「伊江御殿」の版間の差分
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一世朝義は、初め羽地間切の按司地頭を務めたが、後に伊江島の按司地頭に転任、以後代々これを務めた。[[1691年]]([[康熙]]30年)、尚家の末裔は「尚、向」と「朝」を用いることが命じられ、同年11月9日に向姓を賜った。それ以前の伊江御殿は「宗」「義」を氏名や名乗頭字としていた。十世[[伊江朝平|朝平]]には[[嫡男|嗣子]]がなく、[[尚灝王]]の五男尚健を養子にして伊江御殿を継がせた。十一世[[伊江朝直|朝直]]は琉球王国最後の[[摂政]]であり、[[1873年]]に[[慶賀使|維新慶賀使]]の正史を務めた。 |
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維新慶賀使として在京中に朝直は、[[1872年]]9月12日に[[新橋駅]]で日本初となる[[日本の鉄道開業|鉄道開業式典]]に参列、[[新橋駅|新橋]] - [[横浜駅|横浜]]間を走る1号機関車に乗車した。朝直ら琉球使節は、このお召し列車に、[[明治天皇]]の他、[[有栖川宮熾仁親王]]、[[三条実美]]、[[井上勝]]、[[副島種臣]]、[[西郷隆盛]]、[[大隈重信]]、[[板垣退助]]、[[井上馨]]、[[勝海舟]]、[[黒田清隆]]、[[陸奥宗光]]、[[江藤新平]]、[[山縣有朋|山県有朋]]、[[渋沢栄一]]などと共に乗車している。 |
維新慶賀使として在京中に朝直は、[[1872年]]9月12日に[[新橋駅]]で日本初となる[[日本の鉄道開業|鉄道開業式典]]に参列、[[新橋駅|新橋]] - [[横浜駅|横浜]]間を走る1号機関車に乗車した。朝直ら琉球使節は、このお召し列車に、[[明治天皇]]の他、[[有栖川宮熾仁親王]]、[[三条実美]]、[[井上勝]]、[[副島種臣]]、[[西郷隆盛]]、[[大隈重信]]、[[板垣退助]]、[[井上馨]]、[[勝海舟]]、[[黒田清隆]]、[[陸奥宗光]]、[[江藤新平]]、[[山縣有朋|山県有朋]]、[[渋沢栄一]]などと共に乗車している。 |
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* 十三世:向善行・富盛按司朝真([[伊江朝真]]) |
* 十三世:向善行・富盛按司朝真([[伊江朝真]]) |
2020年8月19日 (水) 07:22時点における版
伊江御殿 | |
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本姓 | 向氏(第二尚氏) |
家祖 | 尚宗賢・伊江王子朝義 |
種別 |
琉球王族 華族(男爵) |
出身地 | 琉球王国・首里 |
主な根拠地 | 琉球王国 |
著名な人物 | 伊江王子朝直、伊江朝雄 |
支流、分家 | 向氏高安殿内、向氏宜寿次殿内、向氏伊江殿内など |
凡例 / Category:日本の氏族 |
伊江御殿(いえうどぅん)は、尚宗賢・伊江王子朝義(尚清王七男)を元祖とする琉球王族。第二尚氏の分家で、代々伊江島の按司地頭をつとめた琉球王国の大名。同家は三司官に4名就任し、当主4代が王子号を授与した筆頭格御殿。
一世朝義は、初め羽地間切の按司地頭を務めたが、後に伊江島の按司地頭に転任、以後代々これを務めた。1691年(康熙30年)、尚家の末裔は「尚、向」と「朝」を用いることが命じられ、同年11月9日に向姓を賜った。それ以前の伊江御殿は「宗」「義」を氏名や名乗頭字としていた。十世朝平には嗣子がなく、尚灝王の五男尚健を養子にして伊江御殿を継がせた。十一世朝直は琉球王国最後の摂政であり、1873年に維新慶賀使の正史を務めた。
維新慶賀使として在京中に朝直は、1872年9月12日に新橋駅で日本初となる鉄道開業式典に参列、新橋 - 横浜間を走る1号機関車に乗車した。朝直ら琉球使節は、このお召し列車に、明治天皇の他、有栖川宮熾仁親王、三条実美、井上勝、副島種臣、西郷隆盛、大隈重信、板垣退助、井上馨、勝海舟、黒田清隆、陸奥宗光、江藤新平、山県有朋、渋沢栄一などと共に乗車している。
首里石嶺にある伊江御殿墓は、県内最古の亀甲墓の一つとして、1999年12月1日に国の重要文化財に指定されている。現在の墓域 2266 m2、建造された1687年当時約 5828 m2(5反8畝23歩=1763坪)。
また同地区には国指定名勝である伊江御殿別邸庭園(7435 m2、2249坪)があり、2009年に庭園の整備・保全のため那覇市に寄贈している。
2019年3月には琉球王国の王族における家譜及び家譜編纂にかかる文書・記録類がまとまって伝存する稀有な例として伊江御殿家関係資料146点が国の重要文化財に指定された。
その他、宜野湾市に1725年に建立した西森碑記がある。元祖尚宗賢・伊江王子朝義の母である城の大按司志良礼は察度王の父奥間大親の末裔とされており、向和憲・垣花親方朝理(四世朝敷の三男)、六世朝良、三司官向和声・西平親方朝叙などが石門や森の川の石積みを行なった。現在の森川公園。
また首里当蔵には支流向氏伊江殿内の国指定名勝である伊江殿内庭園がある。別称は「巣雲園」。
琉球処分後、十一世朝直は今帰仁御殿と共に男爵の爵位を与えられ、十四世朝助の貴族院廃止まで男爵家として在任した。十五世朝雄は宮澤喜一内閣に入閣し、沖縄県出身者初の国務大臣として知られている。
系譜
- 一世:尚宗賢・伊江王子朝義(尚清王七男)
- 二世:向種徳・伊江按司朝恒
- 二世:向文徳・伊江按司朝仲
- 三世:向濬哲・伊江按司朝久
- 四世:向嘉続・伊江按司朝敷
- 五世:尚和礼・伊江王子朝嘉(室は尚質王の五女)
- 六世:向良顕・伊江按司朝良
- 七世:尚依仁・伊江王子朝倚(室は尚敬王の次女)
- 八世:向執仲・伊江按司朝藩
- 九世:向国藩・伊江按司朝郁
- 十世:向世昌・伊江按司朝英
- 十一世:向世俊・伊江按司朝平
- 十一世:尚健・伊江王子朝直(尚灝王五男)
- 十二世:向慶・大城按司朝永(伊江朝永)
- 十三世:向善行・富盛按司朝真(伊江朝真)
- 十四世:伊江朝助
- 十五世:伊江朝雄
参考文献
この節で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。 |
- 那覇出版社(編集) 編『沖縄門中大事典』宮里朝光(監修)、那覇出版社、1998年8月。ASIN 4890951016。ISBN 978-4890951017。 NCID BA37599475。OCLC 44263313。全国書誌番号:99054933。
- 比嘉朝進『士族門中家譜』(再版)球陽出版、2005年4月。ASIN 4990245709。ISBN 978-4990245702。 NCID BA72676585。OCLC 170134325。