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[[文化大革命]]では[[紅衛兵]]運動に参加し、[[1971年]]から[[五七幹部学校]]に下放され労働に従事、[[安徽省]]南部の山岳地帯にある農村の中学校で教師となった。[[1974年]]北京に帰り、[[翻訳家]]の仕事に戻った。 |
2020年8月17日 (月) 07:43時点における版
高行健 | |
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高行健 | |
誕生 |
1940年1月4日(84歳) 中華民国江西省贛県 |
墓地 | フランス |
職業 | 作家 |
言語 | 中国語 |
国籍 | フランス |
最終学歴 | 北京外国語大学 |
活動期間 | 1982年現在 |
代表作 | 『霊山』 |
主な受賞歴 | ノーベル文学賞(2000年) |
ウィキポータル 文学 |
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高行健 | |
---|---|
職業: | 作家 |
各種表記 | |
繁体字: | 高行健 |
簡体字: | 高行健 |
拼音: | Gāo Xíngjiàn |
和名表記: | こう こうけん |
発音転記: | ガオ シンジェン |
高 行健(こう こうけん、ガオ・シンジェン、1940年1月4日 - )は中国出身、フランス国籍の作家。北京外国語大学フランス語学科卒業。2000年に華人としては初のノーベル文学賞を受賞した。水墨画家としても活動している[1]。
代表作
代表作『霊山』はガンの宣告を受けた男が中国南部の山野をさまよい歩く姿を描いた長編小説。1989年パリで完成した中国語作品で、その後フランス語、英語などに広く翻訳された。『ある男の聖書』(一個人的聖経、1998年) は、文革時代を背景とする自伝的小説。
経歴
原籍は江蘇省泰州で、1940年1月4日に江西省南部の贛州に生まれた。1962年北京外国語学院フランス語科卒業。卒業後は外文出版社の翻訳者となった。
文化大革命では紅衛兵運動に参加し、1971年から五七幹部学校に下放され労働に従事、安徽省南部の山岳地帯にある農村の中学校で教師となった。1974年北京に帰り、翻訳家の仕事に戻った。
1977年から中国作家協会対外連絡委員会で働き、1979年通訳として巴金に付いてフランスを訪問。同年、散文『パリの巴金』(巴金在巴黎)、中篇小説『寒夜の星空』(寒夜的星辰)を発表。1979年、中国共産党に入党。
1981年から北京人民芸術劇院の劇作家となり、実質的に中国初の小劇場演劇『非常信号』(絶対信号、劉会遠と合作、1982年)、不条理劇に学んだ『バス停』(車站、1983年)、大劇場ながら実験性に満ちた『野人』(1985年)などを次々に発表した。演出はいずれも林兆華で、それまでの話劇に叛逆する中国実験演劇の嚆矢として中国演劇界で大きな反響を呼んだ。しかし西欧の手法を大胆に取り入れた戯曲は批判を招き、1987年ドイツとフランスの招聘で出国、翌年からパリに滞在した。
1989年に天安門事件が起きると、『逃亡』(1990年)を発表して政治亡命を果たし、1998年フランス国籍を取得した。1992年にはフランス大統領より芸術文化勲章を受章している。2000年10月12日に中国語作家としては初のノーベル文学賞を受賞し世界的な話題となった。中国では亡命作家・高行健の作品は一時発禁となったが、人民日報はノーベル受賞のニュースと略歴を報道した。近年は、中国国内でも高行健の作品を収めた戯曲選集が刊行されている。
具体的な作風
『非常信号』には待業青年や幹部の特権といった社会問題が巧みに劇中に持ち込まれているが、これまでのは話劇とは明らかに異なる特徴も数多く見出される。台本については、時間(過去、現在、未来)の自由な組み替え、心理活動(追憶、空想)の具象化、セリフの多面的活用、ストーリー性の軽視、登場人物の抽象化(特定の名前を持たない)などである。上演方法では数十年間絶えていた小劇場方式での上演を復活した。さらに演出面では、音響、照明の効果を舞台成立の不可欠条件とし、伝統演劇の手法に学び、即興性や劇場性を駆使して第四の壁を取り払うことを企図した。こうした高行健の劇作上の特徴はそのままその後の話題の流れを先取りするものでもあった。その流れをようやくすれば、劇場という非日常の空間に集まった人々(観客、俳優、演出家など)の共同作業として作り出される虚構の世界に遊ぶことである。[2]
日本語訳
- 宮尾正樹訳「瞬間」 『紙の上の月 中国の地下文学』JICC出版局 1991
- 瀬戸宏訳「逃亡」 『中国現代戯曲集 第1集』晩成書房 1994、「現代中国短編集」藤井省三編 平凡社ライブラリー 1998
- 飯塚容訳「バス停」『中国現代戯曲集 第1集』晩成書房、1995
- 飯塚容訳『ある男の聖書』集英社 2001 ISBN 978-4087733518
- 飯塚容訳『霊山』集英社 2003 ISBN 978-4087734003
- 菱沼彬晁、飯塚容訳『高行健戯曲集』 晩成書房 2003
- 飯塚容訳『母』集英社 2005 ISBN 978-4087734300
脚注
- ^ https://www.artsy.net/artist/gao-xingjian-gao-xing-jian
- ^ 中国文芸研究会(編)『『原典で読む 図説中国20世紀文学』』白帝社、1995年3月20日発行、167ページ頁。
外部リンク
- ノーベル賞公式サイト(英語)