「デロリアン・モーター・カンパニー」の版間の差分
m 曖昧さ回避ページフォーブスへのリンクを解消、リンク先をフォーブス (雑誌)に変更(DisamAssist使用) |
m Bot作業依頼: アイルランド島における32県の改名に伴うリンク修正依頼 (アントリム県) - log |
||
10行目: | 10行目: | ||
== 企業概要 == |
== 企業概要 == |
||
[[1975年]]10月24日、当時[[ゼネラルモーターズ]]の副社長であった{{仮リンク|ジョン・デロリアン|en|John DeLorean}}が、理想の車を作るためにGMを辞職し独立して自ら設立したのがデロリアン・モーター・カンパニー(''Delorean Motor Company Ltd.'' 、'''DMC''')である。本社は[[ミシガン州]][[デトロイト]]に、製造工場は[[イギリス]]・[[北アイルランド]]の[[ベルファスト]]郊外、[[アントリム |
[[1975年]]10月24日、当時[[ゼネラルモーターズ]]の副社長であった{{仮リンク|ジョン・デロリアン|en|John DeLorean}}が、理想の車を作るためにGMを辞職し独立して自ら設立したのがデロリアン・モーター・カンパニー(''Delorean Motor Company Ltd.'' 、'''DMC''')である。本社は[[ミシガン州]][[デトロイト]]に、製造工場は[[イギリス]]・[[北アイルランド]]の[[ベルファスト]]郊外、[[アントリム県]]ダンマリー村にあった。[[1982年]]に[[解散]](詳細は後述)。 |
||
== DMC-12 == |
== DMC-12 == |
2020年8月30日 (日) 23:55時点における版
デロリアン (英: DeLorean) は、
である。
DMC-12という車両、およびデロリアンの名称は、世界的にヒットした映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』に登場するタイムマシンのベースカーとして広くその存在を知られている[1]。
本項では、企業としてのデロリアン社と自動車モデルのDMC-12の両方について解説する。
企業概要
1975年10月24日、当時ゼネラルモーターズの副社長であったジョン・デロリアンが、理想の車を作るためにGMを辞職し独立して自ら設立したのがデロリアン・モーター・カンパニー(Delorean Motor Company Ltd. 、DMC)である。本社はミシガン州デトロイトに、製造工場はイギリス・北アイルランドのベルファスト郊外、アントリム県ダンマリー村にあった。1982年に解散(詳細は後述)。
DMC-12
デロリアン・DMC-12 | |
---|---|
DMC-12(トヨタ博物館所蔵) | |
ガルウイングドアを開放したDMC-12 | |
金メッキ仕様のDMC-12(ネバダ州リノ市) | |
概要 | |
販売期間 | 1981年 - 1982年12月24日 |
デザイン | イタルデザイン・ジウジアーロ |
ボディ | |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
駆動方式 | RR |
パワートレイン | |
エンジン |
2,849 cc PRV ZMJ-159型 ライトアロイ90度V6 SOHC 12バルブチェーン駆動 150 hp (EUR)/5,500 rpm 130 hp (US)/5,500 rpm |
変速機 | 5速MT/3速AT |
前 |
前:不等長ダブルウィッシュボーン 後:ダイアゴナルトレーリングラジアスアーム |
後 |
前:不等長ダブルウィッシュボーン 後:ダイアゴナルトレーリングラジアスアーム |
車両寸法 | |
ホイールベース | 2,408 mm |
全長 | 4,267 mm |
全幅 | 1,988 mm |
全高 | 1,140 mm |
車両重量 | 1,244 kg |
長い開発期間を経て1981年に登場した同社唯一のモデル『DMC-12』は、イタルデザインのジョルジェット・ジウジアーロがデザインし、ロータス・カーズがメカニカル設計を請け負った。
バックボーンフレーム上にFRPボディーを載せる構造はロータスが得意とした手法であるが、メンテナンスフリーをも狙って外部全体を無塗装ステンレスで覆った。表面は加工時のサンドペーパーの傷をそのまま残したヘアラインとなっている。なお車高や最低地上高が高いのは、当時の法的基準におけるヘッドランプの高さを満たすためと、北米の道路事情を配慮した実用性確保のためである。
エンジンはプジョー・ルノー・ボルボが乗用車用に共同開発した排気量2,849 ccのPRVV型6気筒SOHCをフランスで製造したもので、これを後部に搭載するリアエンジンレイアウト(RR)を採った。このパワートレインとレイアウトは、トランスミッションの歯車比やエンジンのチューニングは異なるものの、アルピーヌ・ルノーA310・V6とも共通する。このエンジンは当初90°バンクのV型8気筒として設計されていたが、1973年のオイルショックの影響で出力よりも経済性を重視せざるを得なくなり、そのままのバンク角で2気筒を切り落とした経緯を持つ実用型である。後に位相クランクピンの採用で60°ずつの等間隔爆発となるが、この当時は不等間隔爆発のままであった。
