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[[ファイル:Chiang Kai-shek, Li Zongren and XGOA microphone 19480520.jpg|230px|thumb|left|蔣介石]] |
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[[中華民国]]の国家元首は当初、[[中華民国大総統]]という名称だったが、[[国民政府]]の発足後に中華民国国民政府主席となり、[[1947年]]の[[中華民国憲法]]施行以降は'''中華民国総統'''となっている。 |
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2020年9月15日 (火) 13:13時点における版
中華民国 総統 中華民國總統 President of the Republic of China | |
---|---|
総統府紋章 | |
中華民国統帥旗 | |
庁舎 | 中華民国総統府 |
指名 | 中国国民党中央委員会(間接選挙時代) |
任命 | 国大代表による間接選挙(1990年まで) 自由地区の住民による直接選挙(1996年から) |
任期 | 1996年まで:6年(臨時条款によって3選禁止規定は凍結) 1996年から:4年(3選禁止) |
根拠法令 | 中華民国憲法 動員戡乱時期臨時条款(1991年まで) 中華民国憲法増修条文(1991年から) |
前身 | 国民政府主席 |
初代就任 | 蔣介石 |
創設 | 1948年5月20日 |
職務代行者 | 中華民国副総統 (頼清徳) |
ウェブサイト | 総統府公式サイト |
中華民国総統(ちゅうかみんこくそうとう、正体字:中華民國總統、英語: President of the Republic of China)は、中華民国の元首である。なお、台湾に政体を置く以前の中華民国の総統に関しては、中華民国大総統を参照。
概要
名称
中華民国の国家元首は当初、中華民国大総統という名称だったが、国民政府の発足後に中華民国国民政府主席となり、1947年の中華民国憲法施行以降は中華民国総統となっている。
中国語において総統とは日本語の大統領と同義の言葉だが、日本では漢字のまま総統とし台湾総統と呼ぶことが多い。中華民国が日本と国交を有していた時代の日本語の外交文書では、中華民国大統領[1]や支那共和国大統領[2]も見られた。中華民国が中華人民共和国とは別個の国家であることを強調する意図で、台湾大統領や中華民国大統領の表記を好む人もいる。中華人民共和国では、1949年に中華人民共和国が成立して以降、台湾にある中華民国政府を認めていないため、台湾地区領導人(台湾地区の指導者)という表現を使う事が多い。
選出
1990年の第8回総統選挙までは、国民大会が正副総統を選出し、任期は6年間だったが、1994年に行われた憲法改正により、1996年に実施された第9回総統選挙からは、中華民国国民による直接選挙(中華民国総統選挙)によって選出されるようになった。
アメリカ合衆国の制度にならい任期は4年間とされ、再選も1回まで(すなわち3選以上はされない)に制限された。被選挙権は満40歳以上の中華民国国民に与えられており、正副両候補がペアで立候補する。
罷免・弾劾
- 正副総統の罷免案は、立法委員の4分の1の発議を経て、3分の2の同意によって提出でき、住民投票で有権者数の過半数が投票し、有効投票総数の過半数が罷免に同意した場合に通過する。(憲法増修第2条第9項)
- 立法院が提出した正副総統の弾劾案が、司法院大法官の審理を経て憲法法廷の判決が成立したとき、被弾劾者は即時解任される。(憲法増修第2条第10項)
なお、総統は内乱罪又は外患罪を犯した場合を除いて、罷免又は解任を経た後でなければ刑事上の訴追を受けない。 (憲法第52条)
主な権限
- 中華民国国軍の統帥権
- 条約の締結及び宣戦・講和
- 法律の公布及び緊急命令の発布
- 戒厳令の宣布(立法院の可決、追認、要請が必要)
- 法に基づき大赦・特赦・減刑及び復権を行う権限
- 行政院長(中華民国の首相)の指名・任命権(立法院の同意が不要)
- 司法院正副院長の指名・任命権(立法院の同意が必要)(憲法増修第5条第1項)
