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カントリーキッズ高校卒業後の{{by|2008年}}に[[白鷗大学]]へ進学<ref>[http://www.nikkeyshimbun.jp/2015/151023-73colonia.html プロ野球ドラフト会議=仲尾次オスカル、広島へ=ブラジル勢、2年連続指名][[ニッケイ新聞]] 2015年10月23日付 2015年11月11日閲覧</ref>。在学中は、[[関甲新学生野球連盟|関甲新学生野球]]のリーグ戦通算で59試合に登板すると、28勝13敗、防御率2.33という成績を残した。 |
カントリーキッズ高校卒業後の{{by|2008年}}に[[白鷗大学]]へ進学<ref>[http://www.nikkeyshimbun.jp/2015/151023-73colonia.html プロ野球ドラフト会議=仲尾次オスカル、広島へ=ブラジル勢、2年連続指名][[ニッケイ新聞]] 2015年10月23日付 2015年11月11日閲覧</ref>。在学中は、[[関甲新学生野球連盟|関甲新学生野球]]のリーグ戦通算で59試合に登板すると、28勝13敗、防御率2.33という成績を残した。 |
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日本国内にある白鷗大学に通算で3年間在籍したことによって、NPBにおける[[外国人枠 (日本プロ野球)#野球協約の規定に該当した選手|外国人枠の例外規定]]で日本人選手と同じ扱いを受けられることから、4年時の秋に[[日本学生野球協会]]へ[[プロ志望届]]を提出したが、[[2015年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|同年のドラフト会議]]では指名漏れとなった。 |
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大学卒業直前に開かれた[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]には、母国の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック・ブラジル代表|ブラジル代表]]として出場し、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック・パナマ代表|パナマ代表]]を予選ラウンドで2度破り、本大会へ進出した。本大会では、1次ラウンドの対[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]戦で、1点リードの7回から登板。1イニング目を三者凡退に抑えたものの、2イニング目の8回1死2塁から代打の[[井端弘和]]に同点打を浴びて降板し、後続の投手が逆転を許したため黒星を喫した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/01/20/kiji/K20160120011889680.html 井端に打たれた右前打…悔しさプロで晴らす 広島ドラフト6位オスカル]スポーツニッポン 2016年1月20日</ref>。 |
大学卒業直前に開かれた[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック|第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)]]には、母国の[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック・ブラジル代表|ブラジル代表]]として出場し、[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック・パナマ代表|パナマ代表]]を予選ラウンドで2度破り、本大会へ進出した。本大会では、1次ラウンドの対[[2013 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]戦で、1点リードの7回から登板。1イニング目を三者凡退に抑えたものの、2イニング目の8回1死2塁から代打の[[井端弘和]]に同点打を浴びて降板し、後続の投手が逆転を許したため黒星を喫した<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2016/01/20/kiji/K20160120011889680.html 井端に打たれた右前打…悔しさプロで晴らす 広島ドラフト6位オスカル]スポーツニッポン 2016年1月20日</ref>。 |
2020年7月24日 (金) 09:29時点における版
日本製鉄かずさマジック #12 | |
---|---|
基本情報 | |
国籍 | ブラジル |
出身地 | サンパウロ州サンパウロ |
生年月日 | 1991年3月28日(33歳) |
身長 体重 |
178 cm 78 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
初出場 | 2016年3月25日 |
最終出場 | 2017年5月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | ブラジル |
WBC | 2013年 |
この表について
|
仲尾次・オスカル・正樹(なかおし オスカル まさき、Nakaoshi Oscar Masaki、1991年3月28日 - )は、ブラジル・サンパウロ州サンパウロ出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。
経歴
プロ入り前
1998年にサンパウロ市内のジガンテ野球クラブへ入団したことを機に、野球を本格的にスタート。2004年には、ヤクルト野球アカデミーに入学した。
カントリーキッズ高校卒業後の2008年に白鷗大学へ進学[1]。在学中は、関甲新学生野球のリーグ戦通算で59試合に登板すると、28勝13敗、防御率2.33という成績を残した。
日本国内にある白鷗大学に通算で3年間在籍したことによって、NPBにおける外国人枠の例外規定で日本人選手と同じ扱いを受けられることから、4年時の秋に日本学生野球協会へプロ志望届を提出したが、同年のドラフト会議では指名漏れとなった。
大学卒業直前に開かれた第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)には、母国のブラジル代表として出場し、パナマ代表を予選ラウンドで2度破り、本大会へ進出した。本大会では、1次ラウンドの対日本代表戦で、1点リードの7回から登板。1イニング目を三者凡退に抑えたものの、2イニング目の8回1死2塁から代打の井端弘和に同点打を浴びて降板し、後続の投手が逆転を許したため黒星を喫した[2]。
