「パッセロ岬沖海戦」の版間の差分
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*[https://web.archive.org/web/20080318211359/http://www.regiamarina.net/engagements/capopassero/capopassero_us.htm#prof ''Battle off Cape Passero''] |
*[https://web.archive.org/web/20080318211359/http://www.regiamarina.net/engagements/capopassero/capopassero_us.htm#prof ''Battle off Cape Passero''] |
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2020年8月16日 (日) 15:22時点における版
パッセロ岬沖海戦 | |
---|---|
イギリス軽巡洋艦エイジャックス。 | |
戦争:第二次世界大戦 | |
年月日:1940年10月12日 | |
場所:シチリア島南東の地中海 | |
結果:イギリスの勝利 | |
交戦勢力 | |
イギリス | イタリア |
指導者・指揮官 | |
マッカーシー大佐 | カルロ・マルゴッティーニ大佐(戦死)、アルベルト・バンフィ大佐 |
戦力 | |
巡洋艦2 | 駆逐艦4、水雷艇3 |
損害 | |
巡洋艦1損傷、戦死13 | 駆逐艦1、水雷艇2沈没、駆逐艦1損傷、戦死約200 |
パッセロ岬沖海戦 (Action off Cape Passero[1]) は、第二次世界大戦中の1940年10月12日にシチリア島南東沖でイギリス海軍の軽巡洋艦エイジャックスとイタリア海軍の駆逐艦及び水雷艇7隻との間で戦われた海戦である。この海戦は、イギリスのマルタへの補給作戦の結果生起した。
背景
1940年10月、イギリス海軍の地中海艦隊は、アレクサンドリアからマルタへの補給作戦(MB6作戦)を開始した。マルタへ向かう船団は4隻の貨物船からなり、防空巡洋艦2隻と駆逐艦4隻によって護衛されていた。この船団の支援のため、戦艦4隻、空母2隻、巡洋艦6隻、駆逐艦16隻からなる艦隊も出撃した。駆逐艦インペリアルが機雷原で損傷した以外は特に何事も無く、10月11日に船団は目的地に着いた。悪天候のためこの時まで部隊は発見されず、イタリア艦隊による妨害を受けることは無かった。だが、帰投する部隊はマルタ出航後すぐに旅客機に発見された。
戦闘
イタリアの艦隊司令官イニーゴ・カンピオーニ提督は、イギリス艦隊がジブラルタルへ向かう場合に備えて駆逐艦部隊にボン岬へ向かうよう命じた。カンピオーニは敵船団に対し大型艦を向かわせるには既に遅すぎると判断した。同じ頃、駆逐艦4隻と水雷艇3隻が北緯35度45分から北緯35度25分の間を哨戒していた。それらは第11駆逐隊(カルロ・マルゴッティーニ大佐)のソルダティ級駆逐艦、アルティリエーレ(旗艦)、カミチア・ネーラ、アヴィエーレ、ジェニエーレと、第1水雷隊(アルベルト・バンフィ大佐)のスピカ級水雷艇のアリエール、アルチオーネ、アイローネ(旗艦)であった。これらは南北に並び西に向かって航行していた。
一方、イギリス側では第7巡洋艦戦隊が偵察のため先行していた。
10月12日午前1時35分、第7巡洋艦戦隊の軽巡洋艦エイジャックスは、その左舷前方19600ヤードの場所を東に航行していたアルチオーネに発見された。続いてアリエールとアイローネをエイジャックスを発見し、3隻のイタリア水雷艇は全速力でエイジャックスに向かっていった。1時55分、エイジャックスもアリエールとアイローネを発見した。
1時57分、イタリアの水雷艇3隻がエイジャックスに対して魚雷を発射した。アルチオーネが1900ヤードの距離で2本の魚雷を発射、アイローネも2本を発射し、アリエールは1本を発射した。しかし、エイジャックスが増速と変針したことで魚雷はすべて外れた。アイローネはさらに2本の魚雷を発射するとともに砲撃を行った。魚雷は命中しなかったが、砲撃は3発がエイジャックスに命中した。
一方、エイジャックスもイタリア水雷艇に対し砲撃を開始した。まず、アリエールが被弾し20分後に沈没した。アリエールでは艦長を含め大部分の乗員が戦死した。アリエールは撃沈される前に魚雷1本を発射したとされる。次はアイローネが命中弾を受けた。アイローネはすぐに戦闘不能となり炎上して3時34分に沈没した。
もう1隻の水雷艇アルチオーネは無傷であり、砲撃を行った後2時3分に接触を絶った。
2時10分、北上していたアヴィエーレがエイジャックスを発見した。アヴィエーレはエイジャックスに対し砲撃を行ったが、エイジャックスからの砲撃で被弾損傷し戦場を離脱した。アヴィエーレは魚雷を発射しようとしたが出来なかった。 2時29分からは、エイジャックスとアルティリエーレが交戦した。アルティリエーレは魚雷を発射しようとしたところでエイジャックスから砲撃された。アルティリエーレは1本の魚雷を発射し2800ヤードで3回斉射した後、被弾した。発射した魚雷は外れたが、4.7インチ砲弾4発が命中し、エイジャックスのレーダーなどを損傷させた。カミチア・ネーラを砲撃後エイジャックスは戦闘を打ち切った。カミチア・ネーラには命中弾はなかった。エイジャックスは13名の死者と20名以上の負傷者を出していた。また、この戦闘で490発の砲弾と4本の魚雷を発射した。エイジャックスの修理には約1ヶ月を要した。
カミチア・ネーラは艦長他多数が戦死し大破したアルティリエーレを曳航しようとしたが、他の巡洋艦が現れたため断念した。アルティリエーレは重巡洋艦ヨークによって撃沈され、アルティリエーレの生存者は翌日イタリア海軍によって救助された。なお、カミチア・ネーラは無事帰投している。また、アルチオーネはエイジャックスが去った後再び戻ってきてアリエールとアイローネの生存者を救助した。
結果
イタリア海軍は初めて、夜戦におけるイギリス海軍の技術や装備が優れていることに気づいた。もしイタリアが技術的な差を埋めようとすれば、イギリス海軍による照明弾や探照灯、焼夷弾の大規模な使用に対抗しなければならなかった。また、イタリアは敵によるレーダーの使用も疑ったが、この時まではそれは単なる推測でしかなかった。イタリアは、航空偵察における欠陥が主力部隊の素早い展開を妨げ、イギリス側に状況が不利であれば戦闘を回避できるという有利な状況をもたらした、と結論付けた。
脚注
- ^ Struggle for the Middle Sea, p.57
参考文献
- Bragadin, Marc'Antonio: The Italian Navy in World War II, United States Naval Institute, Annapolis, 1957. ISBN 0-405-13031-7.
- Green, Jack & Massignani, Alessandro: The Naval War in the Mediterranean, 1940-1943, Chatam Publishing, London, 1998. ISBN 1-86176-057-4
- Sierra, Luis de la: La guerra naval en el Mediterráneo, 1940-1943, Ed. Juventud, Barcelona, 1976. ISBN 84-261-0264-6. (In Spanish).
- Vincent P. O'Hara, Struggle for the Middle Sea, Naval Institute Press, 2009, ISBN 978-1-59114-648-3