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2006年7月末には「[[コロンビア]]で開催されている国際大会に遠征中、[[エドゥアルド・パレ]]とともに[[亡命]]した」と[[ESPN]]のウェブサイトで報じられ<ref>ESPN.com news services, "[http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=2533062&campaign=rss&source=MLBHeadlines Report: Cuban baseball players defect in Colombia]," ''ESPN.com'', July 28, 2006. 2007年7月29日閲覧。</ref>[[ニューヨーク・ヤンキース]]が獲得に興味との噂が出たが、その後本人が否定した<ref>Enrique Rojas, "[http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?id=2536573 Cuban star Gourriel has no interest in deserting]," ''ESPN.com'', August 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。</ref>。
2006年7月末には「[[コロンビア]]で開催されている国際大会に遠征中、[[エドゥアルド・パレ]]とともに[[亡命]]した」と[[ESPN]]のウェブサイトで報じられ<ref>ESPN.com news services, "[http://sports.espn.go.com/mlb/news/story?id=2533062&campaign=rss&source=MLBHeadlines Report: Cuban baseball players defect in Colombia]," ''ESPN.com'', July 28, 2006. 2007年7月29日閲覧。</ref>[[ニューヨーク・ヤンキース]]が獲得に興味との噂が出たが、その後本人が否定した<ref>Enrique Rojas, "[http://sports.espn.go.com/mlb/columns/story?id=2536573 Cuban star Gourriel has no interest in deserting]," ''ESPN.com'', August 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。</ref>。


{{by|2008年}}8月に開催された[[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]の[[2008年北京オリンピックの野球競技・キューバ代表|野球キューバ代表]]に選出され、2大会連続2度目の選出となった。決勝戦では1点ビハインドの9回に1アウト満塁のチャンスで[[鄭大ヒョン|鄭大炫]]の前に[[併殺打]]に倒れ、キューバは[[2008年北京オリンピックの野球競技・韓国代表|韓国]]に敗北し、[[銀メダル]]に終わった。
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2020年8月28日 (金) 21:49時点における版

ユリエスキ・グリエル
Yulieski Gurriel
ヒューストン・アストロズ #10
2017年7月23日
基本情報
国籍ハイチの旗 ハイチに亡命)
出身地  キューバ
サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス
生年月日 (1984-06-09) 1984年6月9日(40歳)
身長
体重
6' 0" =約182.9 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 一塁手三塁手
プロ入り 2016年 アマチュア・フリーエージェントとしてヒューストン・アストロズと契約
初出場 NPB / 2014年6月8日
MLB / 2016年8月21日
最終出場 NPB / 2014年10月7日
年俸 $8,400,000(2020年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
派遣歴
国際大会
代表チーム キューバの旗 キューバ
五輪 2004年2008年
WBC 2006年2009年2013年
プレミア12 2015年
オリンピック
男子 野球
 キューバ
2004 野球
2008 野球
ワールド・ベースボール・クラシック
2006 野球
映像外部リンク
2009年WBCの対日本戦(2回目)
イチローの犠打を失敗させたダイビングキャッチ(MLB.comによる動画)
映像外部リンク
2013年WBCの対オランダ戦(1回目)
レオン・ボイドから放った本塁打
(MLB.comによる動画)

ユリエスキ・グリエル・カスティーヨYulieski Gourriel Castillo , 1984年6月9日 - )は、キューバ共和国サンクティ・スピリトゥス州サンクティ・スピリトゥス出身のプロ野球選手内野手)。右投右打。現在はMLBヒューストン・アストロズに所属。愛称はエル・ユリ[2]

2017年よりMLBでの登録名を「ユリ・グリエル(Yuli Gurriel)」としている[3]

経歴

キューバ球界時代

17歳であった2001年に、ガジョス・デ・サンクティ・スピリトゥスの選手として、キューバの国内リーグ(セリエ・ナシオナル・デ・ベイスボル)にデビューした。

2003年10月に開催された第35回IBAFワールドカップキューバ代表に選出された。

2004年8月に開催されたアテネオリンピック野球キューバ代表に選出された。

2005年9月に開催された第36回IBAFワールドカップのキューバ代表に選出された。この大会では、8本塁打を記録した。

2005-2006シーズンには本塁打打点の二冠王を獲得したほか、当時国内リーグ史上初の20本塁打・20盗塁を達成した[4]

