「パトリキウス」の版間の差分
m 一部の出典にTemplate:Sfnを使用。画像を移動。 |
m Bot作業依頼: アイルランド島における32県の改名に伴うリンク修正依頼 (アントリム県) - log |
||
32行目: | 32行目: | ||
== 伝記 == |
== 伝記 == |
||
[[グレートブリテン島]]西部の[[ウェールズ]]で[[ケルト人]]([[ローマ人]]とも)の家庭に生まれた。場所は「バナベム・タバニアイ」とされるが、現在まで特定されていない。両親ともクリスチャンであり、母は詩編を教えた{{sfn|テイラー|p=114}}。16歳でアイルランドの海賊に[[拉致]]されてアイルランドに[[奴隷]]として売られてしまう。6年間、羊飼いとして働き(おそらくは北アイルランドの[[アントリム |
[[グレートブリテン島]]西部の[[ウェールズ]]で[[ケルト人]]([[ローマ人]]とも)の家庭に生まれた。場所は「バナベム・タバニアイ」とされるが、現在まで特定されていない。両親ともクリスチャンであり、母は詩編を教えた{{sfn|テイラー|p=114}}。16歳でアイルランドの海賊に[[拉致]]されてアイルランドに[[奴隷]]として売られてしまう。6年間、羊飼いとして働き(おそらくは北アイルランドの[[アントリム県]])、その後神の声を聞く。1人称で書かれた手紙が残っている。お告げに従い牧場を脱走しておよそ300キロを歩いて、故郷のウェールズへ戻った後、[[神学]]を学ぶため[[ヨーロッパ大陸]]へ渡った。彼は7年間神学を学んだ後に帰国する。 |
||
彼は自分を奴隷として虐待したアイルランド人らに対する愛と伝道の使命を与えられたと家族に話したが、彼らは伝道に反対した{{sfn|テイラー|p=116}}。[[432年]]、ローマ司教・[[カエレスティヌス1世 (ローマ教皇)|カエレスティヌス]]から布教の命を受け、[[432年]]に再びアイルランドを訪れる。伝道のためにアイルランドへ行った最初の人間でも、唯一の人物でもなかったが、大規模な改宗の象徴となっている。 |
彼は自分を奴隷として虐待したアイルランド人らに対する愛と伝道の使命を与えられたと家族に話したが、彼らは伝道に反対した{{sfn|テイラー|p=116}}。[[432年]]、ローマ司教・[[カエレスティヌス1世 (ローマ教皇)|カエレスティヌス]]から布教の命を受け、[[432年]]に再びアイルランドを訪れる。伝道のためにアイルランドへ行った最初の人間でも、唯一の人物でもなかったが、大規模な改宗の象徴となっている。 |
2020年8月30日 (日) 23:53時点における版
聖パトリック | |
---|---|
聖人、司教 | |
崇敬する教派 | カトリック教会、正教会 |
記念日 | 3月17日 |
パトリキウス(ラテン語: Patricius, 387年? - 461年3月17日)、聖パトリックは、アイルランドにキリスト教を広めた司教(主教)。カトリック教会・聖公会・ルーテル教会・正教会で聖人。「アイルランドの使徒」と呼ばれた[1]。アイルランドの守護聖人。
しばしば英語名で聖パトリック (Saint Patrick) とも呼ばれる。パトリキイとも。アイルランド語ではPádraigと綴り、ポーリクなどと発音する。
伝記
グレートブリテン島西部のウェールズでケルト人(ローマ人とも)の家庭に生まれた。場所は「バナベム・タバニアイ」とされるが、現在まで特定されていない。両親ともクリスチャンであり、母は詩編を教えた[1]。16歳でアイルランドの海賊に拉致されてアイルランドに奴隷として売られてしまう。6年間、羊飼いとして働き(おそらくは北アイルランドのアントリム県)、その後神の声を聞く。1人称で書かれた手紙が残っている。お告げに従い牧場を脱走しておよそ300キロを歩いて、故郷のウェールズへ戻った後、神学を学ぶためヨーロッパ大陸へ渡った。彼は7年間神学を学んだ後に帰国する。
彼は自分を奴隷として虐待したアイルランド人らに対する愛と伝道の使命を与えられたと家族に話したが、彼らは伝道に反対した[2]。432年、ローマ司教・カエレスティヌスから布教の命を受け、432年に再びアイルランドを訪れる。伝道のためにアイルランドへ行った最初の人間でも、唯一の人物でもなかったが、大規模な改宗の象徴となっている。
パトリキウスは異教のドルイド教で火を焚くのが禁じられている日に、丘の上で火を焚いた。アイルランドの王は彼を罰しようとしたが、不思議な力により、王はパトリキウスがまことの神から遣わされたことを信じたという[2]。
また、讃美歌作者としても知られる[2]。彼は365の教会を立て、12万人が回心したと 伝えられている[3]。
パトリキウスについてはいくつもの伝承が語られており、そのうち有名なものの1つは、三つ葉のクローバーに似たシャムロックを手に『三位一体』を説いたというもので、シャムロックは聖パトリキウスのシンボルとなっている。またアイルランドにヘビが居ないことの理由として彼の名前が挙げられることがあり、かつてアイルランド南部のキラニーのそばの湖に賢いヘビがおり、パトリキウスは彼と交渉し、箱のなかに閉じ込めて湖の中に投げ捨てたという物語りがある[4]。そのさい「明日になったら出してやる」と約束されたので「もう、あしたになったかな?(Is to-morrow come yet?)」という哀れな声を漁師が聞いたという。
聖パトリックの日
パトリキウスの命日3月17日は西方教会で記念日とされる。現在のカトリック教会では任意の記念日であるが、アイルランドやアイルランド移民の多いアメリカ、オーストラリアでは、聖パトリックの日(St. Patrick's Day)として盛大に祝われている。とくにアメリカでは世俗化し、カトリック信徒でないものでも緑の服を着るなどしてこの行事に参加する人も多い。
著書に『聖パトリックの告白』と『コロティクスの兵士への手紙』があるとされている。
脚注
参考文献
- コリン・ジョイス 著、森田浩之 訳『驚きの英国史』NHK出版〈NHK出版新書〉、2012年、108-112頁。ISBN 9784140883808。
- メンデル・テイラー『伝道の歴史的探求』小出忍ほか共訳、福音文書刊行会。[要文献特定詳細情報]