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昔々、東勝身洲([[須弥山]]の周囲にある[[閻浮提]]の一つ)<ref name="tr">『西遊記』における世界観では、世界は「{{読み仮名|'''東勝身洲'''|とうしょうしんしゅう}}」「{{読み仮名|'''西牛賀洲'''|せいごけしゅう}}」「{{読み仮名|'''南贍部洲'''|なんせんぶしゅう}}」「{{読み仮名|'''北倶盧洲'''|ほっくるしゅう}}」の四大陸に分かれているとされている。なお、これは仏教の[[四天王]]の統治する世界である。孫悟空の出身地・花果山は東勝身洲の近海に、中国(作中では[[唐]])は南贍部洲にあるとされている。また、[[三蔵]]一行の目的地である[[天竺]]は西牛賀州にあるとされており、中国からすると文字通り「西方浄土」ということになる</ref>は{{読み仮名|傲来国|ごうらいこく}}の沖合にうかぶ火山島、花果山<ref>ただの山ではなく神仙の棲む特別な霊山である</ref>の頂に一塊の仙石があった。この石が割れて卵を産み、卵は風にさらされて一匹の石猿が孵った<ref>孫悟空が生まれたのが、岩から生まれた卵であったことは有名。誕生まもなくその目から金色の光がほとばしって天界まで達したので、天帝を驚かせた</ref>。この石猿は、島に住む猿たちが、誰かが谷川の水源を見つけたら王様にするというので、勇を振るって滝壺に飛び込み、水簾洞という住み処を見つけてきたので、約束どおり猿たちに崇められ{{読み仮名|'''美猴王'''|びこうおう}}と名乗ることになった。 |
昔々、東勝身洲([[須弥山]]の周囲にある[[閻浮提]]の一つ)<ref name="tr">『西遊記』における世界観では、世界は「{{読み仮名|'''東勝身洲'''|とうしょうしんしゅう}}」「{{読み仮名|'''西牛賀洲'''|せいごけしゅう}}」「{{読み仮名|'''南贍部洲'''|なんせんぶしゅう}}」「{{読み仮名|'''北倶盧洲'''|ほっくるしゅう}}」の四大陸に分かれているとされている。なお、これは仏教の[[四天王]]の統治する世界である。孫悟空の出身地・花果山は東勝身洲の近海に、中国(作中では[[唐]])は南贍部洲にあるとされている。また、[[三蔵]]一行の目的地である[[天竺]]は西牛賀州にあるとされており、中国からすると文字通り「西方浄土」ということになる</ref>は{{読み仮名|傲来国|ごうらいこく}}の沖合にうかぶ火山島、花果山<ref>ただの山ではなく神仙の棲む特別な霊山である</ref>の頂に一塊の仙石があった。この石が割れて卵を産み、卵は風にさらされて一匹の石猿が孵った<ref>孫悟空が生まれたのが、岩から生まれた卵であったことは有名。誕生まもなくその目から金色の光がほとばしって天界まで達したので、天帝を驚かせた</ref>。この石猿は、島に住む猿たちが、誰かが谷川の水源を見つけたら王様にするというので、勇を振るって滝壺に飛び込み、水簾洞という住み処を見つけてきたので、約束どおり猿たちに崇められ{{読み仮名|'''美猴王'''|びこうおう}}と名乗ることになった。 |
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数百年経った、ある日、限りある命にはかなさを感じたことから[[不老不死]]の術を求めて旅に出て、十年以上かけて西牛賀洲<ref name="tr" />に住む{{読み仮名|[[須菩提]]祖師|すぼだいそし}}という[[仙人]]を探し出して弟子入りした。祖師は、姓を持たぬという美猴王に孫という姓を与え、'''孫悟空'''の法名を授ける。7年後、兄弟子を差し置いて、念願の長寿の妙道を密かに教わり、さらに3年後に{{読み仮名|地煞数|ちさつすう}}という'''七十二般の[[変化]]術'''<ref>これは72個の命を意味する</ref>を自然に悉く体得してしまった。さらに{{読み仮名|'''[[ |
