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2020年8月22日 (土) 22:18時点における版
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この項目では、後漢の宗室について説明しています。中華民国の詩人・言語学者については「劉半農」をご覧ください。 |
劉 復(りゅう ふく、生没年不詳)は、後漢の宗室。斉武王劉縯の孫で、光武帝の従孫にあたる。一説には、蜀漢の昭烈帝劉備の祖先とする[1]。
生涯
北海靖王劉興の次子で、敬王劉睦(中国語版)の弟。建武30年(54年)、劉譲(中国語版)(真定王劉楊の弟)の後継者として臨邑侯に封じられた[2][3][4]。
学問を好み文才に優れ、永平年間に朝廷の講学を受け持った[2]。蘭台令史に任じられて班固や賈逵と共に「漢史」を編纂し、傅毅らもこれに加わった[2]。子の劉騊駼(中国語版)も、従兄の劉毅と劉珍とともに文才に優れた人物であった[2]。
出典
- ^ 津田資久「劉備出自考」『国士舘人文学』第45号、国士舘大学文学部人文学会、2013年3月、43-61頁。
- ^ a b c d 『後漢書』巻十四 宗室四王三侯列伝 第四 北海靖王
- ^ 『冊府元亀』巻二百六十三 宗室部二
- ^ 『文献通考』巻二百六十八 封建考九