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**1987年 0-1(×[[山城宏]])
**1987年 0-1(×[[山城宏]])
*[[正官庄杯世界女子囲碁最強戦]]優勝 2003年
*[[正官庄杯世界女子囲碁最強戦]]優勝 2003年
**2004年正官庄杯特別対局 2-1(○[[李テツ (囲碁棋士)|李喆]]、×[[古霊益]]、○[[陳耀ヨウ|陳耀燁]])
**2004年正官庄杯特別対局 2-1(○[[李テツ (囲碁棋士)|李喆]]、×[[古霊益]]、○[[陳耀燁]])
**2005年(中国チーム) 1-0(○[[朴鋕恩]])優勝
**2005年(中国チーム) 1-0(○[[朴鋕恩]])優勝
**2007年(中国チーム) 1-1(○[[知念かおり]]、×朴鋕恩)
**2007年(中国チーム) 1-1(○[[知念かおり]]、×朴鋕恩)

2020年8月27日 (木) 22:37時点における版

芮廼偉(中央)

芮 廼偉(ぜい のい、芮乃伟、ルイ・ナイウェイ、루이나이웨이、Rui Naiwei、 1963年12月28日 - )は、中国韓国等の囲碁棋士。中国上海出身、中国囲棋協会所属、韓国棋院客員棋士など、九段。女流世界棋戦で優勝8回、応昌期杯世界プロ囲碁選手権戦ベスト4など、女流では世界最強の棋士。師は呉清源九段。江鋳久九段は夫。力の強い戦闘的な棋風。「廼(乃)」の日本語の音は「ダイ」であるが、日本棋院では訓読みで「」としている[1]

経歴

11歳で碁を覚え、1980年に北京の国家チームに所属、1984年に中国囲棋協会の専業棋士四段となり、85年七段。1988年に女性では世界最初の九段となる。女子個人戦では、1986年から89年まで4連覇。新体育敗戦で1982、84年リーグ入り、1985年国手戦ベスト4。1986、87年、日中スーパー囲碁出場。

1990年に日本に移住、日本棋院の棋戦には参加できず、「圍碁」誌上で日本の棋士と対戦した。1992年に日本で江鋳久九段と結婚。同年には中国代表として応昌期杯に出場し、小松英樹八段、李昌鎬九段、梁宰豪八段に勝って準決勝に進み、大竹英雄九段に1勝2敗で敗れた。1993年に呉清源九段に入門、「21世紀の碁」の研究助手も1992年から96年まで務める。1993年には初の女流世界選手権である翠宝杯世界女流選手権戦に、中国代表として出場して優勝。後継棋戦の宝海杯などでも優勝を飾る。

1996年から米国在住。1999年に韓国棋院客員棋士となり、韓国の棋戦に参加。同年、女流国手戦で優勝。2000年の国手戦曺薫鉉に挑戦し、2勝1敗で勝って、一般棋戦で女流棋士による初のタイトル獲得。この時は金大中大統領からも祝電を受けた。2003年朴鋕恩と打込み十番碁、3連勝の後通算5勝5敗。2005年からの正官庄杯世界女子囲碁最強戦の団体戦では中国チームとして出場。2008年第1回ワールドマインドスポーツゲームズでは、女子個人戦でベスト8。

2011年中国の全国智力運動会に上海チームで出場、以後帰国し中国棋戦に参加。2012年第1回百霊愛透杯世界囲碁オープン戦予選で、元晟溱九段、丁偉九段を破り、唯一の女流と最年長棋士として本戦出場、三星火災杯世界囲碁マスターズ本戦出場。2014年三星火災杯でベスト16。

中国囲棋甲級リーグ戦では上海(2001年)、乙級では平煤集団(2003年)、雲南奕手冠華(云生弈手冠华、2005年)などに参加。韓国囲碁リーグでは、2004年韓国ヤンセン、2007年全南大房ノーブルランドに参加。2013年から女子甲級リーグに上海チームで出場。2015年からは韓国女子リーグに外援選手として出場。

主な棋歴

国際棋戦

中国棋戦

日本棋戦

  • 『圍碁』誌 芮廼偉九段VSプロ精鋭 1996年 5勝6敗
2-0 結城聡八段、0-2 小松英樹九段、0-2 山城宏九段、2-0 森山直棋九段、1-2 宮沢吾朗九段
  • 『碁ワールド』誌 グリーン碁石・女流プロ交流会 芮廼偉九段×女流六華 2010年 5勝1敗
鈴木歩四段、○奥田あや二段、○万波佳奈四段、○向井千瑛四段、○梅沢由香里五段、×謝依旻五段

米国棋戦

韓国棋戦

著作

脚注

  1. ^ 高島俊男「お言葉ですが」2巻 188ページ