前宣伝の効果も手伝って、多くのバックオーダーをかかえる中でのスタートとなり、初年度は約6,500台を販売するなど売り上げは好調であった。この時期はターボチャージャーの搭載や、4枚ガルウイングドアの4座仕様などの追加計画もあったが、発売価格が2万5,000ドル[2]、現在の価値で$83,785ドル[3]と高額であったことや、大量のキャンセルなどから、翌年以降はたちまち売り上げ不振に陥った。
DMC-12の短い生産期間中には風変わりなバージョンも製造された。1981年モデルの最後を締めくくったのが2台の純金パネル仕様車(1台12万5,000ドル。現在の価値で$418,924ドルという)で、1台は現在もネバダ州リノのNational Auto Museumに展示、もう1台はテキサス州のSnyder Bankに展示されていたが2004年頃に撤去された。なお、最後に製造された車も純金パネルであったが、これは宝くじのような富くじ方式で一般人の手に渡った。
北アイルランドへの工場誘致の条件として交付されていたイギリス政府からの補助金が停止された。後にエンロンの会計監査も行ったアーサー・アンダーセンが、デロリアン社の資金を社長ジョン・デロリアンが私的に流用するなどしたことを黙認していたことがマスメディアの調査などで明らかになっている。
さらに1982年10月19日に、社長のジョン・デロリアンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生したことにより、会社は資金繰りが立ち行かなくなり、倒産に至った[4][5]。しかしこれはデロリアンを恨んだものによる濡れ衣で、後にデロリアンは無罪となる。
最終生産車が作られたのは工場閉鎖後のことで、工場に残っていたパーツ等で1982年12月24日に作られた4台が一般向け生産の最後となった。最終的に8,583台が製造されたと見られているが、500台が調整用として確保されたため実質8,083台と思われる。
ジョン・デロリアンとDMC-12のその後
これら多くの逸話・スキャンダルを伴った希少性と、生産終了後の映画「バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ」での活躍によって、DMC-12は1980年代を代表する著名なカルトカーとなり、21世紀初頭の現代でも多くの自動車マニアのコレクション対象となっている。倒産後のデロリアンの設備を取得したスティーブン・ウィン(Stephen Wynne)は、現在もDMC-12のオーナーに修理用パーツを供給し続けており、1台丸ごと新車を組み立てることも可能である。
ジョン・デロリアンは、麻薬売買に関わった容疑で逮捕されたものの、裁判の末、のちに無罪となった。彼はその後も、再び新たな高性能車を創造するプランを抱いていたが、新モデルの開発・発売を果たすことなく、2005年3月19日に死去した[6]。
DMC-12の再生産計画
DMC-12の修理などを行っているスティーブン・ウィンは2007年8月、DMC-12を再生産することを明らかにした。
しかし、近年の衝突安全基準や排出ガス規制等に合わせて設計を変更することは困難であり、再生産車では車検に適応し一般道を走らせることはほぼ不可能なため、展示用や富裕層のコレクターズアイテム的な目的で出荷されている。
スティーブン・ウィンは、アメリカのテキサス州ヒューストン郊外に約3,700平方メートルの工場を建設し、そこで新DMC-12を再生産することを計画している。オリジナルのDMC-12には電装系や配線などにトラブルがあったが、新バージョンではそれらは改善される予定である。生産台数は、月20台とデロリアン社時代と比べて減るものの、ファンからの期待は高いようである[7]。
現在、全ての補給部品と現行品による新車もデロリアン・モーター・カンパニーに注文できる。また整備、中古車の売買の仲介等も行なっているようである。
2011年10月、スティーブン・ウィンはベンチャーEVメーカー・Epic EV と協力し、DMC-12を2013年までに電気自動車化して生産する計画を発表していた[8]。
DMCevのプロトタイプは、ヒンジで開閉するフロントのダミーグリルの奥に充電用プラグインソケットを持ち、フロントトランク内の左右と旧エンジンルーム前側にリチウムイオンバッテリーを搭載する。交流240V電源による3.5時間充電で、約100マイルの市街地走行が可能とされ、バッテリーの予想寿命は7年もしくは10万マイルとされている。ラゲッジスペースの両側約2/3がバッテリーに占領されているが、燃料タンクやスペアタイヤが無いため、中央部はある程度の長さと深さが確保されている。
電動機は1基で、水冷、直流400V、出力215kW(260hp)/5,000 - 6,000rpm、トルク488Nm(49.7kgf・m)/0 - 7,200rpm、最高回転数14,000rpmの仕様のものをリアオーバーハングの低い位置に搭載し後輪を駆動する。組み合わされる変速機はギア比2.65:1の1速永久固定、ファイナルドライブのギア比は3.12:1で、最高速度201km/h、0 - 60mph(≒0 - 100km/h、いわゆる「ゼロヒャク」)加速は4.9秒と発表されている。
