「アレクサンドル・ゴルボフスキー」の版間の差分
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[[1954年]]に[[モスクワ東洋学院]]を卒業。[[1959年]]に、「[[イギリス領インド帝国|英領インド]]の[[英印軍|植民地軍]]と軍事改革、1861年 - 1864年 ({{lang|ru|Англо-индийская колониальная армия и военная реформа 1861—1864 гг.}})」により、[[モスクワ大学|M. V. ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学]]群の[[アジア・アフリカ諸国大学|東洋語大学]]から博士号を得た。その後、[[ロシア科学アカデミー東洋学研究所|ソ連科学アカデミー東洋学研究所]]、国際労働運動研究所 ({{lang|ru|Институте международного рабочего движения}})、[[ロシア科学アカデミー]]情報学研究所で研究に従事した。[[言語学]]や[[現代史]]の分野で多数の論文を発表し、[[ラビンドラナート・タゴール]]の著作を[[ベンガル語]]から翻訳した。[[1980年代]]後半には、家族とともに[[イギリス]]へ移り住み、以降も[[ロシア]]やその他の国々の出版社と協力し続けた<ref name="fantlab">{{Cite web|url=http://fantlab.ru/autor1549|title={{lang|ru|Александр Горбовский}}|publisher={{lang|ru|[[:ru:Лаборатория Фантастики|Лаборатория Фантастики]]}}|accessdate=2013-01-10}}</ref><ref>{{lang|ru|Горбовский А. А. Рюрикович ; Детство Никиты. — М. : [Б. и.], 2004. — с.2.}}</ref>。 |
[[1954年]]に[[モスクワ東洋学院]]を卒業。[[1959年]]に、「[[イギリス領インド帝国|英領インド]]の[[英印軍|植民地軍]]と軍事改革、1861年 - 1864年 ({{lang|ru|Англо-индийская колониальная армия и военная реформа 1861—1864 гг.}})」により、[[モスクワ大学|M. V. ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学]]群の[[アジア・アフリカ諸国大学|東洋語大学]]から博士号を得た。その後、[[ロシア科学アカデミー東洋学研究所|ソ連科学アカデミー東洋学研究所]]、国際労働運動研究所 ({{lang|ru|Институте международного рабочего движения}})、[[ロシア科学アカデミー]]情報学研究所で研究に従事した。[[言語学]]や[[現代史]]の分野で多数の論文を発表し、[[ラビンドラナート・タゴール]]の著作を[[ベンガル語]]から翻訳した。[[1980年代]]後半には、家族とともに[[イギリス]]へ移り住み、以降も[[ロシア]]やその他の国々の出版社と協力し続けた<ref name="fantlab">{{Cite web|url=http://fantlab.ru/autor1549|title={{lang|ru|Александр Горбовский}}|publisher={{lang|ru|[[:ru:Лаборатория Фантастики|Лаборатория Фантастики]]}}|accessdate=2013-01-10}}</ref><ref>{{lang|ru|Горбовский А. А. Рюрикович ; Детство Никиты. — М. : [Б. и.], 2004. — с.2.}}</ref>。 |
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[[通俗科学]]や科学的色彩の文学の本や記事を書いたほか、古代史や近代史の謎、[[科学革命]]や{{仮リンク|技術革命|en|Technological revolution}}の社会的帰結、社会の知識化に伴う問題などについてのエッセイがあり、さらに、{{仮リンク|驚異譚|en|Paradoxography}}愛好家の間で人気の高い[[超常現象]]や人間の心理について著作があり、『失われた文明 ({{lang|ru|Загадки древнейшей истории}})』([[1966年]])<ref>日本語訳:{{Cite book|和書|title=失われた文明:一万二千年前の世界|author=A・ゴルボフスキー|translator=[[中山一郎]]|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社現代新書]]|year=1972}}</ref>、『{{lang|ru|Похищенные умы}}(盗まれた心<!--仮訳-->)』([[1969年]])、『{{lang|ru|Год 2000 и далее}}(2000年を超えて<!--仮訳-->)』([[1978年]])、『{{lang|ru|Без единого выстрела: Из истории российской военной разведки}}(一弾も撃たずに:ロシアの軍事諜報史から<!--仮訳-->)』([[ユリアン・セミョーノフ]]との共著、[[1983年]])、『{{lang|ru|Закрытые страницы истории}}(歴史の閉ざされたページ<!--仮訳-->)』(ユリアン・セミョーノフとの共著、[[1988年]])、『{{lang|ru|Факты, догадки, гипотезы}}(事実、予想、仮説<!