ウィリアム・チャムリー (第3代チャムリー侯爵)
第3代チャムリー侯爵ウィリアム・ヘンリー・ヒュー・チャムリー(英語: William Henry Hugh Cholmondeley, 3rd Marquess of Cholmondeley、1800年3月31日 – 1884年12月16日)は、イギリスの貴族、政治家。トーリー党、のち保守党に属し、庶民院議員(1822年 – 1832年、1852年 – 1857年)を務めた[1]。
生涯
[編集]初代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリーと妻ジョージアナ・シャーロット(1764年8月7日 – 1838年6月23日、第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティーの娘)の次男として、1800年3月31日にピカデリーで生まれた[1]。1814年よりイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1818年11月13日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[3]。
父のお気に入りの息子であり、1821年12月に父が王室家政長官を退任したとき、条件としてキャッスル・ライジング選挙区選出の庶民院議員だった兄ジョージ・ホレイショを貴族院に移籍させ、それを受けて1822年2月に行われた補欠選挙でウィリアムを当選させた[2][4]。キャッスル・ライジングではチャムリー侯爵家が1議席を掌握しており、ウィリアムは1826年、1830年、1831年の総選挙で再選した[4]。1度目の議員期では演説の記録がなく、1822年2月にさらなる減税に反対、1825年4月、1827年3月、1828年5月にカトリック解放に反対、1830年5月にユダヤ人解放に反対するなど、おおむねトーリー党の一員として行動した[2]。第1回選挙法改正には最初から兄とともに反対したが、アイザック・ガスコインが提出した、選挙法改正の第1次法案を実質的に葬った修正案にも反対した[2]。1827年4月10日に父が死去すると、1,500エーカーの地所を相続した[2]。
第1回選挙法改正でキャッスル・ライジング選挙区が廃止されると[4]、ウィリアムは1832年イギリス総選挙でノーフォーク州のトーリー党員の支持を受けて東ノーフォーク選挙区から出馬したが[2]、2,852票(得票数4位)で落選した[5]。1848年3月27日、カンタベリー協会に加入した[6]。1852年イギリス総選挙で保守党候補として南ハンプシャー選挙区から出馬、無投票で当選した[7]。1期務めたのち1857年イギリス総選挙をもって退任した[7]。
1870年5月8日に兄が死去すると、チャムリー侯爵位を継承した[1]。
1883年時点での領地はチェシャー16,992エーカー(年収29,213ポンド相当)、ノーフォーク州16,995エーカー(年収11,960ポンド相当)、デヴォン州4エーカー(年収115ポンド相当)だった[1]。
長い闘病生活を経て[2]、1884年12月16日にホートン・ホールで死去、ケンサル・グリーン墓地に埋葬された[1]。長男に先立たれたため、孫ジョージ・ヘンリー・ヒューが爵位を継承した[1]。
人物
[編集]家族
[編集]1825年2月28日、マーシア・エマ・ジョージアナ・アーバスノット(Marcia Emma Georgiana Arbuthnot、1804年10月10日 – 1878年11月3日、チャールズ・アーバスノットとマーシア・アーバスノットの娘)と結婚[1]、2男6女をもうけた[8]。
- マーシア・シャーロット・エマ(1826年11月22日 – 1828年4月7日[8])
- シャーロット・ジョージアナ(1828年2月4日 – 1912年8月17日) - 1852年4月27日、エドワード・グラッドウィン・アーノルド(Edward Gladwin Arnold、1887年6月12日没)と結婚[8]
- チャールズ・ジョージ(1829年7月9日 – 1869年12月7日) - 1854年10月31日、スーザン・キャロライン・ダッシュウッド(Susan Caroline Dashwood、第4代準男爵サー・ジョージ・ヘンリー・ダッシュウッドの娘)と結婚、子供あり[8]。第4代チャムリー侯爵ジョージ・チャムリーの父[1]
- マーシア・スーザン・ハリエット(1831年4月18日[8] – 1927年6月10日) - 生涯未婚[9]
- 女児(1832年8月 – 1832年8月[8])
- ヘンリー・ヴィアー(1834年10月4日 – 1882年2月27日) - 1860年7月17日、ファニー・イザベラ・キャサリン・スペンサー(Fanny Isabella Catherine Spencer、1900年2月13日没、ジョージ・オーガスタス・スペンサー閣下の娘)と結婚、子供あり[8]
- エマ・シャーロット(1837年11月11日 – 1839年1月26日[8])
- キャロライン・レイチェル(1840年7月4日 – 1863年3月11日[8])
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, Herbert Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 206.
- ^ a b c d e f g h Escott, Margaret (2009). "CHOLMONDELEY, Lord William Henry Hugh (1800-1884), of Houghton Hall, Norf.". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月21日閲覧。
- ^ Foster, Joseph (1888–1892). . Alumni Oxonienses: the Members of the University of Oxford, 1715–1886 (英語). Vol. 1. Oxford: Parker and Co. p. 250. ウィキソースより。
- ^ a b c Escott, Margaret (2009). "Castle Rising". In Fisher, David (ed.). The House of Commons 1820-1832 (英語). The History of Parliament Trust. 2023年12月21日閲覧。
- ^ Craig, F. W. S., ed (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (1st ed.). London: Macmillan Press. p. 426. ISBN 978-1-349-02349-3
- ^ Blain, Michael (2007). The Canterbury Association (1848–1852): A Study of Its Members' Connections (PDF) (英語). Christchurch: Project Canterbury. pp. 27–28.
- ^ a b Craig, F. W. S., ed (1977). British Parliamentary Election Results 1832–1885 (1st ed.). London: Macmillan Press. pp. 394–395. ISBN 978-1-349-02349-3
- ^ a b c d e f g h i Lodge, Edmund, ed. (1901). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (70th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 146.
- ^ Townend, Peter, ed. (1963). Burke's Genealogical and Heraldic History of the Peerage, Baronetage and Knightage (英語). Vol. 3 (103rd ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2293.
外部リンク
[編集]- Hansard 1803–2005: contributions in Parliament by Lord William Cholmondeley
- ウィリアム・チャムリー - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ロックサヴェージ伯爵 フルク・グレヴィル・ハワード閣下 |
庶民院議員(キャッスル・ライジング選挙区選出) 1822年 – 1832年 同職:フルク・グレヴィル・ハワード閣下 |
選挙区廃止 |
先代 チャールズ・ウェルズリー卿 ヘンリー・コンブ・コンプトン |
庶民院議員(南ハンプシャー選挙区選出) 1852年 – 1857年 同職:ヘンリー・コンブ・コンプトン |
次代 サー・ジャーヴォイス・クラーク=ジャーヴォイス準男爵 ラルフ・ダットン閣下 |
イギリスの爵位 | ||
先代 ジョージ・チャムリー |
チャムリー侯爵 1870年 – 1884年 |
次代 ジョージ・チャムリー |