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ウェリントン公爵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ウェリントン公爵
Duke of Wellington
Arms of Dukes of Wellington
創設時期1814年5月11日
創設者摂政王太子ジョージ (ジョージ3世)
貴族連合王国貴族
初代アーサー・ウェルズリー(初代ウェリントン侯爵)
現所有者アーサー・チャールズ・ウェルズリー(9代公)
相続人アーサー・ジェラルド・ウェルズリー英語版(ドゥロ侯爵)
相続資格初代公の嫡出直系の男系男子
付随称号ウェリントン侯爵、ドゥロ侯爵、モーニントン伯爵、ウェリントン伯爵、ウェルズリー子爵、ウェリントン子爵、モーニントン男爵、ドゥロ男爵
邸宅ストラトフィールド・セイ・ハウス英語版
アプスリー・ハウス

ウェリントン公爵: Duke of Wellington)は、イギリス公爵位。連合王国貴族爵位。

ナポレオン戦争の英雄初代ウェリントン侯爵アーサー・ウェルズリー1814年に叙されたのに始まる。連合王国貴族の中では筆頭となる爵位である。

爵位名はイングランド南西部、サマセットにあるウェリントン英語版にちなむ。

歴史

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ウェリントン公爵家のハンプシャーの邸宅ストラトフィールド・セイ・ハウス英語版をバックに立つ第8代ウェリントン公爵アーサー・ヴァレリアン・ウェルズリー(1986年撮影)
ウェリントン公爵家のロンドンの邸宅アプスリー・ハウス(2006年撮影)

アイルランド貴族の初代モーニントン伯ギャレット・ウェズリー(1735年 – 1781年)の三男アーサー・ウェルズリー(1769年 - 1852年)は、陸軍軍人となり、1809年からナポレオン戦争半島戦争でイギリス・ポルトガル連合軍の指揮をとった。1815年ナポレオン百日天下後にはワーテルローの戦いでイギリス軍主体の反仏連合軍の指揮を執ってナポレオンを再度の失脚に追い込んだことで知られる[1]

戦功により、1809年9月4日にはサマセット州におけるタラヴェラ=ウェリントンのウェリントン子爵(Viscount Wellington of Talavera and of Wellington in the County of Somerset)サマセット州におけるウェルズリーのドゥロ男爵(Baron Douro, of Wellesley in the County of Somerset)に、1812年2月28日にはウェリントン伯爵(Earl of Wellington)に、1812年10月3日にはウェリントン侯爵(Marquess of Wellington)に、そして1814年5月11日にはウェリントン公爵(Duke of Wellington)ドゥロ侯爵(Marquess Douro)に叙された(以上全て連合王国貴族)[2][3]

加えて初代公は、外国からも爵位を受けた。ポルトガル王国の爵位としてヴィトリア公爵Duque da Vitória; 1812年叙位、ビトリアの戦いにちなむ。ただしビトリア=ガステイススペイン領)、トレス・ヴェドラス侯爵Marquês de Torres Vedras; 1812年叙位、彼がリスボン防衛のために築いたトレス・ヴェドラス線Lines of Torres Vedras)にちなむ)・ヴィメイロ伯爵Conde do Vimeiro; 1811年叙位、ヴィメイロの戦いBattle of Vimeiro)にちなむ)に、スペイン王国の爵位としてシウダ・ロドリーゴ公爵Duque de Ciudad Rodrigo; 1812年叙位、シウダ・ロドリーゴ攻城戦Siege of Ciudad Rodrigo)にちなむ)に、ネーデルラント連合王国の爵位としてワーテルロー公Prins van Waterloo; 1815年叙位、ワーテルローの戦いにちなむ。ただしワーテルローは現在ベルギー領)に叙されている[2][3]

