「本朝画史」の版間の差分
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2020年7月26日 (日) 21:49時点における版
本朝画史(ほんちょうがし)は、狩野永納によって延宝6年(1679年)に開版された[脚注 1]日本画人伝で、日本絵画史の基礎資料のひとつである[脚注 2])。5巻5冊、付録に「本朝画印」を載せる。元禄6年(1693年)再版は、元禄4年版行の『本朝画伝』の補訂版である。
概要
父の狩野山雪による「本朝画人略伝」の草稿を補完執筆したもので、儒医黒川道祐の協力もあり、林鵞峰が延宝6年に序文を寄せている。画人の合計405人で、構成は次のとおり。
- 巻一:画原,画官,画所,画考,画運,画式,画題を解説
- 巻ニ:上古画人147人
- 巻三:中古名品(の画人)160人
- 巻四:専門家族24人、「狩野家累世所用画法」
- 巻五:雑伝46人、補遺28人、付録:画器、絵具。
諸本によっては「本朝画印」を前後に置いている。また、『本朝画史』に合冊されている『続本朝画史』は、檜山義慎が文政2年(1819年)に『本朝画史』の遺漏を補い皇朝名画拾彙としたのを改題したもの([書影 1])。
諸本
- 狩野永納撰『本朝画史』と檜山義慎撰『続本朝画史』を合冊し『本朝画史』とした(1883年)佚存書坊版、5巻5冊。
脚注
- ^ 狩野永納、1975、「訳注本朝画史(一)」、『人文學』(128)、同志社大学人文学会 pp. 1.
- ^ 先行画人伝には寛文11年(1671年)起算の狩野一溪著『丹青若木集』(坂崎担編著『日本画談大観』所収)がある 坂崎担(編)、1917、「丹青若木集」、『日本画談大観』、目白書院 NDLJP:954090 pp. 1004-1028 (コマ521-532)
書影
- ^ 坂崎担(編)、1917、「続本朝画史」、『日本画談大観』、目白書院 NDLJP:954090 pp. 1235-1279 (コマ635-657)
- ^ 狩野永納、1899、『本朝画史』、尚栄堂・文永堂 NDLJP:851684
- ^ 狩野永納、1899、『本朝画史』、尚栄堂・文永堂 NDLJP:851685
- ^ 狩野永納、1899、『本朝画史』、尚栄堂・文永堂 NDLJP:851686
- ^ 狩野永納、1899、『本朝画史』、尚栄堂・文永堂 NDLJP:851687
- ^ 狩野永納、1899、『本朝画史』、尚栄堂・文永堂 NDLJP:851688
- ^ 狩野永納、1833、『本朝画史』、佚存書坊 NDLJP:851679
- ^ 狩野永納、1833、『本朝画史』、佚存書坊 NDLJP:851680
- ^ 狩野永納、1833、『本朝画史』、佚存書坊 NDLJP:851681
- ^ 桧山義慎、1833、『本朝画史.続巻 : 皇朝名画拾彙』、佚存書坊 NDLJP:851682
- ^ 桧山義慎、1833、『本朝画史.続巻 : 皇朝名画拾彙』、佚存書坊 NDLJP:851683
- ^ 坂崎担(編)、1917、「本朝画史」、『日本画談大観』、目白書院 NDLJP:954090 pp. 1029-1087 コマ532-586
- ^ 笠井昌昭、1975.8、「訳注本朝画史(一)」、『人文學』(128)、同志社大学人文学会 pp. 1-56.
- ^ 笠井昌昭、1976.12、「訳注本朝画史(三)」、『人文學』(129)、同志社大学人文学会 pp. 1-58.
- ^ 笠井昌昭、1978.3、「訳注本朝画史(四)」、『人文學』(131)、同志社大学人文学会 pp. 1-53.
- ^ 笠井昌昭、1979.3、「訳注本朝画史(五)」、『人文學』(134)、同志社大学人文学会 pp. 25-60.
書誌
- ^ 狩野永納; 笠井昌昭; 佐々木進; 竹居明男『本朝画史』同朋舎出版、1985年。ISBN 4810404439。