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2020年7月17日 (金) 14:30時点における版

蜘蛛巣城
監督 黒澤明
脚本 小国英雄
橋本忍
菊島隆三
黒澤明
製作 黒澤明
本木荘二郎
出演者 三船敏郎
山田五十鈴
千秋実
音楽 佐藤勝
撮影 中井朝一
編集 黒澤明
製作会社 東宝
配給 東宝
公開 日本の旗 1957年1月15日
上映時間 110分
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
配給収入 1億9800万円[1]
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蜘蛛巣城』(くものすじょう)は、1957年(昭和32年)1月15日公開の日本映画である。東宝製作・配給。監督は黒澤明、主演は三船敏郎モノクロスタンダード、110分。

シェイクスピア戯曲マクベス』を日本の戦国時代に置き換えた作品。ラストに主人公の三船が無数の矢を浴びるシーンで知られる。CGがなかった当時、このシーンは集められた大学弓道部の学生たちが、超至近距離から一斉に三船めがけて弓矢を放って撮影された[2]。原作の世界観にの様式美を取り入れ、エキストラ人員とオープンセットは黒澤作品では随一の規模で製作された。第31回キネマ旬報ベスト・テン第4位。

あらすじ

北の館(きたのたち)の主・藤巻の謀反を鎮圧した武将、鷲津武時と三木義明は、喜ぶ主君・都築国春に召し呼ばれ、蜘蛛巣城へ馬を走らせていたが、雷鳴の中、慣れているはずの「蜘蛛手の森」で道に迷い、奇妙な老婆と出会う。老婆は、武時はやがて北の館の主、そして蜘蛛巣城の城主になることを、義明は一の砦の大将となり、やがて子が蜘蛛巣城の城主になることを告げる。ふたりは一笑に付すが、主君が与えた褒賞は、武時を北の館の主に、義明を一の砦の大将に任ずるものであった。

武時から一部始終を聞いた妻・浅茅は、老婆の予言を国春が知れば、こちらが危ないと、謀反をそそのかし、武時の心は揺れ動く。折りしも、国春が、藤巻の謀反の黒幕、隣国の乾を討つために北の館へやって来る。その夜、浅茅は見張りの兵士たちを痺れ薬入りの酒で眠らせ、武時は、眠っている国春を殺す。主君殺しの濡れ衣をかけられた臣下・小田倉則安は国春の嫡男・国丸を擁し、蜘蛛巣城に至るが、蜘蛛巣城の留守をあずかっていた義明は開門せず、弓矢で攻撃してきたため、2人は逃亡する。

義明の強い推挙もあって、蜘蛛巣城の城主となった武時だったが、子がないために義明の嫡男・義照を養子に迎えようとする。だが浅茅はこれを拒み、加えて懐妊を告げたため、武時の心は又しても変わる。義明親子が姿を見せないまま養子縁組の宴が始まるが、その中で武時は、死装束に身を包んだ義明の幻を見て、抜刀して錯乱する。浅茅が客を引き上げさせると、ひとりの武者が、義明は殺害したものの、義照は取り逃がしたと報告する。

嵐の夜、浅茅は死産し、国丸、則安、義照を擁した乾の軍勢が攻め込んできたという報が入る。無策の家臣たちに苛立った武時は、轟く雷鳴を聞いて森の老婆のことを思い出し、一人蜘蛛手の森へ馬を走らせる。現れた老婆は「蜘蛛手の森が城に寄せて来ぬ限り、お前様は戦に敗れることはない」と予言する。蜘蛛巣城を包囲され動揺する将兵に、武時は老婆の予言を語って聞かせ、士気を高めるが、野鳥の群れが城に飛び込むなど不穏な夜が明けた翌日、浅茅は発狂し、手を「血が取れぬ」と洗い続ける。そして寄せてくる蜘蛛手の森に恐慌をきたす兵士たち。持ち場に戻れと怒鳴る武時めがけて、味方達の中から無数の矢が放たれる。

