コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「菊理媛神」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
m スティクス (会話) による版を Bcxfu75k による版へ巻き戻し
タグ: 巻き戻し
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: 「白山比め神社」→「白山比咩神社」の改名に伴うリンク修正依頼 - log
45行目: 45行目:


== 祭祀上の菊理媛 ==
== 祭祀上の菊理媛 ==
白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である[[白山比め神社|白山比咩神社]]([[石川県]][[白山市]])の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、[[大江匡房]]([[1041年]]-[[1111年]])が[[扶桑明月集]]の中で書いたのが最初と言われている<ref>「白頭山と白山信仰について(下)」大和書房『東アジアの古代文化』1986年秋49号所収(204頁)</ref>。白山は[[霊山]]([[霊場|山岳霊場]])として、北陸地方を中心に信仰を集めていた<ref>[[#弘文館、神道史|日本神道史]]300頁『白山信仰』</ref>。
白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である[[白山比咩神社]]([[石川県]][[白山市]])の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、[[大江匡房]]([[1041年]]-[[1111年]])が[[扶桑明月集]]の中で書いたのが最初と言われている<ref>「白頭山と白山信仰について(下)」大和書房『東アジアの古代文化』1986年秋49号所収(204頁)</ref>。白山は[[霊山]]([[霊場|山岳霊場]])として、北陸地方を中心に信仰を集めていた<ref>[[#弘文館、神道史|日本神道史]]300頁『白山信仰』</ref>。


14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓[[白山妙理権現]]顕座。」とある。
14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓[[白山妙理権現]]顕座。」とある。

2020年7月13日 (月) 20:18時点における版

白山

菊理媛神、又は菊理媛命(ククリヒメのカミ、ククリヒメのミコト、キクリヒメのミコト)は、日本[1][2]加賀国白山[3]や全国の白山神社に祀られる白山比咩神(しらやまひめのかみ)と同一神とされる[1][4][5]

神話上の菊理媛

日本神話においては、『古事記』や『日本書紀』本文には登場せず、『日本書紀』の一書(第十)に一度だけ出てくるのみである[6][7]

【原文】

 及其与妹相闘於泉平坂也、伊奘諾尊曰、始為族悲、及思哀者、是吾之怯矣。

 時泉守道者白云、有言矣。曰、吾与汝已生国矣。奈何更求生乎。吾則当留此国、不可共去。

 是時、菊理媛神亦有白事。伊奘諾尊聞而善之。乃散去矣。

【解釈文】

 その妻(=伊弉冉尊)と泉平坂(よもつひらさか)で相争うとき、伊奘諾尊が言われるのに、「私が始め悲しみ慕ったのは、私が弱かったからだ」と。

 このとき泉守道者(よもつちもりびと)が申し上げていうのに、「伊弉冉尊からのお言葉があります。『私はあなたと、すでに国を生みました。なぜにこの上、生むことを求めるのでしょうか。私はこの国に留まりますので、ご一緒には還れません』とおっしゃっております」と。

 このとき菊理媛神が、申し上げられることがあった。伊奘諾尊はこれをお聞きになり、ほめられた。そして、その場を去られた。

神産み伊弉冉尊(いざなみ)に逢いに黄泉を訪問した伊奘諾尊(いざなぎ)は、伊弉冉尊の変わり果てた姿を見て逃げ出した[1][8]。しかし泉津平坂(黄泉比良坂)で追いつかれ、伊弉冉尊と口論になる[9][10]。 そこに泉守道者が現れ[11][12]、伊弉冉尊の言葉を取継いで「一緒に帰ることはできない」と言った[13][14]。 つづいてあらわれた菊理媛神が何かを言うと、伊奘諾尊はそれ(泉守道者と菊理媛神が申し上げた事)を褒め、帰って行った、とある[15][16]。 菊理媛神が何を言ったかは書かれておらず、また、出自なども書かれていない[17][18]

この説話から、菊理媛神は伊奘諾尊と伊弉冉尊を仲直りさせたとして、縁結びの神とされている。 夜見国で伊弉冉尊に仕える女神とも[19][20]、 伊奘諾尊と伊弉冉尊の娘[21]、イザナミが「故、還らむと欲ふを、且く黄泉神と相論はむ」(古事記)と言及した黄泉神(よもつかみ)[22][23][24](イザナミ以前の黄泉津大神)[25]、 伊弉冉尊の荒魂(あらみたま)もしくは和魂(にぎみたま)[26]、あるいは伊弉冉尊(イザナミ)の別名[27][28][29]という説もある。 いずれにせよ菊理媛神(泉守道者)は、伊奘諾尊および伊弉冉尊と深い関係を持つ[27][30]。 また、死者(伊弉冉尊)と生者(伊奘諾尊)の間を取り持ったことからシャーマン巫女)の女神ではないかとも言われている。 ケガレを払う神格ともされる[31]

