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2020年7月12日 (日) 22:10時点における版
この項目は、黄埔軍官学校に関する人物の一覧である。
教官
中国国民党
- 蒋介石(校長)
- 廖仲愷(党代表)
- 李済深(教練部主任、副校長)
- 何応欽(総教官、教練部主任)
- 周仏海(総教官)
- 鄧演達(教練部副主任兼学生総隊長)
- 戴季陶(政治部主任)
- 王柏齢(教授部主任)
- 厳重(学生隊副総隊長)
- 范荩(3期学生隊第7隊長)
- 李尚庸(兵器教官)
- 陳誠(砲兵教官、特科大隊長)
- 張治中(学生団団長、入伍生総隊隊長代理、軍官団団長、武漢分校教育長)
- 陳立夫(校長弁公庁機要秘書)
- 欧陽鍾(管理科交通股股長)
- 王震南(政治部軍法処軍法官)
- 周至柔(工科大隊南大隊隊附)
中国共産党
ソビエト連邦
(中文相当箇所)
生徒
1期生
- 一級上将:胡宗南、桂永清(死後一階級特進)
- 二級上将:関麟徴
- 中将:杜聿明、范漢傑、霍揆章、鄭洞国、黄梅興(死後一階級特進)、陳烈、馮聖法、史宏烈
- 少将:譚煜麟、鄧子超
- 紅軍:徐向前(人民解放軍元帥)、陳賡(人民解放軍大将)、蔡申熙、蒋先雲
- 海軍:李之竜(中将)
- 空軍:王叔銘(一級上将)
- 和平建国軍:劉夷(中将)、劉明夏、黄子琪、謝文達(いずれも少将)
2期生
3期生
- 1924年10月1日入伍生総隊入隊、25年1月(7月1日とも)学生隊入隊、1926年1月17日卒業[4]
4期生
- 1926年1月入伍生総隊入隊、26年3月8日学生隊入隊、10月4日卒業、2654名[4]
5期生
- 1926年8月入隊、第3~第5大隊1927年7月18日卒業(武昌)、第1、第2、第6大隊8月15日卒業(南京)[5]
6期生
- 1926年10月入隊、1929年2月24日718名卒業(黄埔本校)、5月3534名卒業(南京本校)[6]
(中文相当箇所)
注釈
参考文献
- 王輝強『黄埔軍校秘史』青海人民出版社、1997年。ISBN 7-225-01304-1。