後述する既存のデロリアンをハンドメイドでEV化するものとは異なり、当初からEVとして販売を予定していた[9]。
展示されている博物館
その他
- 新車発売当時は、日産が販売ディーラーになるとの話もあった[10]。
- 日本の公道で走行するためDMC-12が車検を取得した場合、自動車検査証の車名表記は「デローリアン」となる。
- 全体として、モデルは前期型・中期型・後期型に分けられるとされている。前期型はボンネット脇に2本のプレスラインが入り給油口がある、中期型は給油口がなくなっており、ボンネットを開けて給油する事となる(尚、BTTFで用いられたのもこのタイプ)、後期型は2本のプレスラインが消え、一番右下に「DeLorean」のエンブレムがある、という特徴がある。[11]
- かつて北海道函館市にあった、函館出身のロックバンドGLAYの記念館、Art Style of GLAYでは、鏡の部屋に半分だけのDMC-12が展示されてあり、観覧客が乗り込むことも可能だった。これは、メンバーのHISASHIお気に入りの映画が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であることと、自身の車好きのためだと推測される(彼は別冊カドカワのGLAY総力特集[12]での対談でもDMC-12について語っている)。
- 映画評論家の有村昆が所有し、メディアで度々取り上げられていたが、2015年に売却。
- 俳優の京本政樹も所有しており、一度は手放していたが2013年に再度入手している。
- 栃木県那須郡那須町にある那須PSガレージにもノーマル状態とタイムマシン仕様の2台が展示されており、タイムマシン仕様のDMC-12としてはUSJ内に展示されているものよりも精巧である。
- USJの物はバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライドクローズ時に460万1000円でオークションで売却されている。
- 愛知県豊橋市にDMC Japanがあり、DMCからのライセンス供与を受け、修理や輸入代行を行っている。DMCevの輸入代行と国内適合も行なう予定である。
- また、変わったエンジンスワップが行われたケースもある。
- 現時点において米国と日本で電気自動車に改造する事例が確認されており、日本においては、日本EVクラブ広島支部が広島国際学院大学自動車短期大学部内に場所を借り、DMC-12を電気自動車に改造するプロジェクトを実行。リチウムイオンバッテリーを搭載し、2009年3月11日に車検を通してナンバーを取得した[13]。
- また、電気自動車の他にも、ロータリーエンジンを搭載したケース等もある。
- 映画バック・トゥ・ザ・フューチャーの未来へのタイムスリップ記念に、DMC-12を衣服等から生成したバイオエタノール燃料で走行できるようにしたケースもある。映画のシーンのようにごみを直接投入することで稼働することはないが、リサイクル工場にて生成されたものを利用するものである[14]。
脚注
- ^ その一例として、ゴールデンボンバー「令和」歌詞中の「三十年前からすりゃこんな世界なんてデロリアンに乗ってみなきゃわからないだろ」と言う一文がある上に同曲の公式PVではタイムマシン仕様(BTTF2仕様と思われる)のDMC-12が登場している
- ^ 日本円では当時の為替レートで計算すると約1600万円に相当。
- ^ “What is a dollar worth?”. The Federal Reserve Bank of Minneapolis. 2007年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。May 9, 2008閲覧。
- ^ デロリアンの歴史
- ^ 5分で分かるデロリアンの歴史
- ^ “デロリアン氏、80歳で死去”. Response. (株式会社イード). (2005年3月22日) 2016年4月12日閲覧。
- ^ “デロリアン、時を超えた「復活」”. Wired. 2016年1月29日閲覧。
- ^ “「バック・トゥ・ザ・フューチャー」でおなじみの「デロリアン」が電気自動車になって復活 - ねとらぼ”. ITmedia. 2014年7月10日閲覧。 - なお、この記事によるとスティーブン・ウィンは現在DMCの商標を取得しているとあり、プレスリリースもDMC名義で発表されている。
- ^ Delorean .com DMC ev[リンク切れ]
- ^ SUPERCAR.NET内での紹介ページ(2010年7月16日時点でのアーカイブ)
- ^ デロリアン(DMC-12)について
- ^ 『別冊カドカワ 総力特集 GLAY』 角川書店<カドカワムック 213>、2005年1月 ISBN 4-04-894456-8
- ^ 公式ブログ「デロリアンEV化計画」
- ^ FUKU-FUKU×BTTF Go!デロリアン走行プロジェクト