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チャールズ・ウェルズリー (軍人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

チャールズ・ウェルズリー卿(英語: Lord Charles Wellesley1808年1月16日1858年10月9日)は、イギリスの軍人、政治家。イギリス首相初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの次男[1]庶民院議員(在任:1842年 – 1855年)を務めた。軍人としての最終階級は陸軍少将。

生涯

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初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーと妻キャサリン(Catherine、旧姓パケナム(Pakenham)、1773年ごろ – 1831年4月24日、第2代ロングフォード男爵エドワード・マイケル・パケナムの娘[2])の次男として、1808年1月16日に生まれた[1]イートン・カレッジで教育を受けた後、1824年10月16日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3][4]。1826年2月2日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに転校、1831年にM.A.の学位を修得した[3]。兄アーサー・リチャードと同じく、父と親しくないとされ、エドワード・ジョン・リトルトン英語版は1832年6月17日の日記で「公爵は息子たちが好きだが、私は彼らが一緒に乗馬したり歩いたりするところを見たことがなく、話すことも滅多にないと思う。(中略)一方で(公爵は息子たちが)アプスリー・ハウスバラックのように使うことを許し、そこで食事するときは一緒に食卓に着くことを許している」と述べた[5]

1824年1月16日、エンサイン英語版(歩兵少尉)への辞令を購入して、第82歩兵連隊英語版に配属された[6]第75歩兵連隊英語版に転じたのち、 1826年5月20日にコルネット英語版(騎兵少尉)への辞令を購入して、ロイヤル・ホース・ガーズ英語版に配属された[7]。1828年11月21日に中尉への辞令を購入して昇進[8]、1830年2月26日に歩兵大尉への辞令を購入して、所属連隊なし(半給扱い)で昇進した[9]。同年6月18日、ライフル旅団英語版に配属された[10]。1831年5月3日、Lieutenant and Captain(大尉)への辞令を購入して、グレナディアガーズに配属された[11]。同年9月8日、少佐への名誉昇進辞令英語版を受けた[12]。1833年10月4日、少佐への辞令を購入して正式に昇進、第87歩兵連隊英語版に配属された[13]。1834年までに再び所属連隊なし(半給扱い)になったが、同年6月6日に第5歩兵連隊英語版に配属された[14]。1837年12月29日に中佐への辞令を購入して、所属連隊なし(半給扱い)で昇進した[15]。1841年9月10日、ヴィクトリア女王Chief Equerry and Clerk Marshalに任命された[16]。1845年3月21日に所属連隊なし(半給扱い)になり[17]、1846年7月にはChief Equerry and Clerk Marshalも辞任した[18]。1851年11月11日、大佐への名誉昇進辞令を与えられた[19]。1856年12月8日、少将に昇進した[20]

1835年イギリス総選挙保守党候補としてロチェスター選挙区英語版から出馬したが、442票(得票数3位)を得て、1票差で落選した[21]。1842年8月、サウス・ハンプシャー選挙区英語版の補欠選挙に出馬して、無投票で当選した[22]1847年イギリス総選挙で無投票で再選した[22]1852年イギリス総選挙ウィンザー選挙区英語版に鞍替えして、241票(得票数1位)で当選した[23]。1855年2月、ヘンプホーム荘園執事英語版に任命されるという形で議員を辞任した[24]

1858年10月9日に死去した[1][25]

家族

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1844年7月9日、オーガスタ・ソフィア・アン・ピアポント(Augusta Sophia Anne Pierrepont、1820年5月30日[26] – 1893年7月13日、ヘンリー・ピアポント閣下英語版の娘)と結婚、3男3女をもうけた[27]

