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=== 人形劇 ===
=== 人形劇 ===
* [[真田十勇士 (NHK人形劇)|真田十勇士]](1975年 - 1977年、NHK) - 戸沢白雲斎、[[真田十勇士#由利鎌之助|由利鎌之助]]〈初代〉
* [[真田十勇士 (NHK人形劇)|真田十勇士]](1975年 - 1977年、NHK) - 戸沢白雲斎、[[真田十勇士#由利鎌之助|由利鎌之助]]〈初代〉
* [[人形劇 三国志]](1982年 - 1984年、NHK) - [[ホウ統|龐統]] 他
* [[人形劇 三国志]](1982年 - 1984年、NHK) - [[龐統]] 他
* [[人形歴史スペクタクル 平家物語]](1993年 - 1995年、NHK) - [[平忠盛]]
* [[人形歴史スペクタクル 平家物語]](1993年 - 1995年、NHK) - [[平忠盛]]



2020年7月12日 (日) 08:24時点における版

みたに のぼる
三谷 昇
本名 三谷 昇
生年月日 (1932-04-09) 1932年4月9日(92歳)
出生地 日本の旗日本広島県福山市
ジャンル 俳優声優
主な作品
テレビドラマ
ウルトラマンタロウ
宇宙刑事ギャバン
映画
どですかでん
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三谷 昇(みたに のぼる、1932年4月9日[1][2][3] - )は、日本俳優。本名は同じ[1]

広島県[1]福山市出身。広島県立福山葦陽高等学校卒業[1]文学座[1]劇団雲を経て[1]演劇集団 円に所属していた[1]。特技は広島弁[1]

来歴・人物

高校時代から演劇活動を開始[4]

1951年に高校を卒業後、画家を志望し東京藝術大学を受験するが失敗。郷里に帰るのが嫌で文学座に裏方として入団した[4]。4年後、役者へと転身。

29歳の時に自動車事故で片目を失明。

1963年芥川比呂志らと文学座を退団し、劇団雲旗揚げに参加。

1970年黒澤明監督の映画『どですかでん』で浮浪者の父親役に起用され、映画やテレビドラマからの出演オファーが増えた[2][4]

1975年演劇集団 円に設立メンバーの一人として参加[2]別役実作や、蜷川幸雄演出の舞台作品に数多く出演。

気の弱い男性役・不当に虐げられる役・詐欺師・道化役まで幅広く担当。特異な風貌から不気味な悪役も数多く演じており、男性でありながら妖婆役を演じることもあった。

1970年代頃までは自身の演じる役が子供に言いにくかったが、『ウルトラマンタロウ』での二谷一美副隊長役のオファーを受けた際、初めて子供に言える役をもらえて嬉しかった、と述べている[4]

日活ロマンポルノにも多数出演[4]、スケジュールが合う限り何でもオファーは断らなかったと話している[4]深作欣二監督に重用され、伊丹十三作品には常連出演した。

2004年に名画座「自由が丘武蔵野館」にて特集上映“大怪優 三谷昇”が開催され、『軍旗はためく下に』『野獣狩り』『夢野久作の少女地獄』などの映画が上映された。その際のトークショーでは、自身が愛着のある出演作として『おろしや国酔夢譚』を挙げている。

2008年に演劇集団 円を退団した後、現在フリーとして舞台を中心に精力的な活動を続けている。

2015年、第50回紀伊國屋演劇賞・50回記念特別賞にて男優賞を受賞[5]

出演

テレビドラマ

映画

舞台

テレビアニメ

劇場アニメ

ゲーム

吹き替え

人形劇

ラジオドラマ

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h 日本タレント名鑑'82』VIPタイムズ社、1981年、192頁。 
  2. ^ a b c 岩佐陽一 2001, pp. 218–221, 「RESPECT 三谷昇」
  3. ^ 『日本音声製作者名鑑2007』、104頁、小学館、2007年、ISBN 978-4095263021
  4. ^ a b c d e f 映画秘宝 2013.
  5. ^ 紀伊国屋演劇賞 文学座に団体賞”. 毎日新聞 (2015年12月16日). 2015年12月16日閲覧。

参考文献

  • 岩佐陽一 編 編『シルバー仮面アイアンキングレッドバロン大全―宣弘社ヒーローの世界』双葉社、2001年8月10日。ISBN 978-4575292626 
  • 轟夕起夫「インタビュー 三谷昇」『映画秘宝』、洋泉社、2013年9月、pp.78-79。 

外部リンク