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[[中華民国]]では1919年に「国葬法」が制定され、国家に特段の功績のあったものを対象に国葬を行う。これまでに[[蔣介石]]元[[総統]]、[[蔣経国]]元[[総統]]や[[歌手]]の[[テレサ・テン]]の葬儀が国葬となった。 |
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2020年9月15日 (火) 13:17時点における版
国葬(こくそう)とは、国家に功労のあった人の死去に際し、国家の儀式として、国費をもって行われる葬儀のことである。
君主やその一族、功績を上げた政治家や軍人が対象となるほか、ヴィクトル・ユーゴー(作家,フランス)、サン=サーンス(作曲家・オルガン奏者,同国)、サラ・ベルナール(女優,同国)、ツィオルコフスキー(物理学者,ソビエト)、フェデリコ・フェリーニ(映画監督,イタリア)、アイルトン・セナ(レーシングドライバー,ブラジル)、テレサ・テン(歌手,台湾)、マザー・テレサ(修道女・慈善家,インド)、エドモンド・ヒラリー(登山家,ニュージーランド)、ワンガリ・マータイ(環境保護活動家,ケニア)のようにそれ以外が対象となることもある。
日本
戦前
戦前の日本では、明治以降、国葬をすべき必要が生じた場合に応じて「特ニ国葬ヲ行フ」とする勅令が個別に発せられていた。
国家に功績ある臣下が死去した場合にも天皇の特旨により国葬が行われるほか、皇族においても特に国家に功労があった者が薨去した場合には、通常の皇族の葬儀ではなく特別に臣下同様の国葬が行われた。また李太王熈(高宗)[1]、李王坧(純宗)[2]といった大韓帝国皇帝経験者はいずれも特旨によって国葬となっている。
1926年(大正15年)10月21日に国葬令(大正15年勅令第324号)が公布され、国葬の規定は明文化された。これにより天皇・太皇太后・皇太后・皇后の葬儀は、特に「大喪儀」といい、国葬とされた。また7歳以上で薨去した皇太子、皇太孫、皇太子妃、皇太孫妃及び摂政たる皇族の葬儀は全て国葬とされたが、明治以降において該当者が薨去した例はなかった。また該当者以外の国葬については内閣総理大臣が天皇の裁可を経て定めるとされた。
皇族・王公族以外の被国葬者は、「旧薩長藩主」「太政官制における大臣経験者」「首相経験者」「元帥」のいずれかに該当する。このうち首相経験者はいずれも元老であり、複数の組閣経験を持つほか、最高位の勲章である大勲位菊花章頸飾を没日以前に受章している。軍人のうち東郷平八郎・山本五十六は皇族・王公族・首相経験のいずれも該当していない。
戦後
戦後、国葬令が失効したことにより、それによって規定された国葬はなくなった。また、新しい皇室典範も皇族の国葬を規定していなかったため、1951年に皇太后が逝去した際には、国葬と明確にしないまま「事実上の国葬」として一連の葬儀が行われた[3][4]。戦後の国葬は1967年に死去した吉田茂の例が唯一である。これは、閣議によって国葬と決し、かつ政教分離に基づき宗教色を排して行われた。
現在、首相経験者をはじめとした有力政治家の葬儀は、内閣、所属政党、所属議院、遺族のいずれかの組み合わせによる合同葬として行うことが多い。1975年に死去した佐藤栄作は、存命中に大勲位を受勲した戦後三人(吉田・佐藤・中曽根康弘)のうちの一人で、その葬儀は「国民葬」として行われた。1980年に現職の首相のまま急死した大平正芳は「内閣・自由民主党合同葬」で行われた。また幣原喜重郎など現職の衆参議長・副議長が死亡した場合、議院の主宰による葬儀が行われる。また戦前戦後を通じて63年の議員経験をもつ尾崎行雄は特に衆議院葬が行われている。
天皇の葬儀は皇室典範第25条の規定に基づき、国の儀式である「大喪の礼」として行われ、その費用が国庫から支出される。皇族については、その葬儀の呼称にかかわらず、皇室が主宰する儀式となっており、いわゆる国葬としては扱われていない。また勲一等・文化勲章の受章者の葬儀に天皇から文化庁を通じて祭粢料が下賜されることがある(例・黒澤明、森繁久彌)。