3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のキューバ代表に選出された[5]。同大会では二塁手として出場し、打率.273・出塁率.342・長打率.515の成績で大会ベストナインに選ばれた。

2006-2007シーズンは本塁打数が半減してしまったが、これはこのシーズンから公式戦で使用されるボールが、ミズノ製のものから自国製のもの(いわゆる「飛ばないボール」)へ変更され、リーグ全体の打撃成績が低くなった影響と見られる[6]

2013年WBCにおけるグリエル

2006年7月末には「コロンビアで開催されている国際大会に遠征中、エドゥアルド・パレとともに亡命した」とESPNのウェブサイトで報じられ[7]ニューヨーク・ヤンキースが獲得に興味との噂が出たが、その後本人が否定した[8]

2008年8月に開催された北京オリンピック野球キューバ代表に選出され、2大会連続2度目の選出となった。決勝戦では1点ビハインドの9回に1アウト満塁のチャンスで鄭大炫の前に併殺打に倒れ、キューバは韓国に敗北し、銀メダルに終わった。

2009年3月に開催された第2回WBCキューバ代表に選出され[9] 2大会連続2度目の選出となった。

2012年7月に開催された第26回ハーレムベースボールウィークのキューバ代表に選出された。同大会では出塁率.500を記録、MVPに選ばれた。11月6日には「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」のキューバ代表が発表され[10] 代表入りした[11]。同日、台湾で行われたサンダーシリーズのため来台した[12]。サンダーシリーズ終了後の、14日に来日した[13]

2013年3月に開催された第3回WBCキューバ代表に選出され[14]、3大会連続3度目の選出となった。同大会ではオランダとの決勝ラウンド進出決定戦で最終回の表に盗塁走塁ミスを二回繰り返しビクトル・メサ監督に激怒され、その裏に自らのエラーで出した走者がホームを踏むなど、大会打率.280の不振で終えた。チームはオランダに敗れ、決勝ラウンド進出を逃した。また、国内リーグでは、所属チームをサンクティ・スピリトゥスからレオネス・デ・インダストリアレスに変更している。

2014年2月4日にMLB.comの取材に対して、「12年間キューバでプレーしてきたが、今は国外でプレーしたい」との意向を示した[15]

キューバ国外移籍解禁後

2014年5月13日NPB横浜DeNAベイスターズへの入団が発表された[16]。前年末にDeNAの球団社長の池田純がキューバを視察した際に、同国の球界関係者から「優秀な選手を日本に出したい」という意向を明かされたことを背景に、国外でのプレーを望むグリエルの獲得交渉に着手したという[17]。また、キューバ代表監督のビクトル・メサとDeNA監督(当時)の中畑清が似たタイプだと聞いて頭を抱えるということが報道された[18]

5月31日に来日[19]6月2日に入団記者会見を行い、日本球界へ挑戦する理由に「キューバで長年プレーを続けているうちに、相手投手の配球を読むことの難しさが薄れてきたこと」を挙げたうえで、「横浜DeNAを初めてのクライマックスシリーズ進出に必ず導きます。信じて下さい」と述べている[20]。また、ユニフォームの背ネームは本来の英語表記からOをとった「GURRIEL」。6月3日からは、実戦での調整を目的に、2日続けてイースタン・リーグ埼玉西武ライオンズ戦で先発出場。3番指名打者で出場した3日の試合で、4回裏の第2打席で中崎雄太から来日初本塁打を放った[21]6月6日に来日後初の一軍出場登録[22]6月8日の対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(横浜スタジアム)に3番三塁手で一軍初出場、3回裏の第2打席で初安打を放ち、3打席連続安打で猛打賞を記録した[23]6月11日オリックス・バファローズ戦(京セラドーム大阪)では、6回表の第3打席で適時打を放って一軍初打点を挙げると、8回表の第4打席で佐藤達也からバックスクリーン左へ一軍初本塁打を記録した[24]

