ノート:国葬
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話題
[編集]戦後日本では、いわゆる国葬というのが規定されていなかったはずでしたので、あの形で書きましたが実際の所どうでしょうか。昭和天皇の場合を除いては確か宮家も含めて私的な形で行ってきたはずですが。また、大正天皇の皇后(確か終戦後の記憶があるが細かくは覚えていない)や昭和天皇の皇后の場合はどうだった確証がないので。Sat.K 2004年7月6日 (火) 11:15 (UTC)
- 吉田茂は国葬だったような記憶があるんですが、思い違いでしょうか? martin 2004年7月6日 (火) 11:22 (UTC)
- 吉田茂は国葬でした。[1] ただし国葬令[2]によるものではなく閣議決定によるもの。Tietew [Talk] 2004年7月6日 (火) 11:43 (UTC)
1926年以前の「国葬」?
[編集]勅令第324号が1926年発布なのに、本文ではそれ以前に「国葬」が存在したかのような記述になっているのは何故でしょう? 勅令第324号に基づくならば東郷平八郎よりも前の葬儀は国葬では無かったことになるのでは。何か別の法的根拠か閣議決定が記述抜けになってるんでしょうか。-Caspar 2008年6月5日 (木) 08:58 (UTC)
荒らしと思われる編集
[編集]荒らしと思われる編集が行われています。対応をお願い致します。--Yumichi0305(会話) 2022年7月14日 (木) 09:40 (UTC)
- 荒らしをしていたアカウントはブロックされ、記事は半保護されました。--春春眠眠 🗨️会話 2022年7月14日 (木) 09:42 (UTC)
吉田茂の葬儀における国葬と国葬儀
[編集]長くなりますがよろしくお願いします。
床次徳二と田中龍夫両氏の答弁をもって、「したがって、『国葬』は単に国費を持って葬儀を行うにとどまらず、国民がその喪に服することまでもを要求するものであり、単に国家が費用を支出して行う葬儀については『国葬儀』として区別するべきであるとしている。」との解釈に疑義がありますので、ご検証下さい。
- 吉田の葬儀は事実上の国葬:佐藤政府が重視したのは、国葬と国葬儀の区別ではなく、「国費で葬儀を行うことを閣議決定することで事実上の国葬を行える」としたことです(『故吉田茂国葬儀記録』よりNHK検証)。当の佐藤総理も「国葬の儀を取り計らうよう命じた[3][4]」、「吉田さんの国葬についての御批判がございましたが…[5]」と、区別していません。
- 床次の答弁:昭和44年7月国会「過般の国葬につきましては、国の経費をもって行なう葬儀という考え方で…[6]」など、吉田の葬儀を国葬と認識しています。Wikipediaに引用の答弁「儀という字が入っておる。国葬そのものではない」のロジックは不明ですが、通読するに単に吉田の国葬はこれまでの国葬とは違うという意味と解され、(事実上の)国葬を否定したわけではない。
- 田中の答弁:昭和43年4月国会「過ぐる吉田前総理等の国葬につきましては…[7]」など、吉田の葬儀を国葬と認識しています。また、Wikipediaに引用の答弁は国葬と国葬儀を区別するべきとしたのではなく、「国民の服喪を定めるような立法はせず、国民感情を踏まえて行政措置で行うのが適切」との趣旨です。
- 公式な国葬儀の定義はない:2022年現在、内閣法制局作成の「憲法関係答弁例集」には「国葬とは、国の意思により国費をもって国の事務として行う葬儀をいう」とあり、ほか国葬儀の定義はないようです。
- 岸田総理も「国葬儀、いわゆる国葬を執り行うことといたしました」「国葬を行っていきたいと思っているところでございます」の発言あり(経団連夏季フォーラム2022) 。
以上から、「国葬と国葬儀を区別するべきであるとしている」旨には誤認があり、床次徳二と田中龍夫両氏の答弁にかかる記述は不要として差し戻すことを提言します。いかがでしょうか?--Valuable space(会話) 2022年10月19日 (水) 04:27 (UTC)
- 賛成 同じ違和感を感じ、このノートを発見しましたのでコメントいたします。床次長官の答弁では確かに「国葬」と「国葬儀」を区別しているようですが、田中龍夫大臣の答弁の趣旨はValuable spaceさんご指摘の通り理解せざるを得ず、議事録を通読しても区別しているとは読み取れません。床次長官の答弁を含めても、国葬が「単に国費を持って葬儀を行うにとどまらず、国民がその喪に服することまでもを要求する」と解することはできず、そう明記した出典もないことから独自研究と思われます。当該部の削除も問題ないと考えます。--ratexio(会話) 2023年1月10日 (火) 13:32 (UTC)