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[[AFCチャンピオンズリーグ]]の本戦をかけて予選2回戦から広州富力は出場した。2月10日、[[AFCチャンピオンズリーグ2015]]の予選2回戦ホームでシンガポールの[[ウォリアーズFC]]と戦い3-0で勝利した。2月17日には[[AFCチャンピオンズリーグ2015]]のプレーオフラウンドで本戦出場をかけてアウェイでオーストラリアの[[セントラルコースト・マリナーズFC]]と戦い3-1で勝利し、初の本戦出場を果たした。 |
2020年8月16日 (日) 15:37時点における版
広州城足球倶楽部 | |||
---|---|---|---|
原語表記 | 广州富力足球俱乐部 | ||
愛称 | 阿根力、Blue Lions | ||
クラブカラー | 青 | ||
創設年 | 1986年 | ||
所属リーグ | 中国超級 | ||
所属ディビジョン | 1部 | ||
ホームタウン | 広東省・広州市 | ||
ホームスタジアム | 越秀山体育場 | ||
収容人数 | 18000 | ||
代表者 | 張力 | ||
監督 | ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
広州城足球倶楽部 | |
---|---|
各種表記 | |
繁体字: | 廣州富力足球俱樂部 |
簡体字: | 广州富力足球俱乐部 |
拼音: | Guangzhou Fuli Zúqiú Jùlèbù |
発音: | クワンチョウ フーリー ツーチウ チュイラープー |
英文: | Guangzhou R&F Football Club |
広州富力足球倶楽部(漢音読み:こうしゅう-ふりき-そっきゅうくらぶ、英語:Guangzhou R&F Football Club)は、中華人民共和国の広東省広州市をホームタウンとする、中国プロサッカーリーグ(中国超級)に加盟するプロサッカークラブ。通称・広州富力。
概要
瀋陽足球倶楽部(沈阳足球俱乐部)として1986年に創立した。ホームタウンは広東省広州市である。現在のホームスタジアムは広東省広州市の越秀山体育場(収容人員は18,000人)。現在は中国超級リーグに所属し、同リーグにおいてのリーグタイトルはない。
チーム名は広州に拠点を置く不動産会社である広州富力地産(广州富力地产)がスポンサーとなっており、これがクラブ名の由来になっている。
歴史
瀋陽足球倶楽部(沈阳足球俱乐部)として発足。
瀋陽東北六薬足球倶楽部(沈阳东北六药足球俱乐部)に改名。
瀋陽華陽足球倶楽部(沈阳华阳足球俱乐部)に改名。
瀋陽海獅足球倶楽部(沈阳海狮足球俱乐部)に改名。
瀋陽金徳足球倶楽部(沈阳金德足球俱乐部)に改名。ホームスタジアムの瀋陽五里河体育場も、正式には「瀋陽五里河金徳体育場」と命名される。
超級リーグ開始当初より参加。
湖南省長沙に移転。長沙金徳足球倶楽部に改名。
2010年度リーグで最下位となり、甲級リーグへ降格。
2月にアメリカのスポーツ製品会社がスポンサーとなり深圳鳳凰足球倶楽部(深圳凤凰足球俱乐部)に改名し深圳に移転したが、6月に広州の不動産会社がスポンサーとなり、広州富力足球倶楽部(广州富力足球俱乐部)と再び改名し広州に移転することになった。中国甲級リーグで2位となり超級リーグに昇格。
17勝6分7敗67得点39失点の勝点57で3位。AFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフの出場権を獲得した。
コスミン・コントラが監督に就任。
呉坪楓が引退。ダヴィが上海上港、許博が石家荘、朱宝傑が貴州人和へ移籍した。
北京国安から于洋、梅県客家から叶楚貴、杭州緑城から汪嵩、ヘタフェCFからミチェル、上海申鑫から劉殿座、大連阿爾濱から金洋洋を獲得。
AFCチャンピオンズリーグの本戦をかけて予選2回戦から広州富力は出場した。2月10日、AFCチャンピオンズリーグ2015の予選2回戦ホームでシンガポールのウォリアーズFCと戦い3-0で勝利した。2月17日にはAFCチャンピオンズリーグ2015のプレーオフラウンドで本戦出場をかけてアウェイでオーストラリアのセントラルコースト・マリナーズFCと戦い3-1で勝利し、初の本戦出場を果たした。
AFCチャンピオンズリーグ2015でACL初出場すると予選でG大阪、城南、ブリーラムのグループFに入った。 7月15日川崎フロンターレのブラジル人FWレナトを獲得することで合意したことをクラブ公式HP上で発表した。
7月22日成績不振によりコスミン・コントラを解任、アシスタントコーチのリュー・ビンを暫定監督に充てる。 8月24日にクラブより後任監督として元名古屋グランパスエイト監督、セルビア人のドラガン・ストイコビッチが就任する旨発表。契約期間は2017年シーズン終了まで。リュー・ビンはそのままアシスタントコーチとしてクラブに残留。またストイコビッチの要望で名古屋グランパスエイト所属、喜熨斗勝史コーチを8月25日付けでコーチとして招聘した。
ドラガン・ストイコビッチ体制で低迷していた広州富力を6位まで浮上させたが、50失点のため好成績とは言えずにシーズンは終了した。
2017年は守備に力を入れ、15勝7分8敗の成績であり、失点46得点56で安定した成績を残した。2年で低迷していたクラブを上位まで上げたため来シーズンも期待されていた。