2015年3月19日にキューバ国内リーグで所属するインダストリアレスがプレーオフ準決勝進出を逃したため、2015年3月27日東京ドームでの開幕戦(対読売ジャイアンツ)までに、この年から同じくDeNAと契約した弟のルルデス・ジュニアとともにチームへ合流できるとの報道が出た[25]。しかし、左腿裏痛の治療をキューバ国内で行うため、兄弟そろって来日が延期になった(弟のユニエルキスは左手首痛)。これに対し、DeNAは日本国内で治療を行わせるため、診断書の提出と来日を要求したが、診断書を含めてキューバ政府から明確な返答がなく、球団職員が話し合いのために現地入りするなど緊張状態が続いた。結局、4月2日にGMの高田繁が契約違反のため契約を解除したと発表し[26]、キューバ政府もこれを了承したため、正式に退団が確定した。なお、ルルデス・ジュニアについては、制限選手としての処分にとどまった[27]。2015年度、最初の自由契約選手となった[28]。11月に開催された第1回WBSCプレミア12キューバ代表に選出された。

2016年2月にはシエゴ・デ・アビラの補強選手としてカリビアンシリーズに出場。準決勝で敗退後に、弟のルルデス・ジュニアと共に開催国のドミニカ共和国内からハイチへ亡命した[29]。三兄弟の長男のユニエスキはカリビアンシリーズに出場していないためキューバ国内に留まっており、「カリビアンシリーズでの最後の試合の後に2人と連絡が取れなくなった。それまでは毎晩連絡を取りあっていたのに。私達もみんなと同じニュースで亡命を知り、2人のことは何もわからない」と語っている[30]

アストロズ時代

2016年7月16日ヒューストン・アストロズと総額4750万ドルの5年契約を結んだことが発表された[31][32]。マイナー(AA級コーパスクリスティ・フックス、AAA級フレズノ・グリズリーズ)での調整を経て、8月21日にメジャー昇格し、同日のボルチモア・オリオールズ戦で6番・指名打者で先発出場して初打席で初安打を放った(2打数1安打1四球)[33]。最終的には36試合に出場し、打率.262・3本塁打・15打点・1盗塁・OPS0.677という成績を残した。守備ではサードを主に守り、21試合で1失策守備率.977・DRS0という成績を記録。他に、僅かながら一塁手左翼手も守った。

2017年は若手三塁手のアレックス・ブレグマンの台頭により、ポジションが主に一塁手となった。10月27日のワールドシリーズ第3戦でダルビッシュ有から本塁打を記録した後に、アジア人を侮辱する差別的ジェスチャーを行い、物議を醸した[34]10月28日2018年シーズン開幕戦から5試合の出場停止処分が科せられた[35]

2018年はキャンプ中に右手有鉤骨の手術を受けた影響で調整が遅れ、開幕からの5試合出場停止処分もあり4月13日にメジャー復帰を果たした[36]。最終的に打率.291・13本塁打・85打点・OPS.751を記録した。

選手としての特徴

打撃

バッティングフォーム

21歳の時に、MLBのスカウトからは「もしドラフトで指名されるならば1巡目だ」と評価されている[37]

打球のほとんどが左方向に飛ぶプルヒッター[38]。長打力に定評がある[39]

守備

地肩の強い内野手[39]。キューバ国内リーグでは三塁手としてプレー。代表では当初は二塁手だったが、2004年頃から代表でも主に三塁を守るようになった。DeNAへの入団が決まった際には遊撃手としての起用も想定された[40]。入団当初に出場したセ・パ交流戦では、指名打者を採用しなかったパ・リーグ球団主催試合で、石川雄洋に遊撃や外野を守らせることを条件に二塁手として起用されていた[41]。一塁を守っていた主砲のトニ・ブランコが故障で戦線を離れた交流戦の後半(6月中旬)からは、レギュラー三塁手のアーロム・バルディリスを一塁や代打に起用する一方で、もっぱら三塁手として出場した。DELTA社算出のUZRでは、2014年は二塁手では289イニングでUZR-2.6、三塁手では228イニングでUZR-4.8を喫した[42]