スタッフ

キャスト

作品解説

平太。荒武者の亡霊に用いる専用面。鎌倉時代の武将荏柄平太胤長の顔を写したとされる[4]
曲見。狂女物の人妻や母に使われる。

シェイクスピアの四大悲劇の一つとして知られる『マクベス』を翻案した作品であるが、作品の構成、人物の表情・動き、撮影技法にはの様式美を取り入れている。黒澤は撮入前に、役作りの参考として鷲津武時役の三船敏郎能面の「平太(へいだ)」を見せ、浅芽役の山田五十鈴には「曲見(しゃくみ)」を見せた[5]。三船は謀反の際、山田は発狂の場面でそれぞれ「平太」と「曲見」の表情をしている。撮影も能の形式を生かし、フルショットを多用して全身の動作で感情を表現した[5]

巻頭の霧の中から城の現れるシーンは、ハリウッド映画『未知との遭遇』(1978年)で、第二次大戦中行方不明となった海軍機が砂嵐の中から姿を現すシーンや、宮崎駿の『ハウルの動く城』冒頭の、霧の中から現れる「動く城」など、多くの映画のオープニングシーンに影響を与えたといわれる。

なお、原作のマクダフに該当する人物及び彼に関する予言は登場せず、最後も武時(=マクベス)は「マクダフとの一騎打ち」ではなく部下たちの反逆により命を落とす。

製作・撮影のエピソード

蜘蛛巣城のオープンセットに集まった黒澤組の面々(1956年撮影)[注釈 1]

製作日数・製作費共に破格のスケールで作られた。物語の舞台である蜘蛛巣城のセットは、富士山の2合目・太郎坊の火山灰地に建設された[6]。足場の悪い火山灰地での建設のため、近くに駐屯していた進駐軍にも手伝ってもらい、ブルドーザーで火山灰を掘って土台を建てた[6][7]。このセットは、晴れた日には麓の御殿場市の街から見えたほどの巨大なものになったという[6][8]。門の内側は東宝撮影所近くの農場にオープンセットを組み、室内も東京のスタジオで撮影されている[7]。俳優の土屋嘉男千秋実らは撮影期間中、太郎坊のロケ現場と麓の旅館を、三船敏郎の自家用車のジープに乗せてもらって往復していた。全員、扮装も衣装も劇中の武者姿のままだったという[9]

浅芽発狂の場面は、ステージの中での撮影だが、わざわざ日中を避けて深夜に撮影が行われた。浅芽を演じた山田五十鈴は、黒澤にして「このカットほど満足したカットはない」と言わせた迫真の演技を見せた[10]

劇中で伝令の男が城門を叩く場面では、当初土屋嘉男が推薦した俳優が演じていたが、「演技が嘘っぽい」として黒澤監督が気に入らず、数日を費やしたため、監督直々の頼みで土屋が吹き替えをすることとなった[11]。また、鷲津武時に騎馬の伝令が敵情を緊急報告する場面で、ベテランの馬術スタッフが急に「役が重すぎる」と怖気づいてしまった。このため、乗馬の心得のある土屋は再び黒澤監督から直々の頼みを受け、この伝令の役を演じている。土屋は3回目のテイクが会心の出来だったが、黒澤監督は馬の動きに注文を出し、何度もテイクを重ねた。たまりかねた土屋はわざと監督めがけて馬を走らせて、逃げる監督を追いかけ回し、3度目のテイクにOKをとらせた。あとで黒澤監督は土屋に「さっき俺を殺そうとしただろう、あの眼には殺気があった」と言ったという[12]