--仮訳-->)』([[1988年]])、『{{lang|ru|Пророки и прозорливцы в своём Отечестве}}(祖国における預言者と予言者<!--仮訳-->)』([[1990年]])、『異界:超常現象をみる ({{lang|ru|Иные миры}})』([[1991年]])<ref>日本語訳:{{Cite book|和書|title=異界:超常現象をみる|author=A.ゴルボフスキー|translator=[[佐藤靖彦]]|publisher=[[新読書社]]|year=1994}}</ref>、『{{lang|ru|Тайная власть, незримая сила}}(神秘の力、見えない力<!--仮訳-->)』([[1991年]])、『{{lang|ru|Колдуны, целители, пророки}}(魔術師、治療者、預言者<!--仮訳-->)』([[1993年]])などがある。[[1964年]]には、『{{lang|ru|Он проснётся через двести лет}}(200年の眠りから覚める<!--仮訳-->)』で、フィクション作品の書き手としてもデビューした。毎年刊行されるSFの作品集『{{lang|ru|Фантастика}}』や『{{lang|ru|НФ}}』、文芸・地理年鑑『{{lang|ru|[[:ru:На суше и на море (альманах)|На суше и на море]]}}』、さらに通俗科学のシリーズ『{{lang|ru|Знак вопроса}}』、雑誌『{{lang|ru|[[:ru:Вокруг света|Вокруг света]]}}』、『{{lang|ru|[[:ru:Наука и жизнь|Наука и жизнь]]}}』、『{{lang|ru|[[:ru:Знамя (журнал)|Знамя]]}}』、『[[アガニョーク]] ({{lang|ru|[[:ru:Огонёк|Огонёк]]}})』、『{{lang|ru|[[:ru:Сибирь (журнал)|Сибирь]]}}』、『{{lang|ru|Байкал}}』、新聞『{{lang|ru|[[:ru:Неделя (газета)|Неделя]]}}』などにも寄稿した。また、著作は[[ウクライナ語]]、[[セルビア語]]、[[英語]]および[[フランス語]]にも翻訳された<ref name="fantlab" />。 |
[[通俗科学]]や科学的色彩の文学の本や記事を書いたほか、古代史や近代史の謎、[[科学革命]]や{{仮リンク|技術革命|en|Technological revolution}}の社会的帰結、社会の知識化に伴う問題などについてのエッセイがあり、さらに、{{仮リンク|驚異譚|en|Paradoxography}}愛好家の間で人気の高い[[超常現象]]や人間の心理について著作があり、『失われた文明 ({{lang|ru|Загадки древнейшей истории}})』([[1966年]])<ref>日本語訳:{{Cite book|和書|title=失われた文明:一万二千年前の世界|author=A・ゴルボフスキー|translator=[[中山一郎]]|publisher=[[講談社]]|series=[[講談社現代新書]]|year=1972}}</ref>、『{{lang|ru|Похищенные умы}}(盗まれた心<!--仮訳-->)』([[1969年]])、『{{lang|ru|Год 2000 и далее}}(2000年を超えて<!--仮訳-->)』([[1978年]])、『{{lang|ru|Без единого выстрела: Из истории российской военной разведки}}(一弾も撃たずに:ロシアの軍事諜報史から<!--仮訳-->)』([[ユリアン・セミョーノフ]]との共著、[[1983年]])、『{{lang|ru|Закрытые страницы истории}}(歴史の閉ざされたページ<!--仮訳-->)』(ユリアン・セミョーノフとの共著、[[1988年]])、『{{lang|ru|Факты, догадки, гипотезы}}(事実、予想、仮説<!--仮訳-->)』([[1988年]])、『{{lang|ru|Пророки и прозорливцы в своём Отечестве}}(祖国における預言者と予言者<!--仮訳-->)』([[1990年]])、『異界:超常現象をみる ({{lang|ru|Иные миры}})』([[1991年]])<ref>日本語訳:{{Cite book|和書|title=異界:超常現象をみる|author=A.ゴルボフスキー|translator=[[佐藤靖彦 (ロシア文学者)|佐藤靖彦]]|publisher=[[新読書社]]|year=1994}}</ref>、『{{lang|ru|Тайная власть, незримая сила}}(神秘の力、見えない力<!--仮訳-->)』([[1991年]])、『{{lang|ru|Колдуны, целители, пророки}}(魔術師、治療者、預言者<!--仮訳-->)』([[1993年]])などがある。[[1964年]]には、『{{lang|ru|Он проснётся через двести лет}}(200年の眠りから覚める<!--仮訳-->)』で、フィクション作品の書き手としてもデビューした。毎年刊行されるSFの作品集『{{lang|ru|Фантастика}}』や『{{lang|ru|НФ}}』、文芸・地理年鑑『{{lang|ru|[[:ru:На суше и на море (альманах)|На суше и на море]]}}』、さらに通俗科学のシリーズ『{{lang|ru|Знак вопроса}}』、雑誌『{{lang|ru|[[:ru:Вокруг света|Вокруг света]]}}』、『{{lang|ru|[[:ru:Наука и жизнь|Наука и жизнь]]}}』、『{{lang|ru|[[:ru:Знамя (журнал)|Знамя]]}}』、『[[アガニョーク]] ({{lang|ru|[[:ru:Огонёк|Огонёк]]}})』、『{{lang|ru|[[:ru:Сибирь (журнал)|Сибирь]]}}』、『{{lang|ru|Байкал}}』、新聞『{{lang|ru|[[:ru:Неделя (газета)|Неделя]]}}』などにも寄稿した。また、著作は[[ウクライナ語]]、[[セルビア語]]、[[英語]]および[[フランス語]]にも翻訳された<ref name="fantlab" />。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
