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== 中華民国統治時代 ==
== 中華民国統治時代 ==
=== 南京国民政府 ===
=== 南京国民政府 ===
{{see|中華民国|介石政権}}
{{see|中華民国|介石政権}}
* [[1945年]]:[[中華民国の歴史#南京国民政府期(1928~1949)|中華民国(南京国民政府)]]・[[中華民国軍|国民政府軍]]が[[台湾]]に上陸。台湾を統治する機関・[[台湾省行政長官公署]]を設置。
* [[1945年]]:[[中華民国の歴史#南京国民政府期(1928~1949)|中華民国(南京国民政府)]]・[[中華民国軍|国民政府軍]]が[[台湾]]に上陸。台湾を統治する機関・[[台湾省行政長官公署]]を設置。
* [[1947年]]:[[二・二八事件]]が勃発。以降、国民政府による[[白色テロ (台湾)|白色テロ]]が頻発する。台湾行政公所を台湾省政府に改組。
* [[1947年]]:[[二・二八事件]]が勃発。以降、国民政府による[[白色テロ (台湾)|白色テロ]]が頻発する。台湾行政公所を台湾省政府に改組。
* [[1949年]]:[[介石]]が[[国共内戦]]で崩壊状態にある[[国民政府]](国府)を[[台北市]]へ移転([[遷都]])し、実行統治区域内で戒厳令を実施。
* [[1949年]]:[[介石]]が[[国共内戦]]で崩壊状態にある[[国民政府]](国府)を[[台北市]]へ移転([[遷都]])し、実行統治区域内で戒厳令を実施。


=== 台湾国民政府 ===
=== 台湾国民政府 ===
{{see|台湾国民政府}}
{{see|台湾国民政府}}
* [[1950年]]:介石が[[中華民国総統]]職に就任。[[中華民国]]・台湾国民政府の活動が本格化。アメリカが第七艦隊を台湾海峡に派遣。
* [[1950年]]:介石が[[中華民国総統]]職に就任。[[中華民国]]・台湾国民政府の活動が本格化。アメリカが第七艦隊を台湾海峡に派遣。
* [[1951年]]:[[米華共同防衛相互援助協定]]調印。
* [[1951年]]:[[米華共同防衛相互援助協定]]調印。
* [[1952年]]:日本との平和条約([[日華平和条約]])調印。中国青年反共救国団の設立、[[経国]]が主任。日本語と台湾語の教学を厳禁。
* [[1952年]]:日本との平和条約([[日華平和条約]])調印。中国青年反共救国団の設立、[[経国]]が主任。日本語と台湾語の教学を厳禁。
* [[1954年]]:アメリカとの相互防衛条約調印。
* [[1954年]]:アメリカとの相互防衛条約調印。
* [[1955年]]:台湾国民政府が[[浙江省]]・大陳列島を喪失。これにより、今日の[[台湾#定義|台湾地域(広義の台湾)]]が形成される。
* [[1955年]]:台湾国民政府が[[浙江省]]・大陳列島を喪失。これにより、今日の[[台湾#定義|台湾地域(広義の台湾)]]が形成される。
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* [[1967年]]:国家安全会議と国家安全局が発足。
* [[1967年]]:国家安全会議と国家安全局が発足。
* [[1971年]]:[[国際連合]]総会にて、[[アルバニア]]提案の「[[アルバニア決議|国府追放、北京招請]]」案が可決され、台湾国民政府が「[[中国]]」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
* [[1971年]]:[[国際連合]]総会にて、[[アルバニア]]提案の「[[アルバニア決議|国府追放、北京招請]]」案が可決され、台湾国民政府が「[[中国]]」の代表権を喪失。同時に国連から脱退。
* [[1972年]]:経国、[[行政院長]]に就任。[[日中国交正常化|日本と中華人民共和国の国交樹立]]により[[日華平和条約]]が終了。台湾国民政府が[[日本]]との国交を断絶。
* [[1972年]]:経国、[[行政院長]]に就任。[[日中国交正常化|日本と中華人民共和国の国交樹立]]により[[日華平和条約]]が終了。台湾国民政府が[[日本]]との国交を断絶。
* [[1973年]]:「十大建設」開始。
* [[1973年]]:「十大建設」開始。
* [[1975年]]:[[介石]]死亡。[[厳家淦]][[中華民国副総統|副総統]]が総統に、[[経国]]が[[中国国民党]]主席に就任。
* [[1975年]]:[[介石]]死亡。[[厳家淦]][[中華民国副総統|副総統]]が総統に、[[経国]]が[[中国国民党]]主席に就任。
* [[1978年]]:経国が総統に就任。
* [[1978年]]:経国が総統に就任。
* [[1979年]]:米中国交樹立。[[アメリカ合衆国]]が台湾国民政府と国交を断絶。[[美麗島事件]]が勃発。
* [[1979年]]:米中国交樹立。[[アメリカ合衆国]]が台湾国民政府と国交を断絶。[[美麗島事件]]が勃発。
* [[1981年]]:[[鄧小平]]が「[[一国二制度|一国家二制度]]」に基づく中国と台湾の統一を提案。
* [[1981年]]:[[鄧小平]]が「[[一国二制度|一国家二制度]]」に基づく中国と台湾の統一を提案。
* [[1986年]]:[[民主進歩党]]の結成。
* [[1986年]]:[[民主進歩党]]の結成。
* [[1987年]]:38年続いていた[[戒厳#台湾における戒厳|戒厳令]]を解除。
* [[1987年]]:38年続いていた[[戒厳#台湾における戒厳|戒厳令]]を解除。
* [[1988年]]:経国死去。[[李登輝]]副総統が[[本省人]]として初めて総統に就任。
* [[1988年]]:経国死去。[[李登輝]]副総統が[[本省人]]として初めて総統に就任。
* [[1989年]]:[[李登輝]]総統、「現実外交(柔軟外交)」を宣言。戒厳令解除後初めての統一選挙で民主進歩党が躍進。
* [[1989年]]:[[李登輝]]総統、「現実外交(柔軟外交)」を宣言。戒厳令解除後初めての統一選挙で民主進歩党が躍進。
* [[1990年]]:民主進歩党が「台湾の主権独立」決議案採択。総統府に国家統一委員会が発足。
* [[1990年]]:民主進歩党が「台湾の主権独立」決議案採択。総統府に国家統一委員会が発足。