三船演ずる武時が次々と矢を射かけられるラストシーンは、編集によるトリックではなく、学生弓道部の部員が実際に三船や三船の周囲めがけて矢を射た(ただし、筒状の矢にワイヤーを通し、着点に誘導したもの。また、三船から離れた位置に矢を射て、遠距離から超望遠レンズで撮影することで生じる圧縮効果により近くに刺さっているように見せた)。[要出典]撮影が終了した後、三船は黒澤に「俺を殺す気か!?」と怒鳴ったという。その後も、自宅で酒を飲んでいるとそのシーンのことを思い出し、あまりにも危険な撮影をさせた黒澤にだんだんと腹が立ち、酒に酔った勢いで散弾銃を持って黒澤の自宅に押しかけ、自宅前で「こら〜!出て来い!」と叫んだという。石坂浩二の話によると、このエピソードは東宝で伝説として語り継がれている[13]。また、このシーンに関して、橋本忍によると、弓を射るのが師範クラスではなく学生だったので、三船は本気で恐怖を感じていたという。そのため、撮影の前日は眠ることも出来ないほどだった。それもあって、三船の酒の量が超えたときに、刀を持って黒澤が泊まる旅館の周りを、「黒澤さんのバカ」と怒鳴りながら回ったという。黒澤自身は三船を怖がって部屋に籠っていたと語っている[14]。そんな三船は頻繁に「黒澤の野郎、あいつバズーカ砲でぶっ殺してやる!」ともらしていたという。

評価

受賞

ランキング

  • 1988年:「大アンケートによる日本映画ベスト150」(文藝春秋発表)第65位
  • 1995年:「日本映画 オールタイム・ベストテン」(キネマ旬報発表)第80位
  • 1999年:「オールタイム・ベスト100・日本映画編」(キネマ旬報発表)第82位
  • 2009年:「オールタイム・ベスト映画遺産200 日本映画篇」(キネマ旬報発表)第102位[16]

脚注

注釈

  1. ^ (左から)秋池深仁(照明助手)、矢野口文雄、岸田九一郎、野長瀬三摩地、斉藤孝雄(撮影助手)、三船敏郎、千秋実、志村喬、斉藤照代(スクリプター)、村木与四郎、黒澤明、根津博(製作担当)、中井朝一、本木荘二郎

出典

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』、キネマ旬報社、2012年5月23日、p.128
  2. ^ “スピルバーグら絶賛!外国人目線で見るミフネの魅力とは?”. シネマトゥデイ. (2016年11月13日). https://www.cinematoday.jp/news/N0087388.amp.html 2020年6月30日閲覧。 
  3. ^ 竹内博によれば、森が動き出すシーンは円谷英二特撮であるという。
  4. ^ 能面 平太
  5. ^ a b 都築2010、p.277
  6. ^ a b c 黒澤明第3部-PAGE5、キネマ写真館、2015年7月18日閲覧
  7. ^ a b 丹野1998、p.88
  8. ^ 丹野1998、p.86
  9. ^ 土屋1999、p.39
  10. ^ 都築2010、p.282
  11. ^ 土屋1999、p.181
  12. ^ 土屋1999、p.185-187
  13. ^ 2008年11月22日放送「SmaSTATION!!」出演時に発言
  14. ^ 松田美智子「三船敏郎の栄光とその破滅」(月刊文藝春秋 2013年11月号)、改訂され『サムライ 評伝三船敏郎』(文藝春秋、2014年)
  15. ^ 日本映画技術賞 受賞一覧、日本映画テレビ技術協会、2015年7月18日閲覧
  16. ^ 「オールタイム・ベスト 映画遺産200」全ランキング公開、キネマ旬報映画データベース、2015年5月31日閲覧 インターネット・アーカイブ

参考文献

  • 、丹野達弥(編) 編『村木与四郎の映画美術「聞き書き」黒沢映画のデザイン』フィルムアート社、1998年。ISBN 4845998858 
  • 土屋嘉男『クロサワさーん! 黒澤明とその素晴らしき日々』、新潮社、1999年。ISBN 410432101X 
  • 都築政昭『黒澤明 全作品と全生涯』、東京書籍、2010年。ISBN 9784487804344 

外部リンク