コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「トニー・マレーン」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
6行目: 6行目:
|写真のコメント =
|写真のコメント =
|国籍 =
|国籍 =
|出身地 = {{GBR3}}(現:{{IRL}})[[コーク]]
|出身地 = {{GBR3}}(現:{{IRL}})[[コーク]]
|生年月日 = [[1859年]][[1月30日]]
|生年月日 = [[1859年]][[1月30日]]
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1859|1|30|1944|4|25}}
|没年月日 = {{死亡年月日と没年齢|1859|1|30|1944|4|25}}
28行目: 28行目:
* [[クリーブランド・スパイダーズ]] (1894)
* [[クリーブランド・スパイダーズ]] (1894)
}}
}}
'''アンソニー・ジョン・"トニー"・マレーン'''(Anthony John "Tony" Mullane, [[1859年]][[1月20日]] - [[1944年]][[4月25日]])は、現在の[[アイルランド]]・[[コーク]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[スイッチピッチャー|両投げ]][[スイッチヒッター|両打ち]]。
'''アンソニー・ジョン・"トニー"・マレーン'''(Anthony John "Tony" Mullane, [[1859年]][[1月20日]] - [[1944年]][[4月25日]])は、現在の[[アイルランド]]・[[コーク]]出身の[[プロ野球選手]]([[投手]])。[[スイッチピッチャー|両投げ]][[スイッチヒッター|両打ち]]。


ニックネームは「Count」「The Apollo of the Box」。主にシンシナティ・レッズで活躍し、通算284勝をあげた19世紀の代表的な投手の一人。メジャーリーグ史上初めて、[[スイッチピッチャー|左右の腕で投げた]]という記録も持つ。
ニックネームは「Count」「The Apollo of the Box」。主にシンシナティ・レッズで活躍し、通算284勝をあげた19世紀の代表的な投手の一人。メジャーリーグ史上初めて、[[スイッチピッチャー|左右の腕で投げた]]という記録も持つ。

2020年8月30日 (日) 22:44時点における版

トニー・マレーン
Tony Mullane
基本情報
出身地 イギリスの旗 イギリス(現:アイルランドの旗 アイルランドコーク県
生年月日 1859年1月30日
没年月日 (1944-04-25) 1944年4月25日(85歳没)
身長
体重
5' 10.5" =約179.1 cm
165 lb =約74.8 kg
選手情報
投球・打席 両投両打
ポジション 投手
初出場 1881年8月27日
最終出場 1894年7月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

アンソニー・ジョン・"トニー"・マレーン(Anthony John "Tony" Mullane, 1859年1月20日 - 1944年4月25日)は、現在のアイルランドコーク県出身のプロ野球選手投手)。両投げ両打ち

ニックネームは「Count」「The Apollo of the Box」。主にシンシナティ・レッズで活躍し、通算284勝をあげた19世紀の代表的な投手の一人。メジャーリーグ史上初めて、左右の腕で投げたという記録も持つ。

経歴

1864年にアメリカに移住して野球の選手となり、1881年デトロイト・ウルバリンズに入団。8月27日の試合で強豪だったシカゴ・ホワイトストッキングス(現カブス)から初勝利を挙げるが、同時に指を怪我してしまいこの年は5試合の登板にとどまる。マレーンは元々右投げだったが、右腕の怪我をきっかけにして「左投げ」を独学でマスターしたという。マレーンが当時守備の際にグラブをつけていなかったのも、左右投げを容易にした一因と考えられている。

翌1882年はルイビル・エクリプスに移り、55試合に登板して30勝24敗、防御率1.88、リーグ最多の170奪三振という活躍をし、チームをリーグ2位まで引き上げた。同年7月18日のボルチモア戦では、メジャーリーグ史上初めて1試合の中で腕の左右を変えて投球する記録を残し、また9月11日のシンシナティとの試合ではノーヒットノーランも達成した。

マレーンはその後セントルイス・ブラウンズトレド・ブルーストッキングスと毎年所属するチームを変えながらシーズン30勝以上を挙げ続けたが、1884年のオフに二重契約の問題を起こし(セントルイス・ブラウンズとの契約に口頭で合意しながら、シンシナティ・レッズと5,000ドルの契約を結んだ)、1年間の出場停止処分を受けてしまう。処分の開けた1886年以降マレーンは8年間レッズに在籍し、30勝以上を2度、20勝以上を5度記録するなどチームのエースとして活躍したが、一方で賭博師との関係を新聞に指摘されたり、給料の支払いを廻って球団を訴えたりと何度かトラブルも起こしていた。

30歳を過ぎ、投手-本塁間の距離が60フィート6インチに改正されたことで防御率を大きく落としたマレーンは、1893年にレッズからボルチモア・オリオールズにトレードに出される。この年は18勝22敗と踏ん張ったが、すぐ翌年には名投手ジョン・クラークソンとの交換要員としてクリーブランド・スパイダーズにトレードされ、この年限りでメジャーリーグから引退した。