2代公アーサー・ウェルズリー(1807年 - 1884年)は、1863年に従兄弟の息子にあたる5代モーニントン伯爵ウィリアム・ポール=ティルニー=ロング=ウェルズリー英語版(1813年 - 1863年)からモーニントン伯爵(Earl of Mornington)ミース州におけるダンガン城のウェルズリー子爵(Viscount Wellesley, of Dangan Castle in the County of Meath)モーニントン男爵(Baron of Mornington)を相続した(以上の3爵位はアイルランド貴族)。このため現在、ウェリントン公爵にはこれらの爵位が付属する。公爵位の法定推定相続人はドゥロ侯爵を、ドゥロ侯爵の法定推定相続人はモーニントン伯爵を儀礼称号として称する[2]

6代公ヘンリー・ウェルズリー(1912年 - 1943年)第二次世界大戦に従軍して戦死した。6代公には子供がなかったため、叔父のジェラルド・ウェルズリー英語版(1885年 - 1972年)が7代公を継承した。この際にスペインの爵位シウダ・ロドリゴ公爵位のみ6代公の姉アン・リース(1910年 – 1998年)が継承したが、彼女は1949年に同爵位を7代公に譲っている[2]

2016年現在の当主は9代公アーサー・チャールズ・ヴァレリアン・ウェルズリー(1945年 - )である。彼は襲爵前の1979年から1989年にかけて欧州議会の議員を務めていた[2][4]。また襲爵後の2015年9月から世襲貴族の互選による世襲貴族枠の貴族院議員となっている[5]

邸宅はハンプシャーベイジングストークにあるストラトフィールド・セイ・ハウス英語版ロンドンピカデリーにあるアプスリー・ハウスである[2]。家訓は「勇気が幸運を呼ぶ(Virtutis Fortuna Comes)」[2]

現当主の保有爵位

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現在の当主アーサー・チャールズ・ウェルズリーは以下の爵位を保有している[2][4]

イギリス爵位

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  • 第9代ウェリントン公爵 (9th Duke of Wellington)
    (1814年5月11日勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第9代ウェリントン侯爵 (9th Marquess of Wellington)
    (1812年10月3日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第9代ドゥロ侯爵 (9th Marquess Douro)
    (1814年5月11日の勅許状による連合王国貴族爵位) ※法定推定相続人儀礼称号
  • 第13代モーニントン伯 (13th Earl of Mornington)
    (1760年10月2日の勅許状によるアイルランド貴族爵位) ※法定推定相続人の法定推定相続人の儀礼称号
  • 第9代ウェリントン伯爵 (9th Earl of Wellington)
    (1812年2月28日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • ミース州におけるダンガン城の第13代ウェルズリー子爵 (13th Viscount Wellesley, of Dangan Castle in the County of Meath)
    (1760年10月2日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • サマセット州におけるタラヴェラ=ウェリントンの第9代ウェリントン子爵 (9th Viscount Wellington, of Talavera and Wellington in the County of Somerset)
    (1809年9月4日の勅許状による連合王国貴族爵位)
  • 第14代モーニントン男爵 (14th Baron Mornington)
    (1746年7月9日の勅許状によるアイルランド貴族爵位)
  • サマセット州におけるウェルズリーの第9代ドゥロ男爵 (9th Baron Douro, of Wellesley in the County of Somerset)
    (1809年9月4日の勅許状による連合王国貴族爵位)

外国爵位

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  • 第10代シウダ・ロドリゴ公爵 (10º Ducado de Ciudad Rodrigo)
    (1812年創設スペイン貴族爵位)
  • 第9代ワーテルロー公爵オランダ語版 (9e Prins van Waterloo)
    (1815年創設のオランダ貴族爵位)
  • 第9代ヴィトーリア公爵 (9º Duque da Vitória)
    (1812年創設ポルトガル貴族爵位)
  • 第9代トレシュ・ベドラシュ侯爵 (9º Marques de Torres Vedras)
    (1812年創設ポルトガル貴族爵位)
  • 第9代ヴィメイロ伯爵 (9º Conde do Vimeiro)
    (1811年創設ポルトガル貴族爵位)

