「リベラルの会」の版間の差分
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2020年7月11日 (土) 21:24時点における版
略称 | 平岡・近藤グループ→近藤グループ |
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設立 | 2004年8月2日 |
種類 | 民主党のグループ |
会員数 | 民主党所属国会議員 |
代表世話人 | 近藤昭一 |
関連組織 |
新党さきがけ 社会民主党 旧民主党 |
リベラルの会(リベラルのかい)は、民主党のグループ。通称、近藤グループ。
沿革
2004年8月2日、イラク日本人人質事件に際して4月14日に日本外国特派員協会で自衛隊の撤退を求める緊急アピール[1]を発表した民主党議員が中心となり[2][3][4]、護憲派・リベラル系の当時当選3回以下の若手議員53名が集まって結成された[5][6]。当初から代表を置かず生方幸夫ら世話人20人(うち代表世話人10人[2])による集団指導体制を敷いていた[7]。
当初50人以上いたメンバーは、民主党内で独自の代表候補擁立に至らなかったこと、その他の政策活動で必ずしもまとまっていないことなどから、元のグループへ戻ったり無派閥となったりしたため、メンバー数を減少させていった。さらに、2005年9月の郵政選挙で母体の若手メンバーの多くが落選したため、会の存続すら危ぶまれたが、平岡秀夫・近藤昭一を代表世話人とすることによって活動を再開した。
2006年4月には雑誌『世界』にて「民主党が目指すべき安全保障」[6]を発表し、当時、集団的自衛権行使容認・中国脅威論に舵を切っていた前原誠司代表を牽制するなど独自の存在感を持っていた[5][3]。
2008年7月15日から北海道支笏湖畔で合宿を行い、7月16日に政策提言「『思いやりの国・日本』を目指して」[5]を取りまとめた[4][8][9]。一方、9月の代表選への独自候補擁立は見送られた[10]。
2009年5月の代表選では自主投票としたが、鳩山由紀夫には憲法改正、岡田克也には野党・労組等との共闘についてただし、両者から「『思いやりの国・日本』を目指して」への賛同を引き出した[11]。
2010年6月の代表選ではリベラルの会として菅直人を支持した[12]。
9月の代表選では菅再選支持を留保し[13]、米軍普天間基地の国外移設などを求める政策提言[14]を提示して候補者の選考を図ったが[15][16][17][18]、菅も対立候補の小沢一郎も政策提言の内容をほぼ受け入れたうえ[19]、菅支持派と小沢支持派に割れたため[20][21]、9月3日に自主投票を決定した[20][21][22](近藤は菅を支持した[19])。
12月の防衛大綱の改定で武器輸出三原則が見直されようした際には、11月11日に慎重対応を要請し[23]、11月29日に反対声明を発表するなど[24]、政府・与党に対して異論を提起した[25]。
2011年8月の代表選では代表世話人を務めた平岡が出馬に意欲を見せたが[26][27]、推薦人が集まらず断念した[28]。近藤は小沢グループ依存の海江田万里と折り合わず、1回目の投票ではかつて激しく対立した前原に、決選投票では野田佳彦に投票し、メンバーを驚かせた[29]。野田が代表に選出された後の内閣人事では平岡が法務大臣として初入閣した[30]。
2012年9月の代表選では、米軍岩国基地へのオスプレイ配備に対する反発などを背景に[31][32]、平岡が「民主党復活会議」の結成に参加して野田の対立候補擁立に動き[33]、近藤が赤松広隆の推薦人となった[34]。
12月の第46回衆議院議員総選挙では平岡が落選し、近藤も小選挙区で敗れるなど、大幅にメンバーを減少させた。12月の代表選ではサンクチュアリ・リベラルの会・素交会のメンバーの間で海江田推薦が取り決められた[35]。
2013年7月の第23回参議院議員通常選挙では松野信夫ほか7名の改選議員がいたが[36]、松野は落選した。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙後に行われた2015年1月の代表選ではメンバーの篠原孝が出馬に意欲を見せたが、リベラル系の候補者を長妻昭に一本化するために断念し[37]、近藤が長妻陣営の選挙対策本部長に就任した[38]。また、メンバーが重なる立憲フォーラムは細野豪志不支持の方針で一致した[39]。
設立趣旨
私たちは、東西冷戦に象徴されるイデオロギー対立の政治が終焉した21世紀こそ、「真の自由」と「真の民主主義」を実現する世紀にしたいと思います。そして、「真の自由」と「真の民主主義」こそが、世界に平和をもたらし、個々人に光り輝ける人生をもたらすものと考えます。 以上の基本的認識の下、私たちは、次の基本的考え方を政策実現していくために、「リベラルの会」を結成します。
— リベラルの会、設立趣旨[40][7]
- 憲法第9条の精神を世界に広め、活かしていきます。自衛隊は専守防衛に徹し、一部の国を敵国扱いすることとなる集団的自衛権は行使せず、国連を中心とした集団的安全保障の確立を目指します。国連改革を推し進め、新しい国連の下、積極的に世界平和の構築に取組むとともに、北東アジアの平和と安全の為にイニシャティブをとっていきます。
