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「枋山郷」の版間の差分

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枋山郷は古くは原住民である[[パイワン族]]の居住地であり、旧名を「崩山」と称した。[[1860年]]頃より漢人による入植が開始され、その際に入植地に存在した小山がしばしば山崩れを起こしたため、「崩山」と呼ばれるようになった。後に「崩山」では不吉であるとされ、台湾語で同音の「枋山」と表記されるようになった。
枋山郷は古くは原住民である[[パイワン族]]の居住地であり、旧名を「崩山」と称した。[[1860年]]頃より漢人による入植が開始され、その際に入植地に存在した小山がしばしば山崩れを起こしたため、「崩山」と呼ばれるようになった。後に「崩山」では不吉であるとされ、台湾語で同音の「枋山」と表記されるようになった。


[[1875年]]、[[沈葆テイ|沈葆楨]]は[[恒春半島]]に「恒春県」を設置し、今日の[[恒春鎮]]、[[車城郷]]、[[満州郷]]を漢人の地と定めた。この3地域を連絡するために半島西部に回廊が形成され、これが今日の枋山郷の前身となった。[[1920年]]の台湾地方制度改制の際、この地に「枋山庄」が設けられ、高雄州恒春郡の管轄となった。戦後は高雄県枋山郷に改編され、[[1950年]]に屏東県に帰属するようになり、現在に至っている。
[[1875年]]、[[沈葆楨]]は[[恒春半島]]に「恒春県」を設置し、今日の[[恒春鎮]]、[[車城郷]]、[[満州郷]]を漢人の地と定めた。この3地域を連絡するために半島西部に回廊が形成され、これが今日の枋山郷の前身となった。[[1920年]]の台湾地方制度改制の際、この地に「枋山庄」が設けられ、高雄州恒春郡の管轄となった。戦後は高雄県枋山郷に改編され、[[1950年]]に屏東県に帰属するようになり、現在に至っている。


== 行政区 ==
== 行政区 ==

2020年7月26日 (日) 10:39時点における版

屏東県の旗 屏東県 枋山郷
別称: 崩山
地理
位置 北緯--°--'
東経--°--'
面積: 17.2697 km²
各種表記
繁体字: 枋山郷
日本語読み: ぼうざん、ほうさん
拼音: {{{pinyin}}}
通用拼音: -
注音符号: ㄈㄤ ㄕㄢ
片仮名転写: ファンシャン
客家語: Piông-sân
行政
行政区分:
上位行政区画: 屏東県の旗 屏東県
下位行政区画: 4村63鄰
枋山郷長: 洪啓能
公式サイト: 枋山郷公所
情報
総人口: 5,638 人(2016年1月)
世帯数: 2,136 戸(2016年1月)
郵便番号: 941
市外局番: 08
枋山郷の木: -
枋山郷の花: -
枋山郷の鳥: -
テンプレートを表示
蔡潔生故居蔡英文総統祖厝)

枋山郷(ファンシャン/ぼうざん-きょう)は、台湾屏東県

地理

枋山郷は屏東県南西部沿海地方に位置し、北は枋寮郷と、東は春日郷獅子郷と、南は車城郷とそれぞれ接し、西は台湾海峡に面している。恒春半島中央山脈末端に位置し、枋山郷は南北約30km、東西約100mという南北に細くなっており、海岸に切り立つ地勢となっている。

歴史

枋山郷は古くは原住民であるパイワン族の居住地であり、旧名を「崩山」と称した。1860年頃より漢人による入植が開始され、その際に入植地に存在した小山がしばしば山崩れを起こしたため、「崩山」と呼ばれるようになった。後に「崩山」では不吉であるとされ、台湾語で同音の「枋山」と表記されるようになった。

1875年沈葆楨恒春半島に「恒春県」を設置し、今日の恒春鎮車城郷満州郷を漢人の地と定めた。この3地域を連絡するために半島西部に回廊が形成され、これが今日の枋山郷の前身となった。1920年の台湾地方制度改制の際、この地に「枋山庄」が設けられ、高雄州恒春郡の管轄となった。戦後は高雄県枋山郷に改編され、1950年に屏東県に帰属するようになり、現在に至っている。

行政区

楓港村、善余村、加禄村、枋山村

歴代郷長

氏名 着任日 退任日

教育

高級中学

国民小学

交通

種別 路線名称 その他
鉄道 南迴線 加禄駅 内獅駅
省道 台1線
省道 台9線 南廻公路
省道 台26線

観光