大学卒業後は本田技研工業へ入社して狭山野球部へ加入すると、直後のJABA東京スポニチ大会でチームの優勝に貢献するとともに新人賞を受賞。その後の対外試合には、主に救援で起用された。3年目には、JABA関東選抜リーグ優秀投手賞を受賞している[3]。在籍中の登録名は「オスカル」。
2015年のNPBドラフト会議で、広島東洋カープから6巡目で指名。契約金3,000万円、年俸800万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は57で、入団当初の登録名は「仲尾次オスカル」[4]。
広島時代
2016年には、同期入団の横山弘樹と共に、レギュラーシーズンの開幕を一軍でスタート。横浜DeNAベイスターズとの開幕3連戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、3月25日の第1戦で一軍公式戦初登板、27日の第3戦でこの年のNPB新人選手としての初勝利を記録した[5][6]。3月29日から、登録名を「オスカル」に変更[4]が、一軍公式戦には通算23試合の登板で、防御率が6.35ながら2勝と1ホールドを挙げた。
2017年には、ウエスタン・リーグ公式戦37試合に登板。1勝4敗6セーブ、防御率3.05を記録したが、一軍公式戦への登板はわずか2試合にとどまった。シーズン終了後の秋季練習以降は、オーバースローだった投球フォームをサイドスローに変更している[7]。
2018年には、ウエスタン・リーグ公式戦15試合の登板で2勝1敗、防御率3.94を記録したが、一軍公式戦への登板機会はなかった。10月28日に球団から戦力外通告を受けたが、NPB他球団での現役続行を希望していたことから、11月14日に12球団合同トライアウト(タマホームスタジアム筑後)へ参加。対戦した3人の打者を全て凡退させた[8]。12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示された[9]。トライアウトの後には独立リーグ数球団から獲得のオファーを受けたものの、本人がアマ復帰を希望したため全て固辞している。
広島退団後
2019年からは、新日鐵住金かずさマジック→日本製鉄かずさマジックの投手として社会人野球に復帰している(所属は高田工業所)[10]。
人物・選手としての特徴
最速140km/h超のストレートが武器。
投球フォームは元々オーバースローで、広島時代の2017年シーズン終了後からサイドスローに転向した。一軍公式戦への登板機会を増やすことを狙った転向だった[11]が、転向後は登板の機会がないまま退団した。社会人野球に復帰してからはオーバースローに戻している。
両親とも日本国内の出身だが[12][13]、オスカル自身は「日本語があまりうまくない」と語っている[14]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016 | 広島 | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 105 | 22.2 | 32 | 3 | 7 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 17 | 16 | 6.35 | 1.72 |
2017 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | --- | 6 | 1.2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 5.40 | 0.60 | |
NPB:2年 | 25 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 1.000 | 111 | 24.1 | 33 | 3 | 7 | 0 | 1 | 13 | 0 | 0 | 18 | 17 | 6.29 | 1.64 |
- 2018年度シーズン終了時
記録
- 初登板:2016年3月25日、対横浜DeNAベイスターズ1回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、9回表に3番手で救援登板、2/3回無失点
- 初勝利:2016年3月27日、対横浜DeNAベイスターズ3回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、7回表に2番手で救援登板、1回無失点
- 初奪三振:2016年4月9日、対阪神タイガース2回戦(阪神甲子園球場)、7回裏に福留孝介から空振り三振
背番号
- 57 (2016年 - 2018年)
登録名
- 仲尾次オスカル (なかおしオスカル、2016年 - 同年3月28日)
- オスカル (2016年3月29日 - 2018年)
脚注
- ^ プロ野球ドラフト会議=仲尾次オスカル、広島へ=ブラジル勢、2年連続指名ニッケイ新聞 2015年10月23日付 2015年11月11日閲覧
- ^ 井端に打たれた右前打…悔しさプロで晴らす 広島ドラフト6位オスカルスポーツニッポン 2016年1月20日
- ^ 広島ドラフト6位、Honda仲尾次オスカル 関東選抜リーグ優秀投手賞スポーツニッポン 2015年11月1日
- ^ a b 広島・仲尾次の登録名は「オスカル」プロ野球朝日新聞デジタル 2016年3月30日付 同日閲覧
- ^ ブラジル出身異色左腕 広島・オスカルが新人12球団一番乗り1勝スポーツニッポン 2016年3月28日
- ^ 広島オスカル、新人1番星「ブラジルで大ニュース」日刊スポーツ 2016年3月28日
- ^ 広島・オスカルがサイドスローに転向「左打者を100%抑えられるように」デイリースポーツ 2017年11月4日
- ^ 48人が参加 プロ野球合同トライアウト/詳細日刊スポーツ 2018年11月14日
- ^ 2018年度 自由契約選手NPB日本野球機構
- ^ 広島オスカル「負けたくない」出身ホンダがライバル日刊スポーツ 2019年1月5日
- ^ “広島・オスカル サイドで一軍入りだ 佐々岡二軍コーチが提案”. デイリー. (2017年11月5日) 2017年11月8日閲覧。
- ^ ドラフト6位仲尾次プロでも「オスカル」熱望デイリースポーツ 2015年11月3日
- ^ 広島入りの左腕が意気込む=速球武器の仲尾次オスカル=「マエケンのような投手に」=10日から新人合宿で始動ニッケイ新聞 2016年1月7日
- ^ “広島ドラフト6位仲尾次オスカル、野球も漢字もうまくなる”. 日刊スポーツ. (2015年12月6日) 2015年12月7日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 オスカル - NPB.jp 日本野球機構