ダービーマッチ
同じ広州に本拠地を置く広州恒大との対戦は広州ダービーとなる。
タイトル
表彰
- 最優秀選手賞
- 2017 - エラン・ザハヴィ
過去の成績
シーズン | リーグ | 試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 点 | 順位 | FAカップ |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | 超級リーグ | 26 | 7 | 10 | 9 | 19 | 28 | −9 | 31 | 10位 | 2回戦敗退 |
1999 | 超級リーグ | 26 | 5 | 13 | 8 | 28 | 32 | −4 | 28 | 11位 | 1回戦敗退 |
2000 | 超級リーグ | 26 | 8 | 10 | 8 | 35 | 32 | +3 | 34 | 7位 | 準々決勝敗退 |
2001 | 超級リーグ | 26 | 2 | 1 | 23 | 23 | 69 | −46 | 7 | 14位 | 2回戦敗退 |
2002 | 超級リーグ | 28 | 8 | 10 | 10 | 34 | 34 | 0 | 34 | 11位 | 1回戦敗退 |
2003 | 超級リーグ | 28 | 11 | 10 | 7 | 35 | 31 | +4 | 43 | 5位 | 準決勝敗退 |
2004 | 超級リーグ | 22 | 7 | 5 | 10 | 23 | 29 | −6 | 26 | 8位 | 4回戦敗退 |
2005 | 超級リーグ | 26 | 4 | 7 | 15 | 19 | 43 | −24 | 18 | 13位 | 1回戦敗退 |
2006 | 超級リーグ | 28 | 6 | 8 | 14 | 22 | 43 | −21 | 26 | 13位 | 2回戦敗退 |
2007 | 超級リーグ | 28 | 8 | 10 | 10 | 17 | 24 | −7 | 34 | 10位 | - |
2008 | 超級リーグ | 30 | 7 | 13 | 10 | 28 | 36 | −8 | 34 | 11位 | - |
2009 | 超級リーグ | 30 | 6 | 15 | 9 | 23 | 31 | −8 | 33 | 14位 | - |
2010 | 超級リーグ | 30 | 6 | 12 | 12 | 24 | 42 | −18 | 30 | 16位 | - |
2011 | 甲級リーグ | 26 | 13 | 8 | 5 | 36 | 27 | +9 | 47 | 2位 | 2回戦敗退 |
2012 | 超級リーグ | 30 | 13 | 3 | 14 | 47 | 49 | −2 | 42 | 7位 | 4回戦敗退 |
2013 | 超級リーグ | 30 | 11 | 7 | 12 | 45 | 47 | −2 | 40 | 6位 | 4回戦敗退 |
2014 | 超級リーグ | 30 | 17 | 6 | 7 | 67 | 39 | +28 | 57 | 3位 | 4回戦敗退 |
2015 | 超級リーグ | 30 | 8 | 7 | 15 | 35 | 41 | −6 | 31 | 14位 | 4回戦敗退 |
2016 | 超級リーグ | 30 | 11 | 7 | 12 | 47 | 50 | −3 | 40 | 6位 | 準決勝敗退 |
2017 | 超級リーグ | 30 | 15 | 7 | 8 | 59 | 46 | +13 | 52 | 5位 | 準々決勝敗退 |
2018 | 超級リーグ | 30 | 10 | 6 | 14 | 49 | 61 | -12 | 36 | 10位 | 準決勝敗退 |
2019 | 超級リーグ | 30 | 9 | 5 | 16 | 54 | 72 | −18 | 32 | 12位 | 4回戦敗退 |
2020 | 超級リーグ | 30 | 位 |
現所属メンバー
- 2019年3月2日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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※星印は外国人選手を示す。
歴代監督
- セルヒ・モロゾフ 1994
- アデマール・ブラガ 1999
- ヴァレリー・ニポムニシ 2000
- ヘンリク・カスペルチャク 2000-2001
- アラン・ローリエ 2001
- トニ 2002-2003
- ドラゴスラフ・ステパノビッチ 2003
- ボブ・ホートン 2005-2006
- マーティン・コープマン 2006
- ミラノ・シバディノビッチ 2007
- 朱波 2008-2009
- ミオドラグ・イェシッチ 2010
- セルジオ・ファリアス 2012-2013
- スヴェン・ゴラン・エリクソン 2013-2014
- コスミン・コントラ 2015
- ドラガン・ストイコビッチ 2015-2020
- ジョバンニ・ファン・ブロンクホルスト 2020-
歴代所属選手
- 李春郁 2004-2009
- サンドロ 2008, 2010
- 金殷中 2009
- アリソン 2011
- マーロン・ヘアウッド 2011
- アレクサンダー・ジヴコヴィッチ 2011
- ヤクブ・アイェグベニ 2012-2013
- エディ・ボスナー 2013