戦前・戦後を通じて、国葬は普通東京で行われる。例外的に島津久光は鹿児島で、元大韓帝国皇帝で朝鮮王族であった高宗と純宗は京城府(現在のソウル特別市)で行われた。
事例
年月日 | 地位や役職 | |
---|---|---|
1883年(明治16年)7月25日 | 岩倉具視 | 右大臣 |
1887年(明治20年)12月18日 | 島津久光 | 公爵 左大臣 |
1891年(明治24年)2月25日 | 三条実美 | 公爵 太政大臣 |
1895年(明治28年)1月29日 | 有栖川宮熾仁親王 | 陸軍大将 参謀総長 |
1895年(明治28年)12月18日 | 北白川宮能久親王 | 陸軍大将 近衛師団長 |
1896年(明治29年)12月30日 | 毛利元徳 | 公爵 参議 旧山口藩主 |
1898年(明治31年)1月9日 | 島津忠義 | 公爵 参議 旧鹿児島藩主 |
1903年(明治36年)2月26日 | 小松宮彰仁親王 | 元帥 陸軍大将 |
1909年(明治42年)11月4日 | 伊藤博文 | 公爵 内閣総理大臣 元老 |
1913年(大正2年)7月17日 | 有栖川宮威仁親王 | 元帥 海軍大将 |
1916年(大正5年)12月17日 | 大山巌 | 公爵 元帥 陸軍大将 内大臣 |
1919年(大正8年)3月3日 | 徳寿宮李太王熈 | 王族、韓国皇帝(高宗) |
1922年(大正11年)2月9日 | 山縣有朋 | 公爵 元帥 陸軍大将 内閣総理大臣 元老 |
1923年(大正12年)2月14日 | 伏見宮貞愛親王 | 元帥 陸軍大将 内大臣 |
1924年(大正13年)7月12日 | 松方正義 | 公爵 内閣総理大臣 元老 |
1926年(大正15年)6月10日 | 昌徳宮李王坧 | 韓国皇帝(純宗) |
1934年(昭和9年)6月5日 | 東郷平八郎 | 侯爵 元帥 海軍大将 |
1940年(昭和15年)12月5日 | 西園寺公望 | 公爵 内閣総理大臣 元老 |
1943年(昭和18年)6月5日 | 山本五十六 | 元帥 海軍大将 連合艦隊司令長官 |
1945年(昭和20年)6月18日 | 閑院宮載仁親王 | 元帥 陸軍大将 参謀総長 |
1967年(昭和42年)10月31日 | 吉田茂 | 内閣総理大臣 |
年月日 | 主催 | 地位や役職 | |
---|---|---|---|
1951年(昭和26年)3月16日 | 幣原喜重郎 | 衆議院葬 | 内閣総理大臣、衆議院議長 |
1954年(昭和29年)10月7日 | 尾崎行雄 | 衆議院葬 | 名誉議員 |
1954年(昭和29年)11月17日 | 松平恒雄 | 参議院葬 | 参議院議長 |
1975年(昭和50年)6月16日 | 佐藤栄作 | 国民葬 | 内閣総理大臣 |
1980年(昭和55年)7月9日 | 大平正芳 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
1987年(昭和62年)9月17日 | 岸信介 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
1988年(昭和63年)12月5日 | 三木武夫 | 内閣・衆議院合同葬 | 内閣総理大臣 |
1990年(平成2年)4月27日 | 小野明 | 参議院葬 | 参議院副議長 |
1995年(平成7年)9月6日 | 福田赳夫 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
2000年(平成12年)6月8日 | 小渕恵三 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
2004年(平成16年)8月26日 | 鈴木善幸 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
2006年(平成18年)8月8日 | 橋本龍太郎 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