その後1895年には、チャールズ・コミスキーが監督をしていたウェスタンリーグのセントポール・セインツ(現ホワイトソックスの前身球団)に参加し、1898年にはアメリカンリーグ設立前のデトロイト・タイガースの監督を1年間つとめている。1944年にシカゴで死去。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1881 DTN 5 5 5 0 -- 1 4 0 -- .200 199 44.0 55 2 17 -- -- 7 6 0 42 24 4.91 1.64
1882 LOU 55 55 51 5 -- 30 24 0 -- .556 1927 460.1 418 3 78 -- -- 170 33 0 212 96 1.88 1.08
1883 STL 53 49 49 3 -- 35 15 1 -- .700 1875 460.2 372 3 74 -- -- 191 24 0 222 112 2.19 0.97
1884 TOL 67 65 64 7 -- 36 26 0 -- .581 2364 567.0 481 5 89 -- 32 325 63 0 276 159 2.52 1.01
1886 CIN 63 56 55 1 -- 33 27 0 -- .550 2258 529.2 501 11 166 -- 18 250 53 1 315 218 3.70 1.26
1887 48 48 47 6 -- 31 17 0 -- .646 1763 416.1 414 11 121 -- 32 97 27 0 234 150 3.24 1.29
1888 44 42 41 4 -- 26 16 1 -- .619 1580 380.1 341 9 75 -- 29 186 24 1 194 120 2.84 1.09
1889 33 24 17 0 -- 11 9 5 -- .550 972 220.0 218 4 89 -- 13 112 26 0 133 73 2.99 1.40
1890 25 21 21 0 -- 12 10 1 -- .545 899 209.0 175 7 96 -- 8 91 12 0 101 52 2.24 1.30
1891 51 47 42 1 -- 23 26 0 -- .469 1870 426.1 390 15 187 -- 18 124 18 0 250 153 3.23 1.35
1892 37 34 30 3 -- 21 13 1 -- .618 1246 295.0 222 12 127 -- 12 109 16 0 131 85 2.59 1.18
1893 15 13 11 0 -- 6 6 1 -- .500 566 122.1 130 4 65 -- 9 24 8 0 84 60 4.41 1.59
BLN 34 26 23 0 -- 12 16 1 -- .429 1132 244.2 277 4 124 -- 7 71 21 1 177 121 4.45 1.64
'93計 49 39 34 0 -- 18 22 2 -- .450 1698 367.0 407 8 189 -- 16 95 29 1 261 181 4.44 1.62
1894 21 15 9 0 -- 6 9 4 -- .400 605 122.2 155 4 90 -- 7 43 10 0 117 86 6.31 2,00
CLV 4 4 3 0 -- 1 2 0 -- .333 151 33.0 46 3 10 -- 0 3 2 0 35 28 7.64 1.70
'94計 25 19 12 0 -- 7 11 4 -- .389 756 155.2 201 7 100 -- 7 46 12 0 152 114 6.59 1.93
MLB:13年 555 504 468 30 -- 284 220 15 -- .563 19407 4531.1 4195 97 1408 -- *185 1803 343 3 2523 1537 3.05 1.24
  • 各年度の太字はリーグ最高、赤太字はMLB歴代最高
  • 「-」は公式記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

年度別打撃成績

















































O
P
S
1881 DTN 5 19 19 0 5 0 0 0 5 1 -- -- -- -- 0 -- -- 0 -- .263 .263 .263 .526
1882 LOU 77 316 303 46 78 13 1 0 93 -- -- -- -- -- 13 -- -- -- -- .257 .288 .307 .595
1883 STL 83 320 307 38 69 11 6 0 92 33 -- -- -- -- 13 -- -- -- -- .225 .256 .300 .556
1884 TOL 95 386 352 49 97 19 3 3 131 -- -- -- -- -- 33 -- 1 -- -- .276 .339 .372 .712
1886 CIN 91 350 324 59 73 12 5 0 95 39 20 -- -- -- 25 -- 1 -- -- .225 .283 .293 .576
1887 56 219 199 35 44 6 3 3 65 23 20 -- -- -- 16 -- 4 24 -- .221 .292 .327 .619
1888 51 186 175 27 44 4 4 1 59 16 12 -- -- -- 8 -- 3 21 -- .251 .296 .337 .633
1889 63 225 196 53 58 16 4 0 82 29 24 -- -- -- 27 -- 2 21 -- .296 .387 .418 .805
1890 81 331 286 41 79 9 8 0 104 34 19 -- -- -- 39 -- 6 30 -- .276 .375 .364 .738
1891 64 231 209 16 31 1 2 0 36 10 4 -- -- -- 18 -- 4 33 -- .148 .229 .172 .402
1892 39 130 118 14 20 3 1 0 25 9 4 -- -- -- 9 -- 3 8 -- .169 .246 .212 .458
1893 16 60 52 11 15 0 0 1 18 6 1 -- -- -- 5 -- 3 3 -- .288 .383 .346 .729
BLN 38 119 114 15 26 2 1 0 30 14 5 -- -- -- 5 -- 0 14 -- .228 .261 .263 .524
'93計 54 179 166 26 41 2 1 1 48 20 6 -- -- -- 10 -- 3 17 -- .247 .302 .289 .591
1894 21 61 53 3 21 3 0 0 24 9 2 -- 0 -- 6 -- 2 3 -- .396 .475 .453 .928
CLV 4 18 13 0 1 0 0 0 1 0 1 -- 1 -- 4 -- 0 2 -- .077 .294 .077 .371
'94計 25 79 66 3 22 3 0 0 25 9 3 -- 1 -- 10 -- 2 5 -- .333 .436 .379 .815
MLB:13年 784 2971 2720 407 661 99 38 8 860 *223 *112 -- *1 -- 221 -- *29 *159 -- .243 .307 .316 .623
  • 「-」は公式記録なし
  • 通算成績の「*数字」は、不明年度がある事を示す

タイトル

記録

  • リーグ最多完封:1884年、1887年
  • 通算完投数:468(歴代10位)
  • ノーヒットノーラン:1882年9月11日
  • シーズン30勝達成:5回(1882-1884,1886,1887年)

関連項目

外部リンク