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2020年8月24日 (月) 11:57時点における版

金滉植
김황식
生年月日 (1948-08-09) 1948年8月9日(76歳)
出生地 大韓民国の旗 韓国全羅南道長城郡
出身校 ソウル大学校卒業
前職 最高裁判事
監査院長
国務総理

在任期間 2010年10月1日 - 2013年2月26日
大統領 李明博

在任期間 2008年9月8日 - 2010年9月30日
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金 滉植(キム・ファンシク、김황식1948年8月9日 - )は大韓民国の法曹人、政治家。国務総理(第41代)、監査院長(第21代)などを歴任。

経歴

全羅南道長城郡生まれ。ソウル大学校法学部出身。司法試験に合格後、複数の場所で判事として在職し、最高裁判事などを経て2008年監査院長に就任。

国務総理就任

鄭雲燦国務総理が2010年7月に退任を表明し、後任として名前が挙がったがこれを固辞[1]。いったんは金台鎬慶尚南道知事が指名された。しかし就任のために必要な国会承認に向けた人事聴聞会において不正資金疑惑など様々な疑惑を追及され、8月29日に指名辞退に追い込まれた。その後、9月16日になって後任に指名され、10月1日に正式就任。本籍が全羅南道出身としては初[2]監査院長出身としては李會昌以来二人目の国務総理である。

ソウル市長選出馬

2014年3月16日、同年6月に予定されている全国同時地方選挙の一つとして実施されるソウル市長選挙への出馬を表明したが[3]、ソウル市長選のセヌリ党候補に選出されなかった[4]

2019年3月、「より良い未来のための潘基文財団」財団発起人大会に出席する[5]

発言

2011年4月7日の国会答弁で、東日本大震災被害にあった福島第一原子力発電所から放射性物質を含む水が海に放出される際、日本政府から事前連絡がなかったことに関して、ある議員が韓国の外交的な無能ぶりを示したと指摘したのに対し、韓国ではなく日本が無能だと言いたいと答えた。[6] 
また、国会対政府質問で、独島には現実的な面で警察を駐留させることが適切だが、状況の展開に応じ、強力な軍隊の駐留もさせて対内外的に韓国の領土であることを明示するのを検討する価値があると考えていると明らかにした。[7] 

略歴

出典

外部リンク

公職
先代
尹増鉉
(権限代行)
大韓民国の旗 大韓民国国務総理
第41代:2010 - 2013
次代
鄭烘原
先代
田允喆 (ko)
大韓民国の旗 大韓民国監査院院長
第21代:2008 - 2010
次代
河福同 (ko)
(職務代行)