- 真に自立した市民一人一人が政治に参加することのできる「市民に開かれた政治」を目指します。そして、「市民に開かれた政治」の中で、社会的立場の弱い人を含むあらゆる人が、安心して自由に暮らしていける社会の実現を目指します。
所属していた国会議員一覧
旧民進会派に所属する議員
衆議院議員 | ||||
---|---|---|---|---|
立憲民主党(5名) | ||||
近藤昭一[注 1][注 2][注 3] (8回、愛知3区) |
生方幸夫[注 1][注 3] (6回、比例南関東・千葉6区) |
川内博史[注 1][注 4] (6回、鹿児島1区) |
西村智奈美[注 1][注 2][注 5] (5回、新潟1区) |
本多平直[注 1][注 5] (3回、比例北海道・北海道4区) |
無所属(1名) | ||||
寺田学[注 2][注 6] (5回、比例東北) |
||||
国民民主党(1名) | ||||
篠原孝[41][42][注 2] (6回、長野1区) |
||||
参議院議員 | ||||
立憲民主党(1名) | ||||
白眞勲[注 1][注 2][注 7] (3回、比例区) |
その他
参議院議員
元衆議院議員
「†」は物故者。
- 立憲民主党
- 民進党
- 石毛鍈子[注 1](4回、比例東京)
- 園田康博(3回、岐阜3区)
- 稲見哲男[注 1](2回、比例近畿・大阪5区)
- 大出彰[注 1](2回、比例南関東)
- 楢崎欣弥[注 1](2回、比例九州・福岡4区)†
- 水島広子[注 1](2回、比例北関東・栃木1区)
- 斎藤勁(1回・参院2回、比例南関東)
- 島田久[注 1](1回、比例東京・東京25区)†
- 無所属・その他
- 郡和子[注 10](4回、比例東北・宮城1区)
- 岩國哲人[41](4回、比例南関東・神奈川8区)
- 辻恵[注 1][注 11](2回、比例近畿・大阪17区)
- 中川治[注 1][注 12](2回、大阪18区)
元参議院議員
- 国民民主党
- 民進党
- 岡崎トミ子(3回・衆院2回、宮城県)†
- 簗瀬進[注 1](2回・衆院2回、栃木県)
- 今野東[注 1](1回・衆院2回、比例区)†
- 田城郁(1回、比例区)
- 中村哲治[注 13](1回・衆院2回、奈良県)
- 松野信夫[注 1](1回・衆院1回、熊本県)
- 無所属
脚注
注釈
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 結成時の世話人[7]。
- ^ a b c d e 解散時の在籍者。
- ^ a b 2017年10月に民進党離党。その後は重複している赤松グループに継続参加。
- ^ 2017年10月に民進党離党。その後の所属は無派閥。
- ^ a b 2017年10月に民進党離党。その後は重複している菅グループに継続参加。
- ^ 2017年10月に希望の党に合流。その後の所属は立憲民主党会派内グループ無所属フォーラム。
- ^ 2018年5月に民進党離党。その後の所属は菅グループ・赤松グループ。
- ^ 2017年8月に民進党除籍。その後は無所属(自由民主党・国民の声)。
- ^ 2017年10月に民進党離党。
- ^ 2017年7月に民進党離党。2017年仙台市長選に無所属で出馬し当選。
- ^ 2012年12月に民主党除籍。その後の所属は日本未来の党→無所属。
- ^ 2012年11月に民主党除籍。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党。
- ^ 2012年7月に民主党離党。その後の所属は国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→生活の党と山本太郎となかまたち→無所属→民進党。
- ^ 2013年12月に民主党離党。その後の所属は無所属(自由民主党二階派入り)。
出典
- ^ “民主党議員有志が緊急アピール”. レイバーネット日本. (2004年4月15日). オリジナルの2015年4月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b 近藤昭一【活動アルバム】「リベラルの会」結成
- ^ a b “「リベラルの会」が安全保障で政策提言”. 朝日新聞. (2008年7月16日). オリジナルの2008年8月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c “リベラルの会 政策提言|衆議院議員 近藤昭一”. 2016年5月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月4日閲覧。
- ^ a b c "「リベラルの会」(仮称)結成にあたって" (Press release). 憲法改悪阻止各界連絡会議. 3 August 2004.
- ^ 近藤昭一【活動アルバム】リベラルの会合宿
- ^ "85号/2008年09〜10月号/こんちゃん会報" (PDF) (Press release). 近藤昭一. 11 September 2008.