2007年(平成19年)11月25日 | 西岡武夫 | 参議院葬 | 参議院議長 |
2011年(平成23年)8月28日 | 宮澤喜一 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
2020年(令和2年)10月17日(予定)[5] | 中曽根康弘 | 内閣・自由民主党合同葬 | 内閣総理大臣 |
アメリカ合衆国
アメリカ合衆国においては大統領経験者は国葬の対象となる。基本的に大統領在任中の政策等の評価とは関係なく国葬となるが、任期途中で不祥事のため辞任したリチャード・ニクソンは個人的に国葬を辞退したこともあって実行されなかった。また、軍人ではジョン・パーシング、ダグラス・マッカーサーも国葬の対象となった。また1921年には第一次世界大戦で戦死した無名戦士のための国葬が行われている。
またアメリカでは棺が議事堂などの公共建造物に一定期間安置され、一般市民と別れを告げる儀礼が行われることがあるが、これも国葬に次ぐ公的な葬礼と見られている(en:Lying in state)。ニクソンの葬儀の際もリチャード・ニクソン大統領図書館において棺が安置されている。
イギリス
イギリスでは国葬を賜る対象となる者は、基本的に国王と英国王室の構成員に限られるが、例外として、国家に特段の功労があった者が国葬とされる。王族以外では以下の者が国葬とされた。
- サー・フィリップ・シドニー(詩人)
- ロバート・ブレイク(海軍提督)
- サー・アイザック・ニュートン(自然哲学者)
- ネルソン子爵ホレーショ・ネルソン(海軍提督)
- ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー(第一大蔵卿)
- パーマストン子爵ヘンリー・ジョン・テンプル (第3代パーマストン子爵)(第一大蔵卿)
- マグダラのネイピア男爵ロバート・ネイピア(陸軍元帥)
- チャールズ・ダーウィン(自然科学者。正確には政府代表による葬儀)
- ウィリアム・グラッドストン(第一大蔵卿)
- ロバーツ伯爵フレデリック・ロバーツ(陸軍元帥)
- ヘイグ伯爵ダグラス・ヘイグ(同上)
- カーソン男爵エドワード・カーソン(海軍大臣)
- サー・ウィンストン・チャーチル(首相)
- サッチャー女男爵マーガレット・サッチャー(首相、準国葬)
ちなみに、首相経験者でグラッドストンのライバルとして有名だったベンジャミン・ディズレーリや看護教育学者となったフローレンス・ナイチンゲールも国葬を打診されたが、ディズレーリは本人の意志、ナイチンゲールは遺族の要望で辞退されている。
また、メアリー王妃やエリザベス王太后、ダイアナ皇太子妃など王室の配偶者は「国民葬」に、王位を退いたウィンザー公は「王室葬」に付された。
なお、国葬は通常事前に準備される。例えば2013年に死去したサッチャーは、まだ健康を維持していた2008年の時点で、すでに死去した場合に国葬を執り行うことが計画されていると報道された[6]。
フランス
フランスでは国葬を賜る対象は、第4共和制からは首相、第5共和制からは大統領。ならびにフランス国民教育省の「式典令」に従い、国家に特段の功労があったものを対象とする。パンテオン (パリ)も参照。
- ヴィクトル・ユーゴー(1885年)
- カミーユ・サン=サーンス(1921年)
- サラ・ベルナール(1923年)
- ポール・ヴァレリー(1945年)
- フィリップ・ルクレール(1947年)
- アンリ・ジロー(1949年)
- アルベール・ルブラン(1950年)
- レオン・ブルム(1950年)
- シドニー=ガブリエル・コレット(1954年)
- エドワール・エリオ(1957年)
- アベ・ピエール(2007年)
- エミ・セザール(2008年)
- ラザール・ポンティセリ(2008年)
- シャルル・アズナブール(2018年)
中華民国
中華民国では1919年に「国葬法」が制定され、国家に特段の功績のあったものを対象に国葬を行う。これまでに蔣介石元総統、蔣経国元総統や歌手のテレサ・テンの葬儀が国葬となった。
中華人民共和国
