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「中国地理学会 (北京)」の版間の差分

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== 歴史 ==
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中国地理学会の前身・中国地学会は[[1909年]]に[[天津市]]で成立した<ref name="cg">小野寺(2012):825ページ</ref>。中国地学会は中国の学術団体の中で創設時期の早い学会であった<ref name="cg3">小野寺(2012):829ページ</ref>。[[1934年]]、[[翁文]]、[[竺可楨]]、{{仮リンク|張其昀|zh|張其昀}}らが[[南京市]]で正式に[[中国地理学会]]を創立<ref name="cg"/>、翁文&#x705D;が初代会長に就任した。学会誌『地理学報』も同年に発行を開始した<ref name="cg"/>。当時の『地理学報』は歴史地理学や[[地理教育|地理教材]]について多く掲載していた<ref>保柳(1974):22ページ</ref>。


[[中華人民共和国]]成立後の[[1950年]]に中国地学会と中国地理学会が合併し、新しい中国地理学会が発足する<ref name="cg3"/>。[[地理学者]]らは[[社会主義]]の建設に寄与する地理学を志向し、従来の「[[観念論]]的地理学」からの転換を求められた<ref>河野(1965):289ページ</ref>。[[1953年]]、第一回の全国会員代表大会が開かれ、竺可楨が理事長に任じられた<ref name="cg2">小野寺(2012):828ページ</ref>。竺可楨はこの後2度理事長に再選され、長らく中国の地理学界を率いることとなる<ref name="cg2"/>。[[改革開放政策]]が始まると、停止していた『地理学報』の発行が[[1978年]]9月に再開され、翌[[1979年]]には[[広東省]][[広州市]]で学会が開催された<ref>小野寺(2012):827ページ</ref>。[[1984年]]、同じく「中国地理学会」を名乗る[[台湾]]側と調整が行われ、正式に国際地理学連合(IGU)に加盟する<ref name="cg4"/>。
[[中華人民共和国]]成立後の[[1950年]]に中国地学会と中国地理学会が合併し、新しい中国地理学会が発足する<ref name="cg3"/>。[[地理学者]]らは[[社会主義]]の建設に寄与する地理学を志向し、従来の「[[観念論]]的地理学」からの転換を求められた<ref>河野(1965):289ページ</ref>。[[1953年]]、第一回の全国会員代表大会が開かれ、竺可楨が理事長に任じられた<ref name="cg2">小野寺(2012):828ページ</ref>。竺可楨はこの後2度理事長に再選され、長らく中国の地理学界を率いることとなる<ref name="cg2"/>。[[改革開放政策]]が始まると、停止していた『地理学報』の発行が[[1978年]]9月に再開され、翌[[1979年]]には[[広東省]][[広州市]]で学会が開催された<ref>小野寺(2012):827ページ</ref>。[[1984年]]、同じく「中国地理学会」を名乗る[[台湾]]側と調整が行われ、正式に国際地理学連合(IGU)に加盟する<ref name="cg4"/>。
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2020年8月19日 (水) 07:21時点における版

中国地理学会
The Geographical Society of China
略称 GSC
前身 中国地学会
設立 1909年(中国地学会)
1934年(中国地理学会)
種類 学会
本部 中華人民共和国の旗 中国北京市朝陽区大屯路1号
座標 北緯40度0分7.3秒 東経116度22分23.2秒 / 北緯40.002028度 東経116.373111度 / 40.002028; 116.373111
貢献地域 中華人民共和国の旗 中国中国大陸
会員数
2万人
公用語 中国語
理事長 劉燕華
 上部組織 中国科学技術協会
ウェブサイト 中国地理学会
テンプレートを表示

中国地理学会(ちゅうごくちりがっかい、英語: The Geographical Society of China、GSC)は、中華人民共和国地理学分野に関する学会である。中国科学技術協会の会員であり、中国科学院地理科学与資源研究所に本部を置く。

概要

中国地理学会は国際地理学連合(IGU)、国際永久凍土連合(IPA)、国際地形学連盟(IAG)の会員である[1][2][3]。会員数は2009年時点で約2万人である[4]