- 考試院正副院長の指名・任命権(立法院の同意が必要)(憲法増修第6条第2項)
- 監察院正副院長の指名・任命権(立法院の同意が必要)(憲法増修第7条第2項)
- 立法院の解散権(立法院で行政院長不信任案が通過した場合に限る)(憲法増修第2条第5項)
護衛軍
憲兵は平時においては軍隊内部の秩序・規律を維持し、規律正しさから特殊な任務を担うことも多いが、中華民国総統府区域の警備に当たっているのも憲兵である。この憲兵のワッペンには「カイチ」(獬豸、かいち)が使われている。「カイチ」の「豸」の字は「法治」を意味することから、古くから漢人は「法治」の精神をカイチを使って表現し、正義や公正を象徴する「祥獣」(瑞獣の一種)となったためである。
総統の一覧
中華民国政治関連項目 |
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与党(少数与党) | ||||
その他台湾関係記事 | ||||
中華民国関係記事 | ||||
1947年の中華民国憲法施行後。これ以前は国民政府主席一覧を参照。
代 | 期 | 総統 | 所属政党 | 在任期間 | 副総統 | 備考 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1 | 蔣介石 | 中国国民党 | 1948年5月20日 - 1949年1月21日 |
李宗仁 | |||
- | 李宗仁[3] | 1949年1月21日 - 1949年11月20日 |
(空席) | 総統代行 | ||||
閻錫山[4] | 1949年11月20日 - 1950年3月1日 | |||||||
(1) | 蔣介石[5] | 1950年3月1日 - 1954年5月20日 |
李宗仁[6] | |||||
2 | 1954年5月20日 - 1960年5月20日 |
陳誠 | ||||||
3 | 1960年5月20日 - 1966年5月20日 |
|||||||
4 | 1966年5月20日 - 1972年5月20日 |
厳家淦 | ||||||
5 | 1972年5月20日 - 1975年4月5日 |
在任中に死去 | ||||||
2 | 厳家淦 | 1975年4月6日 - 1978年5月20日 |
(空席) | 副総統から昇格 | ||||
3 | 6 | 蔣経国 | 1978年5月20日 - 1984年5月20日 |
謝東閔 | ||||
7 | 1984年5月20日 - 1988年1月13日 |
李登輝 | 在任中に死去 | |||||
4 | 李登輝 | 1988年1月13日 - 1990年5月20日 |
(空席) | 副総統から昇格 | ||||
8 | 1990年5月20日 - 1996年5月20日 |
李元簇 | ||||||
9 | 1996年5月20日 - 2000年5月20日 |
連戦 | ||||||
5 | 10 | 陳水扁 | 民主進歩党 | 2000年5月20日 - 2004年5月20日 |
呂秀蓮 | |||
11 | 2004年5月20日 - 2008年5月20日 |
|||||||
6 | 12 | 馬英九 | 中国国民党 | 2008年5月20日 - 2012年5月20日 |
蕭万長 | |||
13 | 2012年5月20日 - 2016年5月20日 |
呉敦義 | ||||||
7 | 14 | 蔡英文 | 民主進歩党 | 2016年5月20日 - 2020年5月20日 |
陳建仁[7] | |||
15 | 2020年5月20日 - 現職[8] |
頼清徳 |
脚注
- ^ 日本国と中華民国との間の平和条約(昭和27年条約第10号)
- ^ 山東懸案解決に関する条約(大正11年条約第3号)
- ^ 蔣介石が引退宣言をしたため総統代行に就任。
- ^ 行政院長兼任。李宗仁が香港に逃亡したため、憲法49条の規定に基づいて総統代行に就任。
- ^ 1949年12月に国民政府が台湾に移り総統へと復帰。
- ^ 香港への逃亡を経てアメリカに亡命し、職務不履行となったため、1954年3月10日に国民大会で弾劾された。
- ^ 無所属(無党籍)で民主進歩党副総統候補に指名された。
- ^ “【台湾・総統選】蔡英文氏が再選決める 韓国瑜氏は敗北認める”. 産経ニュース (2020年1月11日). 2020年2月20日閲覧。