神名の「ククリ」は「括り」の意で、伊奘諾尊と伊弉冉尊の仲を取り持ったことからの神名と考えられる[1][32]菊花の古名を久々(くく)としたことから「括る」に菊の漢字をあてたとも[33]、また菊花の形状からという説もある[32]。菊の古い発音から「ココロ」をあてて「ココロヒメ」とする説もある[34]。 他に、糸を紡ぐ(括る)ことに関係があるとする説、「潜(くく)り/潜(くぐ)る」の意で水神であるとする説、「聞き入れる」が転じたものとする説などがある[35][28]。 白山神社(石川県鳳珠郡能都町柳田村)では、『久久理姫命(久々利姫命)』と表記している[36][37]

なお、神代文字で記されているとされる『秀真伝』には、菊理媛神が、天照大御神の伯母であるとともにその養育係であり、また万事をくくる(まとめる)神だと記されている。

祭祀上の菊理媛

白山比咩神と同一とされるようになった経緯は不明である。白山神社の総本社である白山比咩神社石川県白山市)の祭神について、伊奘諾尊・伊弉冉尊と書物で書かれていた時期もある。菊理媛を白山の祭神としたのは、大江匡房1041年-1111年)が扶桑明月集の中で書いたのが最初と言われている[38]。白山は霊山山岳霊場)として、北陸地方を中心に信仰を集めていた[39]

14世紀に天台僧によって書かれた『渓嵐拾葉集』には、「扶桑明月集云、・・・八王子近江國滋賀郡小比叡東山金大巌傍天降。八人王子行卒。天降故言八王子。 客人宮桓武天皇即位延暦元年天降。八王子麓白山妙理権現顕座。」とある。

文明元年(1469年)に吉田兼倶が撰したとされる二十二社註式には、「扶桑明月集云、・・・客人宮第五十代桓武天皇即位延暦元年、天降八王子麓白山。菊理比咩神也。」とあり、『大日本一宮記』内には菊理媛が白山比咩神社の上社祭神として書かれている。

その後の江戸時代の書物において白山比咩神と菊理媛が同一神と明記されるようになった[40]

なお、神仏習合のなかでは白山比咩神は白山大権現白山妙理権現[41]、または白山妙理菩薩とされ、本地仏は十一面観音とされた他[42]、様々な異説があった[43]

現在の白山比咩神社は、菊理媛神(白山比咩神)を主祭神とし[44]、伊奘諾尊・伊弉冉尊も共に祀られている[45][46]

『玉籤集』は、熊野本宮大社(本宮)で菊理媛神(伊弉冉尊)が祀られていると記述している[27][47]