学会には専門委員会が置かれ、地形および第四紀経済地理歴史地理水文自然地理気候、世界地理、環境地理および化学地理、人文地理地図学および地理情報システム海洋地理医学地理観光地理都市地理農業地理および農村発展、計量地理、環境変化、人口地理の18委員会が存在する[5]

歴史

中国地理学会の前身・中国地学会は1909年天津市で成立した[6]。中国地学会は中国の学術団体の中で創設時期の早い学会であった[7]1934年翁文灝竺可楨張其昀中国語版らが南京市で正式に中国地理学会を創立[6]、翁文灝が初代会長に就任した。学会誌『地理学報』も同年に発行を開始した[6]。当時の『地理学報』は歴史地理学や地理教材について多く掲載していた[8]

中華人民共和国成立後の1950年に中国地学会と中国地理学会が合併し、新しい中国地理学会が発足する[7]地理学者らは社会主義の建設に寄与する地理学を志向し、従来の「観念論的地理学」からの転換を求められた[9]1953年、第一回の全国会員代表大会が開かれ、竺可楨が理事長に任じられた[10]。竺可楨はこの後2度理事長に再選され、長らく中国の地理学界を率いることとなる[10]改革開放政策が始まると、停止していた『地理学報』の発行が1978年9月に再開され、翌1979年には広東省広州市で学会が開催された[11]1984年、同じく「中国地理学会」を名乗る台湾側と調整が行われ、正式に国際地理学連合(IGU)に加盟する[1]

歴代理事長

1934年から1953年(旧・中国地理学会)

会長・理事長 在任期間 備考
1 翁文灝 1934-1937 会長
2 1937-1943 理事長
3 胡煥庸 1943-1950
4 黄国璋 1950-1952
5 竺可楨 1952-1953

1953年以降(新・中国地理学会)

会長・理事長 名誉理事長 在任期間
1 竺可楨 (なし) 1953-1956
2 1956-1963
3 1963-1979
4 黄秉維中国語版 1979-1985
5 1985-1991
6 呉伝鈞、陳述彭中国語版施雅風中国語版、張蘭生 黄秉維、任美鍔中国語版 1991-1995
7 呉伝鈞 黄秉維、任美鍔 1995-1999
8 陸大道中国語版 黄秉維、任美鍔、呉伝鈞 1999-2004
9 任美鍔、呉伝鈞、陳述彭、施雅風、侯仁之中国語版 2004-2010
10 劉燕華 陸大道、秦大河中国語版劉昌明中国語版 2010-現在

刊行物

  • 『地理学報』
  • 『地理学報』(英文版)
  • 『冰川凍土』(氷河凍土)
  • 『遥感学報』
  • 『山地学報』
  • 『経済地理』
  • 『人文地理』
  • 『世界地理研究』
  • 『歴史地理』
  • 中国国家地理中国語版

脚注

  1. ^ a b 小野寺(2012):837ページ
  2. ^ 学会简介” (中国語). 中国地理学会. 2013年8月12日閲覧。
  3. ^ 历史沿革” (中国語). 中国地理学会. 2013年8月12日閲覧。
  4. ^ 小野寺(2012):830ページ
  5. ^ 专业委员会” (中国語). 中国地理学会. 2013年8月12日閲覧。
  6. ^ a b c 小野寺(2012):825ページ
  7. ^ a b 小野寺(2012):829ページ
  8. ^ 保柳(1974):22ページ
  9. ^ 河野(1965):289ページ
  10. ^ a b 小野寺(2012):828ページ
  11. ^ 小野寺(2012):827ページ

参考文献

  • 小野寺淳(2012)"中国の地理学"地学雑誌(東京地学協会).121(5):824-840.
  • 河野通博(1965)"新中国における地理学の歩み"人文地理(人文地理学会).17(3):285-301.
  • 保柳睦美(1974)"解放後の中国における地理学研究の動向"地学雑誌(東京地学協会).83(6):372-387.

関連項目

外部リンク