権五奎
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権 五奎 권오규 | |
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生年月日 | 1952年6月27日(72歳) |
出生地 | 大韓民国、江原道江陵市 |
出身校 | ソウル大学校 |
現職 | 政治家 |
在任期間 | 2007年3月7日 - 2007年3月9日(権限代行) |
在任期間 | 2006年7月 - 2008年2月 |
権五奎 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 권오규 |
漢字: | 權五奎 |
発音: | クォン・オギュ |
権 五奎(クォン・オギュ、1952年6月27日 - )は、大韓民国の政治家。同国大韓民国財政経済部長官(第14代)。
経歴
[編集]江原道江陵市出身。本貫は安東権氏[1]。ソウル大学校経済学科卒。1999年に財政経済部経済政策局局長を務め、2001年には、財政経済部次官補を務めた。2002年には、調達庁長官に就任し、2003年に盧武鉉が大統領に就任すると、大統領政策首席補佐官に任命された[2]。2004年には経済協力開発機構(OECD)大使、国際通貨基金(IMF)代理大使を務めた。2006年7月には副総理兼財政経済部長官に就任した[3]。2007年3月7日に韓明淑総理が辞職し、同年3月9日まで国務総理の代行を務める。同年10月2日に金正日総書記と会談するため、訪朝した盧武鉉に随行し、会談に同席した[4]。同年10月18日にはアメリカを訪問し、スーザン・シュワブ通商代表と会談し、米韓自由貿易協定の早期批准を求めた[5]。同年12月に開かれた、南北経済協力共同委員会に出席するために訪韓した、北朝鮮の全承勲副総理と会談した[6]。2008年に盧武鉉が大統領を退任することに伴い、財政経済部長官を退任した。同年8月に財政経済部が企画財政部に改組されたことにより、最後の財政経済部長官となった。2009年に死去した盧武鉉元大統領の国民葬葬儀委員会運営委員を務めた[7]。
脚注
[編集]- ^ 권용훈 (2019年12月2日). “‘기득권을 깨야만 경제 위기 극복’ 권오규 전 경제부총리” (朝鮮語). 세상의 모든 권씨 Kwon Family News. 2022年7月31日閲覧。
- ^ 出揃った新経済チーム顔ぶれ 東亜日報 2003年2月28日
- ^ 大統領側近の前面布陣、ウリ党内に露骨な不満 東亜日報 2006年7月3日
- ^ 盧大統領「金総書記の確固な平和意志を確認」 東亜日報 2007年10月4日
- ^ 権副首相が訪米、FTA早期批准協力要請の方針 聯合ニュース 2007年10月18日
- ^ 副首相級に格上げされた経協共同委…全副首相がソウル入り 中央日報 2007年12月5日
- ^ 故・盧前大統領の葬儀委員会、朴正煕・崔圭夏氏の2倍 東亜日報 2009年5月28日
公職 | ||
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先代 韓明淑 |
大韓民国国務総理 (権限代行)2007年 |
次代 韓悳洙 |
先代 李憲宰 |
大韓民国財政経済部長官 第14代:2006年 - 2007年 |
次代 姜万洙 |
外交職 | ||
先代 李景台 |
在経済協力開発機構大韓民国代表部大使 第5代:2004年 - 2006年 |
次代 権泰信 |