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「石部神社 (小松市)」の版間の差分

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創祀年代は不詳であるが。加賀国が[[越前国]]から分国された[[弘仁]]14年([[823年]])よりも前から存在していたと伝えられ、加賀国の[[国府]]の南に位置したところから'''府南社'''との別名があった。ただし、『白山之記』には府南社の創建は加賀国が越前国されたときであるとしている。[[延喜式神名帳]]には「加賀国[[能美郡]] 石部神社」と記載され、小社に列している。
創祀年代は不詳であるが。加賀国が[[越前国]]から分国された[[弘仁]]14年([[823年]])よりも前から存在していたと伝えられ、加賀国の[[国府]]の南に位置したところから'''府南社'''との別名があった。ただし、『白山之記』には府南社の創建は加賀国が越前国されたときであるとしている。[[延喜式神名帳]]には「加賀国[[能美郡]] 石部神社」と記載され、小社に列している。


当社が加賀国総社とみられており、一時は隆盛を誇ったが[[安元]]2年([[1176年]])の[[涌泉寺事件]]以降勢力が衰えた。[[慶長]]5年([[1600年]])に[[丹羽長重]]により社殿の修理などが施され、[[江戸時代]]には歴代の[[加賀藩]]藩主の保護を受けた。また、当社が加賀国[[一宮]]であると考えられていた時期もあり、[[白山比め神社|白山比咩神社]]と論争になった。
当社が加賀国総社とみられており、一時は隆盛を誇ったが[[安元]]2年([[1176年]])の[[涌泉寺事件]]以降勢力が衰えた。[[慶長]]5年([[1600年]])に[[丹羽長重]]により社殿の修理などが施され、[[江戸時代]]には歴代の[[加賀藩]]藩主の保護を受けた。また、当社が加賀国[[一宮]]であると考えられていた時期もあり、[[白山比咩神社]]と論争になった。


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2020年7月13日 (月) 20:19時点における版

石部神社
石部神社
所在地 石川県小松市古府町カ169
位置 北緯36度24分23.8秒 東経136度30分10.2秒 / 北緯36.406611度 東経136.502833度 / 36.406611; 136.502833座標: 北緯36度24分23.8秒 東経136度30分10.2秒 / 北緯36.406611度 東経136.502833度 / 36.406611; 136.502833
主祭神 櫛日方別命
社格 式内社(小)・加賀国総社・(加賀国一宮)・郷社
別名 府南社、船見山王明神
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石部神社(いそべじんじゃ)は、石川県小松市古府町に鎮座する神社である。加賀国総社であった。式内社で、旧社格郷社

祭神

祭神は櫛日方別命であるが、『加賀國式内等舊記』などには大物主神と記されており、近世には船見山王明神と呼ばれていた。

歴史

創祀年代は不詳であるが。加賀国が越前国から分国された弘仁14年(823年)よりも前から存在していたと伝えられ、加賀国の国府の南に位置したところから府南社との別名があった。ただし、『白山之記』には府南社の創建は加賀国が越前国されたときであるとしている。延喜式神名帳には「加賀国能美郡 石部神社」と記載され、小社に列している。

当社が加賀国総社とみられており、一時は隆盛を誇ったが安元2年(1176年)の涌泉寺事件以降勢力が衰えた。慶長5年(1600年)に丹羽長重により社殿の修理などが施され、江戸時代には歴代の加賀藩藩主の保護を受けた。また、当社が加賀国一宮であると考えられていた時期もあり、白山比咩神社と論争になった。