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「方広寺 (天台県)」の版間の差分

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[[明代]][[万暦]]三十二年(1604年)、居士葛一鵬は寺院を再建した。[[崇禎]]十六年(1634年)、[[王夫之]]兄弟と[[夏汝弼]]が資金を募り全面重建し、1636年に落成した。
[[明代]][[万暦]]三十二年(1604年)、居士葛一鵬は寺院を再建した。[[崇禎]]十六年(1634年)、[[王夫之]]兄弟と[[夏汝弼]]が資金を募り全面重建し、1636年に落成した。


[[清代]][[道光]]年間、[[曽国セン|曽国荃]]が先頭に立って出資し、寺院を再建。
[[清代]][[道光]]年間、[[曽国荃]]が先頭に立って出資し、寺院を再建。


1980年より後、地元政府は寺院を修復する。1983年、[[中華人民共和国国務院]]は[[漢族地区仏教全国重点寺院]]に認定した。1989年10月14日、仏像開眼式が行われた。
1980年より後、地元政府は寺院を修復する。1983年、[[中華人民共和国国務院]]は[[漢族地区仏教全国重点寺院]]に認定した。1989年10月14日、仏像開眼式が行われた。

2020年8月26日 (水) 05:17時点における版

方広寺(ほうこうじ)は、中華人民共和国浙江省天台県にある仏教寺院[1]

歴史

方広寺は、東晋興寧年間、曇猷尊者により創建された。

唐代、「方広聖寿寺」と改称。五代十国の時、五百羅漢殿が修築されている。『華厳経感應略記』に「就嘉全億長史画半千羅漢形象。毎一迎請、必于石橋宿夜焚香、具鑼鈸幢蓋、引道入于殿、香風送幢之勢、前靡而入、入門即止、其方広寺梵唄方作、先有金色鳥、飛翔後林樹石畔。呉越国王銭弘俶頻年布施供養、造五百銅羅漢。」と記されている。

宋代の初、「方広崇禅寺」の名を賜った。宋徽宗建中靖国元年(1101年)の乱の火難で、寺は全焼した。紹熙四年(1198年)は寺院を重修した。

明代万暦三十二年(1604年)、居士葛一鵬は寺院を再建した。崇禎十六年(1634年)、王夫之兄弟と夏汝弼が資金を募り全面重建し、1636年に落成した。

清代道光年間、曽国荃が先頭に立って出資し、寺院を再建。

1980年より後、地元政府は寺院を修復する。1983年、中華人民共和国国務院漢族地区仏教全国重点寺院に認定した。1989年10月14日、仏像開眼式が行われた。

伽藍

山門、大雄宝殿(本堂)、五百羅漢殿、会仏堂、地蔵殿、佇真堂、左右廂房

重要文化財

  • 宋徽宗の「天下名山」の額
  • 書画家米芾の「第一奇観」の石刻
  • 石綸の「大観」の正書石刻
  • 王榭の「星橋勝概」の行書石刻
  • 曹掄選の「万山関鍵」の隷書石刻
  • 康有為の「石染飛瀑」の正書石刻

主な住僧

  • 曇猷尊者
  • 興慈法師
  • 通和法師
  • 定栄

文学

清代の文人汪隆の詩に曰く:

霊斧誰将石壁開、瑶虹垂外訝奔雷。
明珠万斛从天落、素練千尋動地来。

脚注

座標: 北緯29度14分46秒 東経121度01分52秒 / 北緯29.24621度 東経121.03114度 / 29.24621; 121.03114