  • アーサー(1845年5月5日 – 1846年7月7日[27]
  • ヘンリー(1846年4月5日 – 1900年6月8日) - 第3代ウェリントン公爵[27]
  • ヴィクトリア・アレクサンドリナ(Victoria Alexandrina、1847年4月2日[28] – 1933年7月31日) - 1877年9月6日、初代ホームパトリック男爵イオン・トラント・ハミルトン英語版(1898年3月6日没)と結婚、子供あり[27]
  • アーサー・チャールズ(1849年3月15日 – 1934年6月18日) - 第4代ウェリントン公爵[27]
  • メアリー・アンジェラ(1850年10月21日[28] – 1936年4月26日) - 1875年9月7日、ジョージ・アーサー・ジャーヴォイス・スコット(George Arthur Jervoise Scott、1895年3月5日没)と結婚[27]
  • ジョージナ(1853年5月15日[28] – 1880年2月3日) - 1874年7月22日、ウィリアム・ロール・マルコム(William Rolle Malcolm、1923年2月3日没、ジョン・マルコムの三男)と結婚、子供あり[27]

出典

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  1. ^ a b c Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth P., eds. (1931). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council and Knightage (英語) (89th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2445.
  2. ^ Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 83–84.
  3. ^ a b "WELLESLEY, LORD CHARLES. (WLSY826LC)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ Foster, Joseph (1888–1892). "Wellesley, Charles" . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 4. Oxford: Parker and Co. p. 1522. ウィキソースより。
  5. ^ Escott, Margaret (2009). "WELLESLEY, Arthur Richard, mq. of Douro (1807-1884).". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2022年3月7日閲覧
  6. ^ "No. 17999". The London Gazette (英語). 7 February 1824. p. 212.
  7. ^ "No. 18256". The London Gazette (英語). 10 June 1826. p. 1397.
  8. ^ "No. 18529". The London Gazette (英語). 5 December 1828. p. 2249.
  9. ^ "No. 18659". The London Gazette (英語). 26 February 1830. p. 414.
  10. ^ "No. 18691". The London Gazette (英語). 18 June 1830. p. 1215.
  11. ^ "No. 18800". The London Gazette (英語). 3 May 1831. p. 845.
  12. ^ "No. 18853". The London Gazette (英語). 23 September 1831. p. 1947.
  13. ^ "No. 19090". The London Gazette (英語). 4 October 1833. p. 1783.
  14. ^ "No. 19162". The London Gazette (英語). 6 June 1834. p. 1045.
  15. ^ "No. 19574". The London Gazette (英語). 29 December 1837. p. 3384.
  16. ^ "No. 20017". The London Gazette (英語). 10 September 1841. p. 2274.
  17. ^ "No. 20455". The London Gazette (英語). 21 March 1845. p. 913.
  18. ^ "No. 20621". The London Gazette (英語). 10 July 1846. p. 2534.
  19. ^ "No. 21262". The London Gazette (英語). 11 November 1851. p. 2967.
  20. ^ "No. 21951". The London Gazette (英語). 19 December 1856. p. 4248.
  21. ^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 258. ISBN 978-1-349-02349-3
  22. ^ a b Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 394. ISBN 978-1-349-02349-3
  23. ^ Craig, F. W. S. (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (英語). London: Macmillan Press. p. 336. ISBN 978-1-349-02349-3
  24. ^ "No. 21664". The London Gazette (英語). 16 February 1855. p. 605.
  25. ^ "No. 22194". The London Gazette (英語). 26 October 1858. p. 4577.
  26. ^ Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 421.
  27. ^ a b c d e f g Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 3 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 2545–2546.
  28. ^ a b c Lodge, Edmund (1892). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (61st ed.). London: Hurst and Blackett. p. 634.

外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
ヘンリー・コンブ・コンプトン英語版
ジョン・ウィリス・フレミング英語版
庶民院議員(サウス・ハンプシャー選挙区英語版選出)
1842年 – 1852年
同職:ヘンリー・コンブ・コンプトン英語版
次代
ヘンリー・コンブ・コンプトン英語版
ウィリアム・チャムリー
先代
ジョン・ハッチェル英語版
チャールズ・グレンフェル英語版
庶民院議員(ウィンザー選挙区英語版選出)
1852年 – 1855年
同職:チャールズ・グレンフェル英語版
次代
サムソン・リカルド英語版
チャールズ・グレンフェル英語版