人物

ニックネームは「ユリー(Yuly)[43]、DeNA時主にDeNAファンを中心に応援等で「ユーリ」と呼ばれていた[44]。なお、ユリエスキ自身は来日時の会見で「あだ名はあまりなかったが、キューバでは「ユリー」と呼ばれていたのでそのように呼んでほしい」とコメントしていた[45]

ホセ・コントレラスホセ・アブレイユらと同じくキューバ人特有の飛行機嫌いとして知られる[46]。DeNA時代の2014年7月7日には、沖縄県平成26年台風第8号が接近する状況での飛行機移動に対する不安を理由に読売ジャイアンツとの2連戦(沖縄セルラースタジアム那覇)に向けた遠征への参加を見合わせた。その後に病院で検査を受けたところ、飛行機恐怖症と診断された[47]

日本食が苦手。2013年WBCへの出場で来日した際には、2週間で5kgも体重が落ちたという[48]。また、トマト以外の野菜も食べられないことから、DeNAではグリエルのためにキューバ風の献立を特別に用意していた[49]

家族

野球一家であり、実父のルルデスは、いすゞ自動車硬式野球部などの社会人野球でのプレー経験を通じて日本の野球事情やプレースタイルを熟知していることを背景に、ユリエスキのDeNA入団を後押ししたとされる[40]

ユリエスキは三人兄弟の真ん中で、兄弟はいずれも野球選手であり、弟のルルデス・ジュニアも2015年にDeNAと契約。二つ年上の兄のユニエスキも2014年からカナディアン・アメリカン・リーグケベック・キャピタルズへ派遣されている[50]

また、叔父のルイス・エンリケ・グリエル[51]、大叔父のホセ・デルガド、いとこのヨアンニ・デルガドも野球選手である。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2001-2002 SSP 87 376 353 59 106 26 5 7 163 50 7 6 4 6 8 1 5 33 3 .300 .320 .462 .781
2002-2003 90 385 333 57 97 20 4 16 173 65 12 3 0 3 45 7 4 41 5 .291 .379 .520 .899
2003-2004 55 241 215 49 77 14 7 9 132 42 7 3 0 2 19 0 5 25 4 .358 .419 .614 1.033
2004-2005 89 411 370 80 126 16 7 23 225 86 11 1 0 6 29 5 6 47 10 .341 .392 .608 1.000
2005-2006 90 413 349 89 114 19 11 27 236 92 21 4 0 6 51 11 7 30 3 .327 .416 .676 1.093
2006-2007 88 410 348 65 120 28 0 13 187 46 12 5 0 1 50 13 11 23 13 .345 .441 .537 .979
2007-2008 79 359 295 68 89 14 1 22 171 71 3 0 0 7 48 11 9 20 15 .302 .407 .580 .986
2008-2009 84 381 328 77 131 22 7 22 233 90 11 5 0 4 48 12 1 23 14 .399 .472 .710 1.183
2009-2010 89 407 344 90 125 17 2 30 236 105 5 4 0 3 54 12 6 29 11 .363 .455 .686 1.141
2010-2011 87 390 327 74 111 21 2 20 196 81 3 0 0 4 48 9 11 17 12 .339 .436 .599 1.035
2011-2012 89 396 321 58 104 18 0 22 188 85 14 4 0 7 61 19 7 34 10 .324 .434 .586 1.020
2012-2013 79 333 280 51 91 18 3 8 139 52 8 5 0 3 44 13 6 20 5 .325 .423 .496 .920
2013-2014 IND 81 361 297 63 93 21 3 16 168 69 10 8 1 3 54 12 6 31 7 .313 .425 .566 .991
2014-2015 49 206 175 40 60 18 1 7 101 35 11 2 0 2 27 6 2 18 9 .343 .432 .577 1.009
2014 DeNA 62 258 239 46 73 22 0 11 128 30 3 0 0 2 15 0 2 40 4 .305 .349 .536 .884
2015-2016 IND 49 224 174 55 87 20 0 15 152 51 3 0 0 5 38 11 7 3 6 .500 .589 .874 1.463
2016 HOU 36 137 130 13 34 7 0 3 50 15 1 1 0 1 5 0 1 12 7 .262 .292 .385 .677
2017 139 564 529 69 158 43 1 18 257 75 3 2 0 6 22 1 7 62 12 .299 .332 .486 .817
2018 136 573 537 70 156 33 1 13 230 85 5 1 0 7 23 0 6 63 22 .291 .323 .428 .751
2019 144 612 564 85 168 40 2 31 305 104 5 3 0 6 37 2 5 65 12 .298 .343 .541 .884
 CNS:15年  1185 5293 4509 975 1531 292 53 257 2700 1020 138 50 5 62 624 142 93 394 127 .340 .425 .599 1.024
NPB:1年 62 258 239 46 73 22 0 11 128 30 3 0 0 2 15 0 2 40 4 .305 .349 .536 .884
MLB:4年 455 1886 1760 237 516 123 4 65 842 279 14 7 0 20 87 3 19 202 53 .293 .330 .478 .808
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • キューバで通常用いられる個人通算成績はプレーオフや選抜リーグなども合算するため、この表の合計とは一致しない

