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デロリアン・モーター・カンパニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
デロリアン・モーター・カンパニーのロゴタイプ。

デロリアン・モーター・カンパニー (: Delorean Motor Company Ltd., DMC) は、1975年から1982年まで存在したアメリカ合衆国自動車メーカーである。

概要[編集]

ゼネラルモーターズ(GM)の副社長であったジョン・デロリアン英語版が、理想の車を作るためにGMを辞職して独立し、1975年10月24日にDMCを設立した。本社はミシガン州デトロイトに置き、製造工場はイギリス北アイルランドベルファスト郊外、アントリム県ダンマリー村にあった。

しかし、北アイルランドへの工場誘致の条件として交付されていたイギリス政府からの補助金は停止された。後にエンロンの会計監査も行ったアーサー・アンダーセンが、DMCの資金を社長のジョンが私的に流用するなどしたことを黙認していたことがマスメディアの調査などで明らかになっている。

さらに1982年10月19日、ジョンがコカイン所持容疑で逮捕されるスキャンダルが発生し、会社は資金繰りが立ち行かなくなり倒産[1][2]、同年10月26日にDMCは破産を申請した[3]

デロリアン[編集]

デロリアン

長い開発期間を経て1981年に登場した同社唯一のモデル「デロリアン」は、イタルデザインジョルジェット・ジウジアーロがデザインし、ロータス・カーズが機械設計を請け負った。当初は好調な売り上げを記録したが、高額さや大量の解約の発生などから、発売翌年以降は売り上げ不振に陥った。

1981年1月21日から1982年12月24日までの間に、推定8,975台のデロリアンが製造された[4]。2015年現在では約6,500台が現存するものとされている[5]

倒産後の動向[編集]

デロリアンはこれら多くの逸話やスキャンダルを伴った希少性と、生産終了後に公開された映画『バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズ』に登場するタイムマシンのベース車として広くその存在を知られたことでカルト的な人気を獲得し、21世紀の現代でも多くの自動車マニアコレクション対象となっている。

倒産後のデロリアンの設備ならびに社名譲渡の権利を取得したスティーブン・ウィンは、2022年現在も「デロリアン・モーター・カンパニー」の社名でデロリアンのオーナーに修理用パーツを供給し続けており、1台丸ごと新車を組み立てることも可能である。

ジョン・デロリアンは麻薬密売への関与の疑いで逮捕されたが、1984年8月に無罪判決が下った[6]。ジョンはその後も新たな高性能車を創造する計画を抱いていたが、新モデルの開発を果たすことなく、2005年3月19日に80歳で死去した[7]

その他[編集]

  • 新車発売当時は、日産が販売ディーラーになるとの話もあった[8]
  • 日本の公道で走行するためDMC-12が車検を取得した場合、自動車検査証の車名表記は「デローリアン」となる。
  • かつて北海道函館市にあった、函館出身のロックバンドGLAYの記念館、Art Style of GLAYでは、鏡の部屋に半分だけのDMC-12が展示されてあり、観覧客が乗り込むことも可能だった。これは、メンバーのHISASHIお気に入りの映画が『バック・トゥ・ザ・フューチャー』であることと、自身の車好きのためだと推測される[注 1]
  • 映画評論家の有村昆が所有し、メディアで度々取り上げられていたが、2015年に売却。
  • 俳優の京本政樹も所有しており、一度は手放していたが2013年に再度入手している。
  • USJの物はバック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライドクローズ時に460万1000円でオークションで売却されている。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 彼は別冊カドカワのGLAY総力特集[9]での対談でもDMC-12について語っている。

出典[編集]

  1. ^ デロリアンの歴史
  2. ^ 5分で分かるデロリアンの歴史
  3. ^ DeLorean Motor Files Bankruptcy”. ニューヨーク・タイムズ (1982年10月26日). 2021年9月24日閲覧。
  4. ^ James Espey (2014). The Illustrated Buyer's Guide to DeLorean Automobiles, p. 115–117.
  5. ^ DeLoreans still ply the roads -- and memories”. USA Today. 2021年4月2日閲覧。
  6. ^ DeLorean is freed of cocaine charge by a Federal jury (1984年8月17日). ニューヨーク・タイムズ
  7. ^ “デロリアン氏、80歳で死去”. Response. (株式会社イード). (2005年3月22日). http://response.jp/article/2005/03/22/69063.html 2016年4月12日閲覧。 
  8. ^ SUPERCAR.NET内での紹介ページ(2010年7月16日時点でのアーカイブ)
  9. ^ 『別冊カドカワ 総力特集 GLAY』 角川書店<カドカワムック 213>、2005年1月 ISBN 4-04-894456-8

関連項目[編集]

外部リンク[編集]