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2020年7月26日 (日) 21:47時点における版
矢野太郎「中右記解題」、増補史料大成刊行会編『中右記』一(増補史料大成9)、臨川書店、1934年。矢野太郎「中右記解題」、増補史料大成刊行会編『中右記』一(増補史料大成9)、臨川書店、1934年。『中右記』(ちゅうゆうき)は、藤原宗忠が寛治元年(1087年)から保延4年(1138年)まで書いた日記である。筆者には『愚林』と名付けられたようだが[1]、「中御門右大臣の日記」を略して『中右記』と呼ばれる。
解説
応徳4年・寛治元年(1087年)、宗忠26歳の元旦から書かれた。初めから寛治5年(1091年)までは、元の日記をずっと後に整理して書き改めたもので、寛治3年分は本人、他の年は子の藤原宗能が改稿した。その結果以降の時期と比べて簡略になっており、中でも寛治3年分がもっとも短くなった。改稿により原本は破棄された[2]。
一部欠落はあるが、50余年にわたり政治上の要事を克明に書き留めた記録である。人の死亡時に六国史にあるような略伝を付けたのが日記では他に例のない特徴である[3]。当時の政治社会情勢や有職故実、人物像を知る上できわめて有用で、院政初期の基本史料である。
刊本
- 東京大学史料編纂所編『大日本古記録 中右記』第1~7巻、別卷、 岩波書店 、1993-2014 年(全18卷予定)
- 陽明叢書記録文書篇全4冊 中右記 思文閣出版、1988年
- 増補史料大成刊行会編『中右記』(増補史料大成9-15)、臨川書店、1965年。
脚注
参考文献
- 矢野太郎「中右記解題」、増補史料大成刊行会編『中右記 一』(増補史料大成9)、臨川書店、1934年。
- 戸田芳実『中右記 躍動する院政時代の群像』、そしえて、1979年。
- 松薗斉「藤原宗忠の家記形成」、『日記の家―中世国家の記録組織―』、吉川弘文館、1997年。初出1989年。
- 杉本理「『中右記』の薨卒伝について」、『古代文化』45-1、1993年。佐々木令信編『中右記人名索引』上・下、臨川書店、1993年。
- 吉田早苗「「中右記部類」について」、皆川完一編『古代中世史料学研究』下巻、吉川弘文館、1998年。
- 杉本理「院政期貴族社会のネットワークについて―藤原宗忠と他の貴族間の交流を中心に―」、『古代文化』51、1999年。
- 佐藤健治「『中右記』(藤原宗忠)―宗忠の見た白河院政」、元木泰雄・松薗斉共編著『日記で読む日本中世史』、ミネルヴァ書房、2011年。
- 松薗斉「人生を仕上げた男―藤原宗忠『中右記』―」、『日記に魅入られた人々』、臨川書店、2017年。