「陸軍総司令部 (ドイツ)」の版間の差分
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2020年8月16日 (日) 12:59時点における版
陸軍総司令部(りくぐんそうしれいぶ、ドイツ語: Oberkommando des Heeres, 略号:OKH)は、ヴェルサイユ条約の軍事条項を破棄する再軍備宣言により1935年に新設されたドイツ陸軍の最高指揮機関である。同じく新設された海軍総司令部や空軍総司令部に同等する機関である。隷下には参謀本部、人事局、兵器局、国内予備軍、各軍集団がある。
国防軍最高司令部との関係
1938年になって新設された国防軍最高司令部との関係については明確に規定されていないが、独ソ戦の開始に伴い陸軍総司令部は東部戦線に展開する軍(Ostheer)の指揮に専念、それ以外の北アフリカ、地中海、バルカン、フランスにおける作戦指導を国防軍最高司令部に譲った。
地下司令部
陸軍総司令部は、1939年の開戦直前に完成したベルリン郊外のヴュンスドルフに設けられた地下ブンカー施設に移された。当時から既に防空意識が高く、すべてが地下に構築され、地上は長閑な農村風景が演出されていた。秘匿名称は Maybach I である。国防軍最高司令部のそれは Maybach II と呼ばれていた。1940年4月20日からは2個指揮通信連隊が追加されて陸軍総司令部と軍集団司令部、軍司令部との長距離通信網を充実させた。共用の長距離指揮通信施設(Zeppelin、あるいはAmt 500)である。戦後も駐留ソ連軍司令部が1990年のドイツ再統一まで利用した。現在、ブンカー跡を見学することが出来る。
ベルリン市内のベンドラー街に残された国防省ビルには国内予備軍司令部ほかが入っていた。ここは1944年7月20日におけるヒトラー暗殺未遂事件の舞台となった。
陸軍総司令官 (Oberbefehlshaber des Heeres,略号:OBdH)
- 1935年 - 1938年, 上級大将 ヴェルナー・フォン・フリッチュ
- 1938年 - 1941年12月19日, 元帥 ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ
- 1941年12月19日 - 1945年4月30日, アドルフ・ヒトラー
- 1945年4月30日 - 1945年5月8日, 元帥 フェルディナント・シェルナー
参謀本部総長
- 1935年 - 1938年, 上級大将 ルートヴィヒ・ベック
- 1938年 - 1942年9月, 上級大将 フランツ・ハルダー
- 1942年9月 - 1944年7月, 上級大将 クルト・ツァイツラー
- 1944年7月 - 1945年3月, 上級大将 ハインツ・グデーリアン
- 1945年3月 - 1945年5月1日, 大将 ハンス・クレープス
組織 (1938年-1939年)
- 陸軍総司令官
- 人事局 (ボーデヴィン・カイテル, ヴィルヘルム・カイテルの弟)
- 陸軍兵器局 (フリードリヒ・フロム)
- 徴兵局
- 管理局
- 装甲兵総監(Inspekteur der Schnelltruppen, ハインツ・グデーリアン)
- 参謀本部 (Generalstab des Heeres, ルートヴィヒ・ベック)
- 第一部 (Oberquartiermeister I, フランツ・ハルダー)
- 第一課(作戦)
- 第五課(輸送)
- 第六課(補給)
- 第九課(地図・測量)
- 第十課(築城)
- 第二部 (Oberquartiermeister II, カール=ハインリヒ・フォン・シュテュルプナーゲル)
- 第四課(教育・訓練)
- 第十一課(将校教育)
- 第三部 (Oberquartiermeister III, Stapf)
- 第二課(編制, ヴァルター・ブーレ)
- 第八課(技術)
- 第四部 (Oberquartiermeister IV, クルト・フォン・ティッペルスキルヒ)
- 第三課(西方外国軍)
- 第十二課(東方外国軍,エーベルハルト・キンツェル)
- 駐在武官室 (Attache,フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・メレンティン)
- 第五部 (Oberquartiermeister V, ヴァルデマール・エアフルト)
- 第七課(戦史・記録)
- 陸軍大学 (Kriegsakademie,クルト・リープマン)
- 第一部 (Oberquartiermeister I, フランツ・ハルダー)
関連項目
文献
- ゲハルト・ボルト(グデーリアン参謀総長の副官)『ヒトラー 最後の十日間』松谷健二(訳)、TBS出版会、1974年
- Barry Leach 『ドイツ参謀本部(原題:German general staff)』戦史刊行会(訳)、原書房、1979年
- ヴァルター・ゲルリッツ『ドイツ陸軍参謀本部興亡史』守屋純(訳)、学習研究社、1998年