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2020年9月7日 (月) 22:33時点における版

[1]

江口 一雄
えぐち かずお
生年月日 (1937-09-25) 1937年9月25日
出生地 千葉県八千代市
没年月日 (2014-11-27) 2014年11月27日(77歳没)
出身校 千葉大学
前職 農業、県議会議員4期
現職 八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者)
所属政党 自由民主党(細田派)
称号 旭日重光章
親族 祖父・江口茂八(第10代阿蘇村長)

日本の旗 衆議院議員
選挙区 (旧千葉1区→)
千葉2区
当選回数 3回
在任期間 1986年 - 1993年
1996年 - 2000年

選挙区 八千代市選挙区
当選回数 4回
在任期間 1974年 - 1986年
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江口 一雄(えぐち かずお、1937年昭和12年)9月25日 - 2014年平成26年)11月27日)は、日本政治家。元衆議院議員(当選3回)。元自民党副幹事長、防衛政務次官運輸政務次官、衆議院厚生委員長自民党商工部会長学校法人八千代松陰学園理事長(事実上の創立者、創業者)。千葉県神社総代会長日本会議千葉会長。

経歴

千葉県印旛郡阿蘇村村上(現・八千代市)出身。父が太平洋戦争フィリピンルソン島にて戦死。千葉県立佐倉第一高等学校卒業。千葉大学園芸別科修了。

1974年5月、千葉県議会議員補欠選挙に立候補して初当選し、その後4期務める。

1978年山口久太に約1万坪の土地を無償提供し、八千代松陰高等学校創立に尽力。副理事長就任。

1986年第38回総選挙始関伊平の後継として自由民主党公認で旧千葉1区より立候補し、初当選。小選挙区制導入後は、千葉2区より出馬。

1990年12月、第2次海部改造内閣で防衛政務次官となる。1991年11月に衆議院安全保障委員会理事、自民党交通部会副部会長、1992年12月に自民党副幹事長に就任。

1993年、八千代松陰学園理事長。

1996年10月、安全保障委員会筆頭理事、自民党財政部会長代理となる。1997年9月、第2次橋本改造内閣で運輸政務次官となる。

2000年第42回衆議院議員総選挙で落選、2003年第43回衆議院議員総選挙で2度目の落選。政界引退。

2009年11月、財団法人協和協会会長代行に就任(会長ポストは空席)。

2014年11月27日、八千代市の病院で膵臓がんのため死去[1]。77歳没。叙従四位[2]

栄典

2007年(平成19年)11月、平成19年秋の叙勲において旭日重光章を受ける。

脚注

  1. ^ 江口一雄氏が死去 77歳 千葉日報ウェブ ちばとぴ 2014年11月28日
  2. ^ 2014年12月25日官報

関連項目