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「内田昂輔」の版間の差分

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==来歴==
==来歴==
[[2010年]]、[[立命館大学]]より[[大分トリニータ]]に加入<ref>[http://www.oita-trinita.co.jp/information.php?_mode=detail&id=4160 立命館大学 内田昂輔選手 新加入内定のお知らせ]</ref>。元々のポジションは左サイドハーフだが、2010年は大分に同じポジションの[[金甫ギョン|キム・ボギョン]]がいたため、左SBとしてもプレーした。翌[[2011年]]は公式戦出場無しに終わり契約満了となり退団。[[2012年]]より、[[FC琉球]]へ完全移籍<ref>{{Cite web |date=2012-01-10|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00131043|title=内田 昂輔選手 FC琉球へ完全移籍のお知らせ|publisher=[[J's GOAL]]アーカイブ|accessdate=2018-08-03}}</ref>。
[[2010年]]、[[立命館大学]]より[[大分トリニータ]]に加入<ref>[http://www.oita-trinita.co.jp/information.php?_mode=detail&id=4160 立命館大学 内田昂輔選手 新加入内定のお知らせ]</ref>。元々のポジションは左サイドハーフだが、2010年は大分に同じポジションの[[金甫|キム・ボギョン]]がいたため、左SBとしてもプレーした。翌[[2011年]]は公式戦出場無しに終わり契約満了となり退団。[[2012年]]より、[[FC琉球]]へ完全移籍<ref>{{Cite web |date=2012-01-10|url=https://www.jleague.jp/jsgoal_archive/official/detail.php?press_code=00131043|title=内田 昂輔選手 FC琉球へ完全移籍のお知らせ|publisher=[[J's GOAL]]アーカイブ|accessdate=2018-08-03}}</ref>。


2013年2月に[[伊藤健史]]と共にモンテネグロ・[[プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガ]]の[[FKグルバリ]]に加入した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20130220/95412.html 日本人2選手がモンテネグロ1部のFKグルバリへ移籍] サッカーキング 2013年2月20日</ref>。
2013年2月に[[伊藤健史]]と共にモンテネグロ・[[プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガ]]の[[FKグルバリ]]に加入した<ref>[http://www.soccer-king.jp/news/world/world_other/20130220/95412.html 日本人2選手がモンテネグロ1部のFKグルバリへ移籍] サッカーキング 2013年2月20日</ref>。

2020年8月28日 (金) 21:41時点における版

山崎(内田) 昂輔
名前
カタカナ ヤマザキ(ウチダ) コウスケ
ラテン文字 YAMAZAKI(UCHIDA) Kosuke
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-10-02) 1987年10月2日(37歳)
出身地 京都府
身長 168cm
体重 63kg
選手情報
ポジション DFMF
利き足 左足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

内田 昂輔(うちだ こうすけ、1987年10月2日 - )は京都府出身のサッカー選手。ポジションはディフェンダーミッドフィールダー。現在は登録名を山崎に変更している[1]

来歴

2010年立命館大学より大分トリニータに加入[2]。元々のポジションは左サイドハーフだが、2010年は大分に同じポジションのキム・ボギョンがいたため、左SBとしてもプレーした。翌2011年は公式戦出場無しに終わり契約満了となり退団。2012年より、FC琉球へ完全移籍[3]

2013年2月に伊藤健史と共にモンテネグロ・プルヴァ・ツルノゴルスカ・フドバルスカ・リーガFKグルバリに加入した[4]

同年2部リーグのFKボケリにレンタル移籍をしたが、13/14シーズンの開幕を前にオーストリア4部リーグドイチェランドバーグSCへ移籍。しかし、急遽帰国し、同年11月に関西サッカーリーグ2部の京都紫光サッカークラブに移籍。

2016年より、バーレーンのブダイヤクラブに移籍し、同国初の日本人選手となる[5]

2017年は、インドネシア1部ペルセラ・ラモンガン英語版に移籍した[6]後、ミャンマーのヤンゴン・ユナイテッドFCに移籍。 2019年インドネシア1部バリト・プトラ英語版に移籍した[7]

2019年いっぱいでバリト・プトラ英語版を退団、2020年3月現在無所属となっている[8]

所属クラブ

個人成績

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 大分 22 J2 19 0 - 2 0 21 0
2011 0 0 - 0 0 0 0
2012 琉球 3 JFL 15 1 - 1 0 16 1
モンテネグロ リーグ戦 リーグ杯ツルノゴルスキ杯 期間通算
通算 日本 J2 19 0 - 2 0 21 0
日本 JFL 15 1 - 1 0 16 1
総通算 34 1 0 0 3 0 37 1

脚注

関連項目

外部リンク