2020年8月24日 (月) 22:34時点における版
アレクサンドル・ゴルボフスキー | |
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誕生 |
1930年1月14日[1] ソビエト連邦 ウクライナ社会主義ソビエト共和国 キエフ |
死没 |
2003年12月9日(73歳没)[1] イギリス ロンドン |
職業 | 著作家、小説家、歴史家、東洋学者、インド学者 |
言語 | ロシア語 |
国籍 |
ソビエト連邦(1930年-1991年) → イギリス(1991年-2003年) |
最終学歴 |
モスクワ東洋学院 モスクワ大学 東洋語大学 |
活動期間 | 1961年 - 2003年 |
ジャンル | 通俗科学、サイエンス・フィクション、ファンタジー |
ウィキポータル 文学 |
アレクサンドル・アルフレドヴィチ・ゴルボフスキー(Александр Альфредович Горбовский、1930年1月14日 - 2003年12月9日)は、当時のウクライナ社会主義ソビエト共和国キエフに生まれ、イギリスのロンドンで没した、ソビエト連邦出身の作家、東洋史学者、インド学者、通俗科学やSF、ファンタジーの著者。歴史科学博士(1959年)であり、ソビエト連邦作家同盟会員(1979年)であった。詩人エカテリーナ・ゴルボフスカヤの父。
経歴
1954年にモスクワ東洋学院を卒業。1959年に、「英領インドの植民地軍と軍事改革、1861年 - 1864年 (Англо-индийская колониальная армия и военная реформа 1861—1864 гг.)」により、M. V. ロモノーソフ・モスクワ国立総合大学群の東洋語大学から博士号を得た。その後、ソ連科学アカデミー東洋学研究所、国際労働運動研究所 (Институте международного рабочего движения)、ロシア科学アカデミー情報学研究所で研究に従事した。言語学や現代史の分野で多数の論文を発表し、ラビンドラナート・タゴールの著作をベンガル語から翻訳した。1980年代後半には、家族とともにイギリスへ移り住み、以降もロシアやその他の国々の出版社と協力し続けた[2][3]。
通俗科学や科学的色彩の文学の本や記事を書いたほか、古代史や近代史の謎、科学革命や技術革命の社会的帰結、社会の知識化に伴う問題などについてのエッセイがあり、さらに、驚異譚愛好家の間で人気の高い超常現象や人間の心理について著作があり、『失われた文明 (Загадки древнейшей истории)』(1966年)[4]、『Похищенные умы(盗まれた心)』(1969年)、『Год 2000 и далее(2000年を超えて)』(1978年)、『Без единого выстрела: Из истории российской военной разведки(一弾も撃たずに:ロシアの軍事諜報史から)』(ユリアン・セミョーノフとの共著、1983年)、『Закрытые страницы истории(歴史の閉ざされたページ)』(ユリアン・セミョーノフとの共著、1988年)、『Факты, догадки, гипотезы(事実、予想、仮説)』(1988年)、『Пророки и прозорливцы в своём Отечестве(祖国における預言者と予言者)』(1990年)、『異界:超常現象をみる (Иные миры)』(1991年)[5]、『Тайная власть, незримая сила(神秘の力、見えない力)』(1991年)、『Колдуны, целители, пророки(魔術師、治療者、預言者)』(1993年)などがある。1964年には、『Он проснётся через двести лет(200年の眠りから覚める)』で、フィクション作品の書き手としてもデビューした。毎年刊行されるSFの作品集『Фантастика』や『НФ』、文芸・地理年鑑『На суше и на море』、さらに通俗科学のシリーズ『Знак вопроса』、雑誌『Вокруг света』、『Наука и жизнь』、『Знамя』、『アガニョーク (Огонёк)』、『Сибирь』、『Байкал』、新聞『Неделя』などにも寄稿した。また、著作はウクライナ語、セルビア語、英語およびフランス語にも翻訳された[2]。
脚注
- ^ a b “Summary Bibliography: Александр Горбовский”. isfdb/Al von Ruff. 2018年8月13日閲覧。
- ^ a b “Александр Горбовский”. Лаборатория Фантастики. 2013年1月10日閲覧。
- ^ Горбовский А. А. Рюрикович ; Детство Никиты. — М. : [Б. и.], 2004. — с.2.
- ^ 日本語訳:A・ゴルボフスキー 著、中山一郎 訳『失われた文明:一万二千年前の世界』講談社〈講談社現代新書〉、1972年。
- ^ 日本語訳:A.ゴルボフスキー 著、佐藤靖彦 訳『異界:超常現象をみる』新読書社、1994年。