脚注

  1. ^ a b c d 神道大辞典一巻コマ264(原本455頁)〔ククリヒメノミコト 菊理媛命〕
  2. ^ 世界女神事典42-43頁『ククリヒメ 菊理媛神』
  3. ^ #山の霊力177-178頁『縄文人も踊り明かした白山』
  4. ^ 皇国敬神会 編「国立国会図書館デジタルコレクション 國幣中社白山咩神社」『全国有名神社御写真帖』皇国敬神会、1922年12月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/966854/61 国立国会図書館デジタルコレクション 
  5. ^ 諸神神名祭神辞典446-447頁『白山比咩神社』
  6. ^ 舎人親王 編『国立国会図書館デジタルコレクション 日本書紀30巻.(1)』不明、n.d.https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2563098/20 国立国会図書館デジタルコレクション 
  7. ^ 白山祭神考コマ9(原文8頁)
  8. ^ 日本書紀全現代語訳(上)32-33頁
  9. ^ 飯田弟治 編『国立国会図書館デジタルコレクション 新訳日本書紀』嵩山房、1912年8月、45-46頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/945871/46 国立国会図書館デジタルコレクション 
  10. ^ 岩波1994、日本書紀1巻56頁
  11. ^ 岩波1994、日本書紀1巻57頁
  12. ^ #垂加神道上コマ237(原本431頁)『泉守道之傳』
  13. ^ 日本書紀講義コマ63(原本117頁)
  14. ^ 岩波1994、日本書紀1巻57頁『(注)一〇』
  15. ^ 仮名日本書紀上巻コマ92(原本36-37頁)
  16. ^ 日本書紀講義コマ63(原本117頁)
  17. ^ 仮名日本書紀上巻コマ93(原本38頁)
  18. ^ 神々の黙示録75-77頁『消された白山王朝の系譜』
  19. ^ 日本書紀講義コマ63(原本117頁)
  20. ^ 霊の真柱72-73頁
  21. ^ 白山祭神考コマ9(原文8頁)
  22. ^ 古事記(岩波文庫)26-28頁『6 黄泉の国』
  23. ^ 古事記(上)全訳注65頁『○黄泉神』
  24. ^ 西郷1975、古事記注釈一巻176頁『○《黄泉神》』
  25. ^ 霊の真柱73頁『注一〇』
  26. ^ 白山祭神考コマ9(原文8頁)
  27. ^ a b c #垂加神道上コマ238(原本432頁)
  28. ^ a b #垂加神道上コマ238(原本432頁)
  29. ^ 神々の黙示録89-92頁『イザナミ大神の悲劇』
  30. ^ 白山祭神考コマ11(原文12頁)
  31. ^ #垂加神道上コマ237-238(原本431-432頁)
  32. ^ a b 世界聖典全集刊行会 編『国立国会図書館デジタルコレクション 世界聖典全集. 前輯 第1巻 日本書紀神代巻 全』世界聖典全集刊行会、1920年4月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946589/86 国立国会図書館デジタルコレクション コマ86(原文87頁)
  33. ^ 世界女神事典42-43頁『菊理媛神/名前の意味』
  34. ^ 岩波1994、日本書紀1巻57頁『(注)一一』
  35. ^ 仮名日本書紀上巻コマ92-93(原本37-38)
  36. ^ 神道大辞典二巻コマ119(原本200頁)
  37. ^ 石川県神社庁、白山神社(鳳珠郡能登町字柳田)より
  38. ^ 「白頭山と白山信仰について(下)」大和書房『東アジアの古代文化』1986年秋49号所収(204頁)
  39. ^ 日本神道史300頁『白山信仰』
  40. ^ 江戸時代に同一視されるようになった経緯については山岸共著「白山信仰と加賀馬場」『山岳宗教史研究刑叢書10』内にて推測されている。
  41. ^ #白山神社略誌コマ4-5(原文1-2頁)『○別稱』
  42. ^ #山の霊力180頁
  43. ^ 白山祭神考コマ5-8(原文1-6頁)『第一 祭神に關する諸説の列擧』
  44. ^ 神道大辞典二巻コマ119(原本200-201頁)『シラヤマヒメジンジャ 白山比咩神社』
  45. ^ 鶴来保勝会 編「国立国会図書館デジタルコレクション 五.社寺 白山比咩神社」『鶴来案内』鶴来町役場、1936年5月https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1094937/19 国立国会図書館デジタルコレクション 
  46. ^ #白山神社略誌コマ4(原本1頁)『○祭神』
  47. ^ 早川純三 編「国立国会図書館デジタルコレクション 菊理媛之傳」『神道叢書』国書刊行会、1911年10月、148頁https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1024869/148 国立国会図書館デジタルコレクション 

参考文献

  • 倉野憲司 編『古事記』岩波書店〈岩波文庫〉、1963年1月。ISBN 4-00-300011-0 
  • 坂本太郎、家永三郎、井上光貞、大野晋校注『日本書紀(一)』岩波書店〈岩波文庫〉、1994年9月。ISBN 4-00-300041-2 
  • 宇治谷孟『日本書紀(上) 全現代語訳』講談社〈講談社学術文庫〉、1988年6月。ISBN 4-06-158833-8 
  • 岡田荘司〔編〕『日本神道史』吉川弘文館、2010年7月。ISBN 978-4-642-08038-5 
  • 金井南龍「第二章 埋れた白山王朝と神々」『神々の黙示録 謎に包まれた神さま界のベールを剝ぐ』徳間書店、1980年4月。 
  • 西郷信綱「第六 黄泉の国、禊」『古事記注釈 第一巻』平凡社、1975年1月。 
  • 次田真幸『古事記(上)全訳注』講談社〈講談社学術文庫〉、1977年12月。ISBN 4-06-158207-0 
  • 平田篤胤著・子安宣邦校注『霊の真柱』岩波書店〈岩波文庫〉、1987年11月。ISBN 4-00-330462-4 
  • 町田宗鳳『山の霊力 日本人はそこに何を見たか』講談社〈講談社選書メチエ〉、2003年2月。ISBN 4-06-258261-9 
  • 松村一男・森雅子・沖国瑞穂・編『世界女神大事典』原書房、2015年9月。ISBN 978-4-562-05195-3 
  • 矢部善三 著、千葉琢穂 編『諸神・神名祭神辞典』展望社、1991年3月。 

関連項目

外部リンク