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2020年8月13日 (木) 02:43時点における版
大勲位瑞星大綬章 | |
---|---|
大勲位瑞星大綬章副章 | |
大韓帝国による賞 | |
種別 | 勲章 |
状態 | 廃止 |
歴史・統計 | |
創設 | 1902年8月12日 |
初授与 | 1907年1月21日 |
最新(最後) の授与 | 1910年4月2日 |
序列 | |
上位 | 大勲位金尺大綬章 |
下位 | 大勲位李花大綬章 |
正章(左)と副章(右) |
大勲位瑞星大綬章(だいくんいずいせいだいじゅしょう、朝鮮語:대훈위서성대수장)は、大韓帝国の勲章である。
概要
大勲位瑞星大綬章は、1900年4月17日に発布された大韓帝国勅令第13号の勲章条例に追加される形で、1902年8月12日に制定された。名称は国初に基づくものである。
大勲位李花大綬章を受章した大韓帝国皇帝の血族や武官、文官などのなかでも優れた功績を上げたものに対し、皇帝の特旨で授与された[1]。
形状
大勲位瑞星大綬章は正章と副章の二種類で構成されている。正章は銀製で、直径約7.6センチメートルである。正章の中央部には、中に銀白色の星が3個描かれた赤色の円がある。円の周りは木の葉で囲まれており、さらに外側には銀白色の十字とスモモの花が配置されている。正章に付属している金輪にもスモモの花が配置されている。副章の基本構造は正章と大差ないが、副章には金輪は付属せず、その代わりに裏にピンがついている。また、正章と副章に共通することとして、どちらも裏に「瑞星大勲」と記されていることが挙げられる[2]。
大勲位瑞星大綬章を佩用する際は、織地淡紫色、双線黄色の大綬を右肩側から左わき腹側にかけて着用する。その他、副章は左胸[3]に、略綬は通常礼服時ラペルホールに佩用する[3]。
受章者
受章年 | 受章月日 | 名前 | 職業等 | 国籍 |
---|---|---|---|---|
1907年 | 1月21日 | 李載覚[4] | 韓国赤十字社総裁 | 大韓帝国 |
1月23日 | 田中光顕[5] | 宮内大臣 | 大日本帝国 | |
3月12日 | 長谷川好道[6] | 朝鮮総督、陸軍大将 | 大日本帝国 | |
6月29日 | 寺内正毅[7] | 陸軍大臣 | 大日本帝国 | |
7月27日 | 林董[8] | 外務大臣 | 大日本帝国 | |
10月30日 | 李載冕[9] | 李氏朝鮮王族 | 大韓帝国 | |
李載完[10] | 陸軍副将 | 大韓帝国 | ||
1908年 | 1月29日 | 徳大寺実則[11] | 内大臣兼侍従長 | 大日本帝国 |
3月20日 | 閔丙奭[12] | 政治家、子爵 | 大韓帝国 | |
5月7日 | 尹沢栄[13] | 海豊府院君 | 大韓帝国 | |
9月23日 | 李埈鎔[14] | 大韓帝国皇族 | 大韓帝国 | |
1909年 | 9月6日 | 曾禰荒助[15] | 韓国統監 | 大日本帝国 |
1910年 | 4月2日 | 岩倉具定[16] | 宮内大臣 | 大日本帝国 |
脚注
- ^ “훈장 등급을 변통하도록 명하다”. 국사편찬위원회 (1902年8月12日). 2012年4月24日閲覧。
- ^ 이강칠 (1999). 대한제국시대 훈장제도. 백산출판사. p. 93
- ^ a b “훈장 조례를 반포하다”. 국사편찬위원회 (1900年4月17日). 2012年4月23日閲覧。
- ^ “통감부의 총무장관 쯔루하라 사다키치 등에게 훈장을 주다”. 국사편찬위원회 (1907年1月21日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “고기 의식을 가지다”. 국사편찬위원회 (1907年1月23日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “해당한 일본인들에게 훈장을 주다”. 국사편찬위원회 (1907年3月12日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “일본 귀족원의원 후작 이케다 노라마사 등에게 훈장을 주다”. 국사편찬위원회 (1907年6月29日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “일본 외무대신 하야시 다다스에게 훈장을 수여하다”. 국사편찬위원회 (1907年7月27日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “이재면, 이재완 등과 일본국 관리들을 표창하다”. 국사편찬위원회 (1907年10月30日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “이재면, 이재완 등과 일본국 관리들을 표창하다”. 국사편찬위원회 (1907年10月30日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “추밀원의장 야마가타 아리토모 등에게 훈장을 수여하다”. 국사편찬위원회 (1908年1月29日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “임오년의 변란 때 공을 세운 충문공 민영위 등에게 특전을 베풀다”. 국사편찬위원회 (1908年3月20日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “해풍부원군 윤태영과 일본국 의사 고조 바이케이에게 훈장을 수여하다”. 국사편찬위원회 (1908年5月7日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “이준용, 김윤식에게 훈장을 수여하다”. 국사편찬위원회 (1908年9月23日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “소네 아라스케 및 통감부 일본인 관리들에게 훈장을 수여하다”. 국사편찬위원회 (1909年9月6日). 2015年4月10日閲覧。
- ^ “이와구라 도모사다에게 훈장을 수여하다”. 국사편찬위원회 (1910年4月2日). 2015年4月10日閲覧。
参考文献
- 《고종실록》
- 《순종실록》
- 이강칠 (1999), 《대한제국시대 훈장제도》, 백산출판사. ISBN 9788977392595