一覧

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ウェリントン子爵 (1809年)

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初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリー(サー・トマス・ローレンス画、1814年)

ウェリントン伯爵 (1812年)

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ウェリントン侯爵 (1812年)

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ウェリントン公爵 (1814年)

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系図

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ウェリントン公爵ウェルズリー家系図
 
 
 
 
 
 
 
1746年モーニントン男爵
 
 
 
 
 
 
 
初代モーニントン男爵
リチャード・ウェズリー
(1690頃–1758)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1760年モーニントン伯
 
 
 
 
 
 
 
初代モーニントン伯爵
2代モーニントン男爵
ギャレット・ウェズリー
(1735–1781)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1799年ウェルズリー侯
 
1821年メアリーバラ男爵
 
1814年ウェリントン公
1812年シウダ・ロドリゴ公
 
1828年カウリー男爵英語版
 
初代ウェルズリー侯
2代モーニントン伯
3代モーニントン男爵

リチャード・ウェルズリー
(1760–1842)
 
3代モーニントン伯
4代モーニントン男爵
初代メアリーバラ男爵

ウィリアム・ウェルズリー=ポール英語版
(1763-1845)
 
初代ウェリントン公
初代シウダ・ロドリゴ公
アーサー・ウェルズリー
(1769–1852)
 
初代カウリー男爵
ヘンリー・ウェルズリー英語版
(1773-1847)
 
ウェルズリー侯位廃絶
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
カウリー伯爵家へ英語版
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
4代モーニントン伯
5代モーニントン男爵
2代メアリーバラ男爵

ウィリアム・ポール=ティルニー=ロング=ウェルズリー英語版
(1788-1857)
 
2代ウェリントン公
2代シウダ・ロドリゴ公
6代モーニントン伯
7代モーニントン男爵

アーサー・ウェルズリー
(1807–1884)
 
チャールズ・ウェルズリー卿
(1808–1858)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代モーニントン伯
6代モーニントン男爵
3代メアリーバラ男爵

ウィリアム・ポール=ティルニー=ロング=ウェルズリー英語版
(1813-1863)
 
3代ウェリントン公
3代シウダ・ロドリゴ公
7代モーニントン伯
8代モーニントン男爵

ヘンリー・ウェルズリー
(1846–1900)
 
4代ウェリントン公
4代シウダ・ロドリゴ公
8代モーニントン伯
9代モーニントン男爵

アーサー・ウェルズリー
(1849–1934)
 
 
 
 
 
 
メアリーバラ男爵廃絶
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
5代ウェリントン公
5代シウダ・ロドリゴ公
9代モーニントン伯
10代モーニントン男爵

アーサー・ウェルズリー英語版
(1876–1941)
 
7代ウェリントン公
8代シウダ・ロドリゴ公
11代モーニントン伯
12代モーニントン男爵

ジェラルド・ウェルズリー英語版
(1885–1972)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
7代シウダ・ロドリゴ女公
アン・リース
(1910–1998)
 
6代ウェリントン公
6代シウダ・ロドリゴ公
10代モーニントン伯
11代モーニントン男爵

ヘンリー・ウェルズリー
(1912–1943)
 
8代ウェリントン公
9代シウダ・ロドリゴ公
12代モーニントン伯
13代モーニントン男爵

アーサー・ウェルズリー
(1915–2014)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
9代ウェリントン公
10代シウダ・ロドリゴ公
13代モーニントン伯
14代モーニントン男爵

チャールズ・ウェルズリー
(1945–)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
デュロ侯(儀礼称号)
アーサー・ウェルズリー
(1978–)
(法定推定相続人)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
モーニントン伯(儀礼称号)
アーサー・ウェルズリー
(2010–)
 

脚注

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出典

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参考文献

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  • 松村赳富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478