- ^ “民主党代表選挙”. Yahoo!ニュース. (2008年7月17日). オリジナルの2008年7月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ “近藤昭一【つれづれ日記】民主党代表選挙”. 2009年7月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月4日閲覧。
- ^ “菅代表選出の公算、きょう午後新首相指名”. 読売新聞. (2010年6月4日). オリジナルの2010年6月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主、リベラルの会が首相支持を留保”. 日本経済新聞. (2010年8月5日)
- ^ hatatomokoのツイート(22503166983)
- ^ “民主党代表選 「リベラルの会」では菅首相支持の声相次ぐ 態度は保留”. 産経新聞. (2010年8月21日). オリジナルの2010年8月25日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主代表選:支持候補「ゼロベースで」…リベラルの会”. 毎日新聞. (2010年8月21日). オリジナルの2010年8月22日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主・リベラルの会、代表選候補者に政策提言提示へ”. 日本経済新聞. (2010年8月21日)
- ^ “【民主代表選】リベラルの会が4項目の政策提言まとめる”. 産経新聞. (2010年8月30日). オリジナルの2010年9月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “樽床氏、小沢氏支持を表明=「リベラルの会」自主投票―民主代表選”. ウォール・ストリート・ジャーナル. 時事通信. (2010年9月3日)
- ^ a b “直嶋経産相が首相支持 護憲派グループは自主投票”. 日本経済新聞. (2010年9月3日)
- ^ “樽床国対委員長は小沢支持、「リベラルの会」は自主投票”. 夕刊フジ. (2010年9月3日). オリジナルの2010年9月4日時点におけるアーカイブ。
- ^ “武器輸出:三原則見直し、慎重な対応を…リベラルの会”. 毎日新聞. (2010年11月11日). オリジナルの2010年11月14日時点におけるアーカイブ。
- ^ “防衛大綱:提言案を了承 民主調査会”. 毎日新聞. (2010年11月29日). オリジナルの2010年12月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主、南西諸島防衛を明記 新大綱で提言”. 47NEWS. 共同通信. (2010年11月29日). オリジナルの2010年11月30日時点におけるアーカイブ。
- ^ “平岡総務副大臣、民主党代表選出馬に意欲”. 日テレNEWS24. (2011年8月19日). オリジナルの2012年9月20日時点におけるアーカイブ。
- ^ “近藤昭一【つれづれ日記】代表選挙に平岡議員が手を挙げる”. 2011年8月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年3月4日閲覧。
- ^ 近藤昭一オフィシャルブログ「【つれづれ日記】政治家は襟を正し進んで行かなくてはならない」より(2011-08-26閲覧)
- ^ 近藤昭一オフィシャルブログ「【つれづれ日記】民主党代表選挙について」より(2011-08-29閲覧)
- ^ “【野田新内閣】“問題あり”大臣、大丈夫? リベラル色濃く…”. 産経新聞. (2011年9月3日). オリジナルの2011年9月3日時点におけるアーカイブ。
- ^ “防衛省、オスプレイ陸揚げ日程を岩国に説明”. 日テレNEWS24. (2012年7月20日). オリジナルの2012年8月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “オスプレイに与党反発=原発再稼働問題も再燃”. Yahoo!ニュース. 時事通信. (2012年7月20日). オリジナルの2012年7月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「反野田」グループ結成へ、党代表選に対抗馬”. 読売新聞. (2012年8月22日). オリジナルの2012年8月24日時点におけるアーカイブ。
- ^ 近藤昭一オフィシャルブログ「【つれづれ日記】民主党代表選、告示!赤松候補の推薦人になる」より(2012-09-10閲覧)
- ^ 近藤昭一オフィシャルブログ「【つれづれ日記】民主党はとことん中道リベラルへ」より(2012-12-22閲覧)
- ^ 近藤昭一オフィシャルブログ「【つれづれ日記】」より(2013-03-06閲覧)
- ^ “【民主代表選】長妻氏が正式出馬表明 「リベラル勢力結集図る」…細野、岡田両氏に続き3人目”. 産経新聞. (2014年12月29日). オリジナルの2014年12月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “民主代表選7日告示 岡田氏退院、細野・長妻陣営は選対発足へ”. 日本経済新聞. (2015年1月5日). オリジナルの2015年1月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ “細野氏、再編論を封印=警戒感払拭に懸命-民主代表選”. 時事通信. (2014年12月19日). オリジナルの2015年1月5日時点におけるアーカイブ。
- ^ 近藤昭一オフィシャルブログ「【つれづれ日記】「政策中心に」「開かれた」代表選びを」より(2006-04-03閲覧)
- ^ a b 篠原孝オフィシャルブログ「テロ特措法と日本の役割(11/2外務委員会質問報告)07.11.16」より(2007-11-16閲覧)
- ^ 篠原孝オフィシャルブログ「憲法9条の平和主義の精神を盤石なものにする改憲-13.06.27」より(2013-06-27閲覧)