鹿児島市立天保山中学校 |
脚注
- ^ “鹿児島市の町名”. 鹿児島市. 2020年11月2日閲覧。
- ^ a b c 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 445.
- ^ “鹿児島県鹿児島市天保山町の郵便番号”. 日本郵便. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “年齢(5歳階級)別・町丁別住民基本台帳人口(平成27~令和2年度)”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年5月8日閲覧。
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 742.
- ^ “住居表示実施区域町名一覧表”. 鹿児島市 (2020年2月3日). 2020年6月28日閲覧。
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 368.
- ^ a b c d 芳即正 & 五味克夫 1998, p. 170.
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 397.
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 1983, p. 689.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1969, p. 384.
- ^ “薩英戦争で先陣を切って砲撃した天保山砲台”. 鹿児島県観光サイト かごしまの旅. 2020年11月8日閲覧。
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 401.
- ^ a b c 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 783.
- ^ a b 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 757.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 1113.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 762.
- ^ 鹿児島市史編さん委員会 1970, p. 763.
- ^ “かごしま市民のひろば” (pdf) (1973年12月). 2020年11月8日閲覧。
- ^ 南日本新聞 1990, p. 778.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 772.
- ^ 南日本新聞 1990, p. 812.
- ^ 南日本新聞 2015, p. 1068.
- ^ a b “鹿児島市内の指定文化財等一覧表”. 鹿児島市 (2020年4月1日). 2020年11月8日閲覧。
- ^ “天保山砲台跡”. 鹿児島県観光サイト. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成7年国勢調査 小地域集計 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成12年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成17年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成22年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “国勢調査 / 平成27年国勢調査 / 小地域集計 46鹿児島県”. 総務省統計局. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “消防局 中央消防署”. 鹿児島市. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “産業局 産業振興部 産業政策課”. 鹿児島市. 2020年11月8日閲覧。
- ^ 南日本新聞 2015, p. 416.
- ^ “公益社団法人鹿児島市シルバー人材センター”. 鹿児島市. 2020年11月8日閲覧。
- ^ “小・中学校の校区(学区)表”. 鹿児島市役所. 2020年9月26日閲覧。
参考文献
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第一巻』鹿児島市、1969年 。
- 鹿児島市史編さん委員会『鹿児島市史 第二巻』鹿児島市長 末吉利雄、1970年 。
- 南日本新聞『鹿児島市史 第四巻』鹿児島市長 赤崎義則、1990年 。
- 南日本新聞『鹿児島市史 第五巻』鹿児島市長 森博幸、2015年 。
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 46 鹿児島県』角川書店、1983年。ISBN 978-4040014609。
- 芳即正、五味克夫『日本歴史地名大系47巻 鹿児島県の地名』平凡社、1998年。ISBN 978-4582910544。
関連項目
- 天保山町 (今治市) - 愛媛県今治市の町名。同じく「天保期に山のようにみえる構造物が建築されたこと」を由来とする。
- 天保山 - 大阪市の山。同じく「天保期に成立した築山」を由来とする。
- 飛地
錦江町 | 錦江町 | 錦江町 | ||
下荒田一丁目・下荒田二丁目 | 与次郎一丁目 | |||
天保山町 | ||||
下荒田四丁目 | 与次郎一丁目 | 与次郎一丁目 |