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2020年9月2日 (水) 13:20時点における版
ジョニー・ムルタ | |
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2011年WSJS表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | アイルランド |
出身地 | ミーズ県・ナヴァン |
生年月日 | 1970年5月14日(54歳) |
騎手情報 | |
初免許年 | 1989年 |
騎手引退日 | 2014年 |
ジョニー・ムルタ(Johnny Murtagh、1970年5月14日 - )は、アイルランドの元騎手で現在は調教師。父のジョン・ムルタも元騎手。
発音の関係でジョン・ムルタと呼ばれることも多い。香港における名前の中文表記は莫狄。
人物
エイダン・オブライエン厩舎のスーパー・サブとしての代打騎乗も多く、その期待に応えることも多い。2008年からは、キーレン・ファロンが18か月の騎乗停止になったこともあり、オブライエン厩舎の主戦騎手となる。
来歴
キルダーレの騎手養成学校に入学し、その後騎手となる。1989年、ジョン・オックス厩舎の見習騎手となり、同年のアイルランドの最優秀見習い騎手となる。
1992年に第1回ヤングジョッキーズワールドチャンピオンシップで来日し、初戦のオープニングカップには重量オーバーで騎乗できなかったものの、第3戦のセレブレイションカップに優勝し、総合では3位に入る(この時の優勝はランフランコ・デットーリ騎手)。
1995年と翌1996年にはアイルランドのリーディングジョッキーに輝く。
1999年、JRAの短期免許を取得する。95戦4勝の成績であった。
2000年にはシンダーでダービーステークス、凱旋門賞に勝利した。
2011年、第25回ワールドスーパージョッキーズシリーズにおいて48ポイント(7着・3着・5着・1着)を獲得し、優勝。
2013年、調教師免許を取得し、騎手と兼任する。
2014年、騎手を引退し、調教師に専念する。
主な騎乗馬
- シンダー(1999年 ナショナルステークス 2000年 エプソムダービー、アイリッシュダービー、凱旋門賞)
- ペトルーシュカ(2000年 アイリッシュオークス、 ヨークシャーオークス、オペラ賞)
- ロックオブジブラルタル(2002年 2000ギニー)
- ハイシャパラル(2002年 エプソムダービー)
- アラムシャー(2003年 アイリッシュダービー、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)
- モティヴェーター(2005年 エプソムダービー)
- ディラントーマス(2007年 キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス)
- デュークオブマーマレード(2008年 ガネー賞、タタソールズゴールドカップ、プリンスオブウェールズステークス、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス、インターナショナルステークス)
- ソルジャーオブフォーチュン(2008年 コロネーションカップ)
- ヘンリーザナビゲーター(2008年 2000ギニー、アイリッシュ2000ギニー、セントジェームズパレスステークス、サセックスステークス)
- イェーツ(2008年 アスコットゴールドカップ、ロワイヤルオーク賞 2009年 アスコットゴールドカップ)
- マスタークラフツマン(2008年 フェニックスステークス、ナショナルステークス 2009年 アイリッシュ2000ギニー、セントジェームズパレスステークス)
- フェイムアンドグローリー(2008年 クリテリウムドサンクルー 2009年 アイリッシュダービー)
- アゲイン(2009年 アイリッシュ1000ギニー)
- ダンシングレイン(2011年エプソムオークス)
外部リンク
- Johnny Murtagh(英語版) (@JohnnyMurtagh) - X(旧Twitter)