劉復
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劉 復(りゅう ふく、生没年不詳)は、後漢の宗室。斉武王劉縯の孫で、光武帝の従孫にあたる。一説には、蜀漢の昭烈帝劉備の祖先とする[1]。
北海靖王劉興の次男で、北海敬王劉睦(中国語版)の弟。建武30年(54年)、劉譲(中国語版)(真定王劉楊の弟)の後継者として臨邑侯に封じられた[2][3][4]。
学問を好み文才に優れ、永平年間に朝廷の講学を受け持った[2]。蘭台令史に任じられて班固や賈逵と共に『漢史』を編纂し、傅毅らもこれに加わった[2]。子の劉騊駼(中国語版)も、従兄の劉毅と劉珍とともに文才に優れた人物であった[2]。
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