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* 6代 - [[大喜多寅之助]](1921年7月 - 1922年2月){{sfn|名古屋市教育会|1970|p=8}}
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2020年7月14日 (火) 06:24時点における版

名古屋市教育会
教育会が入居する教育館(2013年6月)
教育会が入居する教育館(2013年6月)
団体種類 任意団体
設立 1881年
所在地 日本の旗 日本愛知県名古屋市中区錦三丁目16番6号
北緯35度10分14.4秒 東経136度54分26.9秒 / 北緯35.170667度 東経136.907472度 / 35.170667; 136.907472座標: 北緯35度10分14.4秒 東経136度54分26.9秒 / 北緯35.170667度 東経136.907472度 / 35.170667; 136.907472
活動地域 名古屋市
活動内容 教育の改良
従業員数 3名
会員数 約7万人
テンプレートを表示

名古屋市教育会(なごやしきょういくかい)は、「本市教育の改良を図る」目的で1881年に設立された任意団体[1]

概要

市独自の組織で、国公立の幼稚園小学校中学校高等学校特別支援学校保護者教職員から、教育会の「年会費」名目で1口100円で4口以上の協力を求めている[2]

戦前においては、地図の編纂[3][4][5]図書館の運営なども行っており、名古屋市の地域性に依った伝統のある団体である。

沿革

歴代会長

  • 初代 - 志水直(1900年7月 - 1901年6月)[7]
  • 2代 - 青山朗(1901年7月 - 1906年6月)[7]
  • 3代 - 加藤重三郎(1906年7月 - 1911年6月)[7]
  • 4代 - 阪本釤之助(1911年7月 - 1917年1月)[7]
  • 5代 - 佐藤孝三郎(1917年7月 - 1921年6月)[7]
  • 6代 - 大喜多寅之助(1921年7月 - 1922年2月)[7]
  • 7代 - 川崎卓吉(1922年5月 - 1924年6月)[7]
  • 8代 - 田阪千助(1924年10月 - 1927年8月)[7]
  • 9代 - 大岩勇夫(1927年9月 - 1938年12月)[7]
  • 10代 - 縣忍(1939年1月 - 1932年1月6日)[7]
  • 11代 - 佐藤正俊(1942年3月 - 1946年11月)[7]
  • 会長代理 - 富田彦吉(1946年12月 - 1948年3月)[11]
  • 12代 - 柴山義政(1948年3月 - 1954年4月)[11]
  • 13代 - 佐藤丈夫(1954年5月 - 1958年4月)[11]
  • 14代 - 水野鈴一(1958年5月 - 1962年3月)[11]
  • 15代 - 加藤幸吉(1962年4月 - 1963年3月)[11]
  • 16代 - 福岡晋作(1963年6月 - 1965年5月)[11]
  • 17代 - 長谷川三一(1965年6月 - 1970年3月)[11]
  • 18代 - 山田正保(1970年6月 - )[11]

問題

収入総額が約4千万円にも関わらず、名古屋市立小中学校校長経験者ら3名いる事務局員の給与など事務局費や運営費に約1500万円かかるという[12]。厳しい経済状況の下、集められた資金が人件費に多く出費されるのは、集められる側に「痛み」の理解ができているのだろうかとの指摘がある[12]

全市の小学生の希望者1700名に対して、知多半島の河和口などで水泳練習会を開催したりすることもあった[13]。さまざまな地域団体と教員との結びつきも閨閥や町単位など様々なチャンネルを通して行われてきた。教育会で行われているのは、戦後に社会的使命を持っていたとされる事業である[14]。現在の社会状況に沿って発展的に解消していかないと、自由で活発な教育活動をむしろ阻んでしまい、校長会や校長経験者の天下りと思われ、若い教職員にも理解が得られないのではないかとする声もある[12][15]

発行・著作物

  • 名古屋市教育会 編『最新詳密名古屋市実測全図』名古屋市教育会、1903年6月15日。 NDLJP:1089121
  • 名古屋市教育会 編『名古屋市及附近図』名古屋市教育会、1907年8月11日。 NDLJP:1089201
  • 名古屋市教育会 編『名古屋市實測圖』名古屋市教育会、1910年3月16日。 NDLJP:1083107
  • 田島竜夫 編『教育品展覧会報告書』名古屋市教育会、1911年4月26日。 NDLJP:808589
  • 名古屋市教育会 編『済美帖』名古屋市教育会、1915年11月20日。 NDLJP:953902
  • 『御大禮奉祝名古屋市教育品展覽會報告書』名古屋市教育會事務所、1916年3月。 
  • 名古屋市教育会 編『郷土研究概観 大名古屋』名古屋市教育会、1933年。 
  • 名古屋市教育会 編『名古屋市戦線銃後美談集 第1輯』星野書店、1939年8月。 
  • 名古屋市教育会 編『名古屋市戦線銃後美談集 第2輯』星野書店、1940年4月23日。 NDLJP:1057077
  • 名古屋市教育会 編『名古屋市戦線銃後美談集 第3輯』星野書店、1944-0。 

脚注

  1. ^ 名古屋市教育会 編『七十年の歩み : 創立70周年記念誌』名古屋市教育会、1970年。 
  2. ^ 『入会のお願い』、名古屋市教育会、2009年
  3. ^ 名古屋市教育會 編『名古屋市及附近図』名古屋市教育會。 
  4. ^ 名古屋市教育會 編『最新詳密名古屋市実測全図』名古屋市教育會。 
  5. ^ 名古屋市教育會 編『最新増補名古屋市及附近圖』名古屋市教育會。 
  6. ^ a b c d e 名古屋市教育会 1970, p. 7.
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 名古屋市教育会 1970, p. 8.
  8. ^ 名古屋市教育会 1970, p. 10.
  9. ^ a b c d 名古屋市教育会 1970, p. 11.
  10. ^ 名古屋市教育会 1970, pp. 12–13.
  11. ^ a b c d e f g h i 名古屋市教育会 1970, p. 9.
  12. ^ a b c 朝日新聞. (1991年9月25日) 
  13. ^ 中日新聞. (1934年7月22日) 
  14. ^ 名古屋市教育會『戦線銃後美談集』名古屋市教育會。 
  15. ^ 朝日新聞. (2009年10月24日) 

参考文献

  • 名古屋市教育会 編『創立70周年記念誌 七十年の歩み 1970』名古屋市教育会、1970年10月20日。 
  • 名古屋教育史編集委員会 編『名古屋教育史Ⅰ 近代教育の成立と展開:明治期~大正中期』名古屋市教育委員会、2013年3月4日、358-362頁。ISBN 978-4-9905445-1-5 
  • 名古屋教育史編集委員会 編『名古屋教育史Ⅱ 教育の拡充と変容』名古屋市教育委員会、2014年3月3日、498-503頁。ISBN 978-4-9905445-2-2 

関連項目