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台湾の歴史
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台湾史年表(たいわんしねんぴょう)では、台湾の主要な歴史事項を掲示する。なお台湾の地域範囲については台湾の地域範囲を参照のこと。

先史時代

オランダ植民統治時代

鄭氏政権時代

清朝統治時代

日本統治時代

中華民国統治時代

南京国民政府

台湾国民政府

総統民選期

  • 1996年:国民の直接選挙による総統選が実施され、李登輝が当選。国民党の一党独裁体制が消滅。
  • 1998年:上海で台湾と中国の窓口交流機関代表が会談。
  • 1999年:李登輝総統、中国と台湾を「特殊な国と国の関係」と定義。921大地震、死者2000人以上。
  • 2000年:中国が台湾白書を発表。統一交渉の無期限の拒絶は武力行使の対象になると警告。総統に民進党の陳水扁が選出、国民党が初めて野党となる。
  • 2002年:WTO加盟。陳水扁総統が「一辺一国」発言。のち軌道修正の発言。
  • 2003年:李登輝前総統、台湾独立派「台湾正名運動連盟」の会合で「“台湾”を国名に」と発言。陳水扁総統が民進党結党17周年記念式典で「2006年に新憲法制定」を掲げる。
  • 2004年:二二八事件57周年記念行事で李登輝前総統の呼びかけで独立派が中国のミサイル配備に「人間の鎖」を作って抗議。陳水扁が総統選前日に銃撃され負傷するものの再選。チャドとの共同声明の際に「中華民国(台湾)」という表記を初めて使用。
  • 2005年:連戦国民党主席が中華人民共和国を訪問。胡錦濤共産党総書記と1945年以来の国共首脳会談を行なう。
  • 2006年:陳水扁総統、国際社会に対して「台湾」名義での国連加盟を強調(2007年8月申請、却下)
  • 2007年:呉伯雄が国民党主席に就任。
  • 2008年:馬英九が総統に就任し、国民党が政権を奪還。
  • 2016年:蔡英文が総統に就任し、民進党が政権を奪還。

関連項目