「伊藤博文 (棋士)」の版間の差分
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* 2004年[[5月19日]]放送のテレビ番組「[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]」の企画で、[[安用寺孝功]]と史上初めて[[大局将棋]]の対局を行い<ref>{{Cite web | url = http://www.kansai-shogi.com/webmagazine/trivia.htm | title = 「トリビアの泉」に伊藤六段・安用寺四段が出演 | publisher = 公益社団法人[[日本将棋連盟]]関西本部 | accessdate = 2020-2-26 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20120404050057/http://www.kansai-shogi.com/webmagazine/trivia.htm | archivedate = 2012-4-4 | deadlinkdate = 2019年5月15日}}</ref>、計3805手、32時間41分で敗れた<ref name="trivia">{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2004 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 9 |publisher=講談社 }}</ref>。対局後に伊藤は「負けて悔しさはない」と語っている<ref name="trivia" />。 |
* 2004年[[5月19日]]放送のテレビ番組「[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]」の企画で、[[安用寺孝功]]と史上初めて[[大局将棋]]の対局を行い<ref>{{Cite web | url = http://www.kansai-shogi.com/webmagazine/trivia.htm | title = 「トリビアの泉」に伊藤六段・安用寺四段が出演 | publisher = 公益社団法人[[日本将棋連盟]]関西本部 | accessdate = 2020-2-26 | archiveurl = https://web.archive.org/web/20120404050057/http://www.kansai-shogi.com/webmagazine/trivia.htm | archivedate = 2012-4-4 | deadlinkdate = 2019年5月15日}}</ref>、計3805手、32時間41分で敗れた<ref name="trivia">{{Cite book |和書 |author=フジテレビトリビア普及委員会 |year=2004 |title=トリビアの泉〜へぇの本〜 9 |publisher=講談社 }}</ref>。対局後に伊藤は「負けて悔しさはない」と語っている<ref name="trivia" />。 |
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* 門下に[[西山朋佳]]、[[藤井奈々 (女流棋士)|藤井奈々]]がいる。 |
* 門下に[[西山朋佳]]、[[藤井奈々 (女流棋士)|藤井奈々]]がいる。 |
2020年7月16日 (木) 23:05時点における版
伊藤博文 七段 | |
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名前 | 伊藤博文 |
生年月日 | 1960年2月8日(64歳) |
プロ入り年月日 | 1984年8月1日(24歳) |
引退年月日 | 2020年5月26日(60歳) |
棋士番号 | 166 |
出身地 | 奈良県大和高田市 |
師匠 | 伊達康夫 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 伊藤博文 |
戦績 | |
通算成績 | 313勝498敗(0.385) |
2017年4月1日現在 |
伊藤 博文(いとう ひろふみ、1960年2月8日 - )は、将棋棋士。伊達康夫八段門下。棋士番号は166。奈良県大和高田市出身。
棋歴
中学1、2年の頃、将棋クラブでアルバイトをして将棋に夢中になる[1]。
1974年、14歳で奨励会に入会。初段昇段をしてからの2年間、二段に上がれず、退会まで考えた[1]。しかし、1980年8月に王位戦(中原誠対米長邦雄)の第4局の記録を務めた後に調子を上げ、その翌年から二段・三段と昇段していき、1984年8月に四段昇段(プロデビュー)を果たす。
1985年、第19回早指し将棋選手権の予選で、師匠の伊達との師弟対決で勝利。
1987年、第37回NHK杯戦で予選を勝ち抜き、本戦初出場。第48回(1998年)、第56回(2006年)でも本戦出場。
順位戦C級2組では初参加(1985年度・第44期)から5年間は24勝26敗のほぼ五分五分の成績を挙げるも、第49期(1990年度)、第50期に2年連続で降級点を喫する。第51期(1992年度)は6勝4敗で勝ち越し、降級点を1つに戻す。第52期には8勝2敗・6位の成績を収め、これが伊藤にとって順位戦における最高成績となった。第55期(1996年度)、第57期(1998年度)に降級点を喫して累計3点となり、フリークラスに降級。
2001年5月29日に順位戦復帰条件の一つである勝率の規定を満たし、C級2組へ復帰が決定。フリークラスからC級2組への昇格は伊奈祐介に次ぎ2例目[2]であるが、フリークラスへ降級後のC級2組復帰は史上初。
しかしながら、復帰後すぐの第61期(2002年度)、第62期(2003年度)に2年連続で降級点を取ったところで、2004年4月にフリークラス宣言によるフリークラス転出をした。
竜王戦は、第1期で5組からのスタート、以降、昇級も降級もない状態がしばらく続いたが、第20期(2007年度)に残留決定戦で敗れて6組降級。
第66回(2016年度)NHK杯将棋トーナメント予選・東西決勝で中村太地六段を破り、本戦トーナメントへ出場(10年ぶり4回目)。当年度出場者の最年長だったが、本戦1回戦で最年少の増田康宏四段に敗れた。
2020年3月末にてフリークラス在籍期限を満了。2020年5月26日の第33期竜王戦6組昇級者決定戦・今泉健司戦が公式戦最後の対局となり、同日付で現役を引退[3]。
棋風
- 目立つ特徴はない。本人も相手により、さらに場合によっては対局に臨んで戦法を決めることがあると答えている[4]。
- アマチュアへの丁寧な指導で知られ、関西以外の地方にも気軽に指導に出向く。
人物
- 森雞二九段は「終盤の魔術師」と呼ばれるが、伊藤は「終盤の話術師」と呼ばれる[1]。
- 2004年5月19日放送のテレビ番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」の企画で、安用寺孝功と史上初めて大局将棋の対局を行い[5]、計3805手、32時間41分で敗れた[6]。対局後に伊藤は「負けて悔しさはない」と語っている[6]。
- 門下に西山朋佳、藤井奈々がいる。
昇段履歴
- 1974年 6級 = 奨励会入会
- 1978年 初段
- 1984年8月1日 四段 = プロ入り
- 1991年4月8日 五段(勝数規定 = 四段昇段後100勝)
- 2002年4月1日 六段(フリークラス規定)
- 2017年4月1日 七段(フリークラス規定[7][8])
- 2020年5月26日 現役引退(フリークラス棋士引退規定)[3]
主な成績
- 通算成績 811局 313勝498敗 .3859
- 全棋士参加棋戦の本戦出場 NHK杯将棋トーナメント(1987年、1998年、2006年、2016年)
脚注
- ^ a b c 「将棋世界」2000年1月号付録。
- ^ “吉田正和四段、フリークラスからC級2組へ昇級|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2011年1月20日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ a b “土佐浩司八段、伊藤博文七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年6月8日). 2020年6月9日閲覧。
- ^ 現役最後の対局も「今泉四段は振り飛車党なので対抗型では不利と思い相振り飛車にした」と述べている(日本将棋連盟・携帯中継(2020年5月26日)
- ^ “「トリビアの泉」に伊藤六段・安用寺四段が出演”. 公益社団法人日本将棋連盟関西本部. 2012年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月26日閲覧。
- ^ a b フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 9』講談社、2004年。
- ^ “昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年3月31日). 2019年6月8日閲覧。
- ^ フリークラス在籍年数が加味された上での昇段であるが、当該規定による昇段を2回経験した棋士は、伊藤が初めてとされる。