中華人民共和国では国葬に関する法令はない。国家に特段の功績にあったものが死亡したときには、「中華人民共和国国旗法」に従い、半旗を掲げて「国家による弔意」を表す(半旗 #中華人民共和国を参照)。
国家主席、国務院総理、全国人民代表大会常務委員長、国家中央軍事委員会主席経験者が主な対象である。
大韓民国
大韓民国では「国葬・国民葬法」の中で、国家が葬儀の費用を全額負担する国葬と一部を負担する国民葬が規定されている。
韓国でこれまで国葬となったのは朴正煕、金大中、金泳三(いずれも元大統領)がおり、国民葬となったのは崔圭夏、盧武鉉の大統領経験者並びに陸英修(朴正熙夫人)などがいる。
朝鮮民主主義人民共和国
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)では、国葬を賜る対象は朝鮮労働党政治局委員以上または内閣(金日成存命時代は政務院)部長、朝鮮人民軍次帥以上の経験者が基本で、党中央委員、および委員候補クラスの実務者でも、最高指導者が必要と認めた場合は国葬で送られる[7]。必ずしも金日成、金正日ら白頭山血統の最高指導者だけが国葬を受ける訳ではない。
国葬を行う場合は、被葬者の死去の発表と同時に、朝鮮労働党中央委員および最高人民会議代議員のうち、政府役職経験者による国家葬儀委員会が編成され、そのメンバーは朝鮮中央通信を通じ、朝鮮中央放送、朝鮮中央テレビの「報道」、および国外向けの朝鮮の声放送で発表される。発表される葬儀委員会名簿は「最高指導者を委員長」とし[8]、その時の北朝鮮指導部の序列を如実に示すといわれ、クレムリノロジー同様、日本のラヂオプレスなど「北朝鮮ウォッチャー」にとっては、絶対に欠かすことのできない資料となる。
なお、資格を満たしていても、粛清により死刑とされた者については、当然のことながら国葬は行われず、過去には朝鮮労働党中央委員会や政務院、内閣による公式発表すらなされないまま「この世を去った」と、報道された幹部経験者もいる。
ベトナム
原則としてベトナム共産党中央委員会書記長、国家主席 、首相、国会議長の経験者が対象となる[9]。そのほか、特に国家への多大な貢献があった人物には特例として認められており、例としてヴォー・グエン・ザップ(2013年没)に対しておこなわれたものがある[9]。
その他
その他の国でも国葬となった事例はある。インドでは宗教指導者のサティヤ・サイ・ババと修道女のマザー・テレサ、ソビエト連邦ではロケット研究者のコンスタンチン・ツィオルコフスキー、ブラジルではF1レーサーであったアイルトン・セナ、ヨルダン国王のフセイン1世、ジャマイカではレゲエ歌手のボブ・マーリー、ケニアでは環境問題活動家のワンガリ・マータイ、カンボジア元国王だったノロドム・シハヌーク、ベネズエラ大統領のウゴ・チャベス、南アフリカ元大統領ネルソン・マンデラ、シンガポール初代首相だったリー・クアンユーらが国葬の対象となった。
脚注
- ^ 「御署名原本・大正八年・勅令第九号・故大勲位李太王国葬ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A03021174900
- ^ 「御署名原本・大正十五年・勅令第八七号・故大勲位李王国葬ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A03021600300
- ^ 「葬儀の方法 宮内庁で協議」『朝日新聞』昭和26年5月18日1面
- ^ “ご大喪・ご即位・ご結婚などの行事”. 宮内庁ホームページ. 2020年3月25日閲覧。
- ^ 当初は2020年(令和2年)3月15日に行われる予定だったが新型コロナウイルスの感染拡大の影響により延期となった。
- ^ 「『鉄の女』死去なら国葬」読売新聞朝刊,2008年7月15日。
- ^ 金正恩氏 民用航空総局長の死去に異例の哀悼 - 聯合ニュースHP 2017年1月23日掲載。
- ^ 被葬者が最高指導者の場合は最高人民会議常任委員長が葬儀委員長となる。
- ^ a b “ベトナム、ザップ将軍の国葬開始/「救国の英雄」”. 四国新聞. (2013年10月12日) 2016年11月19日閲覧。