年度別守備成績



一塁(1B) 二塁(2B) 三塁(3B) 遊撃(SS) 左翼(LF)




























































2016 HOU 5 35 4 0 9 1.000 - 21 13 30 1 1 .977 - 1 0 0 0 0 ----
2017 131 991 90 8 116 .993 1 1 2 0 1 1.000 7 6 10 1 1 .941 - -
2018 109 770 48 4 61 .995 15 11 20 1 6 .969 21 8 29 0 5 1.000 2 1 3 0 1 1.000 -
2019 110 728 73 3 58 .996 4 1 6 1 0 .875 42 25 64 3 7 .967 - -
MLB 355 2524 215 15 244 .995 20 13 28 2 7 .953 91 52 133 5 14 .974 2 1 3 0 1 1.000 1 0 0 0 0 ----
  • 2019年度シーズン終了時
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録

NPB

背番号

  • 10 (2014年 - )

代表歴

脚注

  1. ^ Yulieski Gurriel Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2019年1月21日閲覧。
  2. ^ Astros Players Weekend nicknames explained MLB.com (英語) (2017年8月24日) 2017年9月2日閲覧
  3. ^ Yuli Gurriel Stats, Fantasy & News” (英語). MLB.com. 2017年5月27日閲覧。
  4. ^ キューバシリーズ 2005-2006 ペナントレースの終了、並びにプレーオフ開始、及び個人タイトルについて」 『日本野球連盟』、2006年4月26日。2007年7月29日閲覧。
  5. ^ 2006 Tournament Roster[リンク切れ] WBC公式サイト (英語) 2015年4月15日閲覧
  6. ^ 第46回キューバリーグ(06-07シーズン) プレーオフ」 『日本野球連盟』、2007年3月26日。2007年7月29日閲覧。
  7. ^ ESPN.com news services, "Report: Cuban baseball players defect in Colombia," ESPN.com, July 28, 2006. 2007年7月29日閲覧。
  8. ^ Enrique Rojas, "Cuban star Gourriel has no interest in deserting," ESPN.com, August 2, 2006. 2007年7月29日閲覧。
  9. ^ 2009 Tournament Roster Archived 2015年2月19日, at Archive.is WBC公式サイト (英語) 2015年3月15日閲覧
  10. ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー[リンク切れ] NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
  11. ^ キューバ代表メンバー NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月15日閲覧
  12. ^ Cuba arrives for Thunder Series in Taichung and Taoyuan IBAF公式サイト (英語) (2012年11月7日) 2015年4月19日閲覧
  13. ^ キューバ代表来日 MLB関係者も熱視線 スポニチアネックス (2012年11月15日) 2015年4月19日閲覧
  14. ^ 2013 Tournament Roster[リンク切れ] WBC公式サイト (英語) 2015年4月15日閲覧
  15. ^ Jesse Sanchez (February 4, 2014). “Gourriel eyes baseball career outside of native Cuba”. MLB.com. February 5, 2014閲覧。
  16. ^ 選手獲得のお知らせ”. 横浜DeNAベイスターズ (May 13, 2014). May 13, 2014閲覧。
  17. ^ 鉄村和之(日本経済新聞編集委員)『なぜDeNAに? キューバからグリエル獲得の舞台裏』 日本経済新聞 電子版 (2014年6月4日 7:00配信)
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関連項目

外部リンク