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'''斉秦互帝'''(せいしんごてい、{{lang-zh|齊秦互帝}})は、[[紀元前288年]]に[[秦]]と[[田斉|斉]]が盟を結び、秦が'''西帝'''、斉が'''東帝'''を称した事件。 |
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紀元前288年10月、秦の[[昭襄王 (秦)|昭襄王]]が西帝を自称した。そして斉の[[ビン王 (斉)|湣王]]へ[[魏冄]]を派遣し、東帝を称し、共同で[[趙 (戦国)|趙]]を攻めるように要請した。[[斉王]]は[[蘇秦]]に問うと、蘇秦は斉王に受諾するように頼んだ。しかし、後に蘇秦は「秦王が帝号を称し、天下の各国が反対を唱えなければ、斉王は帝号を称することにした。秦王は帝号を称することで天下の各国から非難を浴び、斉王は帝号を称しなかった。また、共同で趙へ侵攻するより、暴虐ぶりで『[[宋 (春秋)|宋]]の[[桀]]』と知られる[[康王 (宋)|康王]]の宋へ侵攻することが有利です」と説いた。斉王は同意し、帝号から[[王]]号に戻した。12月、{{仮リンク|呂礼|zh|吕礼}}は斉から秦へ派遣され、昭襄王は帝号を廃し、[[秦王]]を称した。 |
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== 参考文献 == |
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2020年8月13日 (木) 04:29時点における版
斉秦互帝(せいしんごてい、中国語: 齊秦互帝)は、紀元前288年に秦と斉が盟を結び、秦が西帝、斉が東帝を称した事件。
紀元前288年10月、秦の昭襄王が西帝を自称した。そして斉の湣王へ魏冄を派遣し、東帝を称し、共同で趙を攻めるように要請した。斉王は蘇秦に問うと、蘇秦は斉王に受諾するように頼んだ。しかし、後に蘇秦は「秦王が帝号を称し、天下の各国が反対を唱えなければ、斉王は帝号を称することにした。秦王は帝号を称することで天下の各国から非難を浴び、斉王は帝号を称しなかった。また、共同で趙へ侵攻するより、暴虐ぶりで『宋の桀』と知られる康王の宋へ侵攻することが有利です」と説いた。斉王は同意し、帝号から王号に戻した。12月、呂礼は斉から秦へ派遣され、昭襄王は帝号を廃し、秦王を称した。