コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「国防部参謀本部軍事情報局」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
6行目: 6行目:
==歴史==
==歴史==
===特務処時代===
===特務処時代===
中華民国の軍統系情報機関の歴史は、[[北伐 (中国国民党)|北伐]]時代に始まる。1928年、[[国民革命軍]]総司令[[介石]]は、総司令部内に'''密査組'''を設立した。[[戴笠]]が同組の主持を担当し、北伐前線の[[ミリタリー・インテリジェンス|軍事情報]]の調查収集を担当した。
中華民国の軍統系情報機関の歴史は、[[北伐 (中国国民党)|北伐]]時代に始まる。1928年、[[国民革命軍]]総司令[[介石]]は、総司令部内に'''密査組'''を設立した。[[戴笠]]が同組の主持を担当し、北伐前線の[[ミリタリー・インテリジェンス|軍事情報]]の調查収集を担当した。


1931年に[[満州事変]]、1932年には[[第1次上海事変]]が起こった。1932年3月、国民政府軍事委員長介石は、高級軍事会議を招集し、情報網を組織し、調査資料を収集し、国內外情勢を研究して、外敵を防ぎ、国家安定の参考にすることを決議した。同年4月1日、'''特務処'''が設置された。同年9月、軍事委員会に調査統計局が設置され、特務処は第二処に改称されて同局の管轄下に入った。
1931年に[[満州事変]]、1932年には[[第1次上海事変]]が起こった。1932年3月、国民政府軍事委員長介石は、高級軍事会議を招集し、情報網を組織し、調査資料を収集し、国內外情勢を研究して、外敵を防ぎ、国家安定の参考にすることを決議した。同年4月1日、'''特務処'''が設置された。同年9月、軍事委員会に調査統計局が設置され、特務処は第二処に改称されて同局の管轄下に入った。


===軍統局時代===
===軍統局時代===

2020年9月15日 (火) 14:10時点における版

中華民国国防部軍事情報局(略称:軍情局、英語:Military Intelligence Bureau;略称:MIB)とは、中華民国国防部の軍事情報機関。

日中戦争時代は、軍事委員会調査統計局と呼ばれ、略して軍統として知られた。

歴史

特務処時代

中華民国の軍統系情報機関の歴史は、北伐時代に始まる。1928年、国民革命軍総司令蔣介石は、総司令部内に密査組を設立した。戴笠が同組の主持を担当し、北伐前線の軍事情報の調查収集を担当した。

1931年に満州事変、1932年には第1次上海事変が起こった。1932年3月、国民政府軍事委員長蔣介石は、高級軍事会議を招集し、情報網を組織し、調査資料を収集し、国內外情勢を研究して、外敵を防ぎ、国家安定の参考にすることを決議した。同年4月1日、特務処が設置された。同年9月、軍事委員会に調査統計局が設置され、特務処は第二処に改称されて同局の管轄下に入った。

軍統局時代

1937年、日中戦争が勃発し、情報工作が日増しに重要となったため、特務処は軍事委員会調査統計局軍統)に拡大された。局長は軍委高級長官が兼任し、副局長は戴笠が務め実務を担当した。

保密局時代

終戦後の1946年5月、国民党政府は南京に復帰し、軍事委員会が廃止され、国防部が成立した。同年8月、軍統局は国防部保密局に改編され、保全・防諜工作を担当した。

1950年6月、保密局が正式に編成された。台北士林芝山岩に局本部を設置し、国内保安工作と情報収集を担当した。

情報局時代

1955年、情報機関の改革が行われ、保密局は国防部情報局に改編された。防諜・捜査等の業務は、司法行政部調査局に移管され、情報局は、事後、戦略情報の収集・分析を任務とすることとなった。

現在

1985年7月1日、情報局と国防部特種情報室の統合により軍事情報局設立。軍事情報局は、国防部参謀本部に隷属し、参謀総長の指揮を受ける。

機構

本部は、台北市用陽山の麓の芝山に位置し、芝山荘と俗称される。情報学校は、新荘又は山竹営区と俗称される。その外、菁山荘、渓園営区、精誠営区等と称される単位が存在する。

  • 第一処:総体情報作戦計画の企画
  • 第二処:情報分析と指導
  • 第三処:海外基地の発展・人事・作為・指導等
  • 第四処:敵後方情報の発展と派遣
  • 第五処;敵後方武力の組織と派遣
  • 第六処:心理戦防護と謀略
  • 電子作戦処:電波諜報通信傍受暗号解読
  • 交通中心:海外基地との連絡
  • 情報研究室:技術情報の分析

選抜・訓練

軍事情報局の情報要員は、情報専科班を通して招聘した者の外、各軍の現役将校中から本人の同意を得て選抜を実施する。現役将校から成る間諜培訓班は、通常、毎年1回開班され、120人前後が採用される。情報専科班は最初に9週の基本訓練を受け、現役将校は直接、情報学校で13週の情報教育を受ける。教育科目は、爆破、射撃、撮影、無線、暗号等を含む。

その外、陸軍谷關特種作戦基地でサバイバル訓練を受け、屏東傘兵訓練基地で3回以上のパラシュート降下を行う。また、海軍陸戦隊の蛙人基地で水中特殊訓練を受け、特勤隊で各種小火器の射撃に習熟する。

最終的に学生は、海外旅行を利用した「境外総合考査」を通して総合情報収集能力を試験され、合格者が情報業務に採用される。教育期間中、学生の氏名は完全に秘匿され、情報系統からの離脱後も、3年間は出国、帰郷が制限される。

活動

軍事情報局は、六大計画(夏陽、黎明、先基、晨曦、春風、復華)に従い、中国大陸で軍事情報の収集を行っている。

夏陽計画とは、大陸の政治・軍事・経済・科学技術等9項目の戦略情報の収集を指す。特に、北京天津瀋陽南京、蕪湖、逐渓、湛江等、20の大都市が優先目標とされている。

黎明計画とは、中台衝突発生時に台湾の特殊部隊に攻撃目標の情報を提供することを指す。舟山汕頭廈門を含む大陸東南部沿岸の9ヶ所を目標としている。

先基計画とは、大陸沿岸部のミサイル基地、レーダー・サイト、指揮センター、通信拠点、軍港及び飛行場の6種の軍事施設を目標とし、警戒性軍事情報の収集を行うことを指す。

晨曦計画とは、中台衝突発生時に大陸に潜伏させた情報組織に爆破、投毒、暗殺等の破壊工作を実行させることを指す。

春風計画とは、中国共産党員、人民解放軍軍人、宗教活動家、少数民族の体制からの離反を企図している。

復華計画とは、軍事情報局が採用・訓練・派遣した情報要員に諜報活動を行わせることを指す。

1949年以降、3千人以上の軍事情報局員が殉職したという。

歴代局長

脚注

出典

参考文献

関連項目

外部リンク