数百年経った、ある日、限りある命にはかなさを感じたことから[[不老不死]]の術を求めて旅に出て、十年以上かけて西牛賀洲<ref name="tr" />に住む{{読み仮名|[[須菩提]]祖師|すぼだいそし}}という[[仙人]]を探し出して弟子入りした。祖師は、姓を持たぬという美猴王に孫という姓を与え、'''孫悟空'''の法名を授ける。7年後、兄弟子を差し置いて、念願の長寿の妙道を密かに教わり、さらに3年後に{{読み仮名|地煞数|ちさつすう}}という'''七十二般の[[変化]]術'''<ref>これは72個の命を意味する</ref>を自然に悉く体得してしまった。さらに{{読み仮名|'''[[觔斗雲]]'''|きんとうん}}の法も教わって自在に空の雲に乗れるようになる<ref>他には分身する術など。身外身の術という、にこ毛を噛み砕いて吹いた物を多数の猿に変化させて使役する術はよく使われる</ref>。ところが、他の弟子に術<ref>[[仙術]]はすべて秘伝の技であり、術を見せれば見た者は自分も習いたくなってきっと邪心を起こすので、みだりに見せたりしてはならなかった</ref>を見せびらかしたことから、祖師の怒りを買い故郷に帰るように命じられた<ref>祖師は、悟空がきっと禍を引き起こすだろうと予測し、決して誰から術を教わったか口外するなときつく言い渡した</ref>。 |
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花果山に帰郷すると、[[混世魔王]]という化け物が水簾洞を荒らしていたので身外身の術で退治したが、これをきっかけに傲来国に出かけて大量の武器を強奪して配下の猿たちに配って守りを固めさせ、配下の猿を軍隊にまとめ上げた。そうすると自分の武器も手に入れたくなり、海中の[[四海竜王|東海竜王]]敖廣の宮殿である[[龍宮]]にいき、悟空の意によって自在に伸縮する[[如意金箍棒]]<ref>これは重さ一万三千五百[[斤]]の「天河鎮底神珍鉄」という名で、両端に金のたががはまった黒い棒で、伸縮自在、すなわちまたの名を'''[[如意金箍棒|如意棒]]'''である</ref>を無理矢理譲ってもらう。さらに長く居すわって残りの[[四海竜王|三海の竜王]]たちからも武具を要求し、金の冠、金の鎧、歩雲履の防具一式<ref>南海の敖欽は鳳翅飾りの紫金冠を、西海の敖閏は黄金の鎖編みの鎧を、北海の敖順は{{読み仮名|藕糸|はすいと}}で編んだ歩雲履を持ってきた</ref>を持ってこさせた。 |
花果山に帰郷すると、[[混世魔王]]という化け物が水簾洞を荒らしていたので身外身の術で退治したが、これをきっかけに傲来国に出かけて大量の武器を強奪して配下の猿たちに配って守りを固めさせ、配下の猿を軍隊にまとめ上げた。そうすると自分の武器も手に入れたくなり、海中の[[四海竜王|東海竜王]]敖廣の宮殿である[[龍宮]]にいき、悟空の意によって自在に伸縮する[[如意金箍棒]]<ref>これは重さ一万三千五百[[斤]]の「天河鎮底神珍鉄」という名で、両端に金のたががはまった黒い棒で、伸縮自在、すなわちまたの名を'''[[如意金箍棒|如意棒]]'''である</ref>を無理矢理譲ってもらう。さらに長く居すわって残りの[[四海竜王|三海の竜王]]たちからも武具を要求し、金の冠、金の鎧、歩雲履の防具一式<ref>南海の敖欽は鳳翅飾りの紫金冠を、西海の敖閏は黄金の鎖編みの鎧を、北海の敖順は{{読み仮名|藕糸|はすいと}}で編んだ歩雲履を持ってきた</ref>を持ってこさせた。 |
2020年7月6日 (月) 21:26時点における版
孫悟空 | |
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各種表記 | |
繁体字: | 孫悟空 |
簡体字: | 孙悟空 |
拼音: | Sūn Wùkōng |
注音符号: | ㄙㄨㄣㄨˋㄎㄨㄥ |
ラテン字: | Sun¹ Wu⁴- k'ung¹ |
発音: | スンウーコン |
広東語拼音: | Syun¹ ng⁶hung¹ |
閩南語発音: | Sun Ngōo-khang |
日本語読み: | そんごくう |
孫 悟空(そん ごくう、スン・ウーコン、繁体字: 孫悟空; 簡体字: 孙悟空; 繁体字: 孫悟空; 拼音: Sūn Wùkōng; ウェード式: Sun¹ Wu⁴- k'ung¹; 粤拼: Syun¹ ng⁶hung¹)は、中国の四大奇書小説『西遊記』の主要登場キャラクター[1]の一人である上仙。今も崇拝される道教の神でもあり、香港をはじめ、台湾や東南アジアでは一般に
元代の『西遊記』(最古とされる)のあらすじを収録した朝鮮の書『朴通事諺解』(1677年)には孫吾空として登場する。また、齊天大聖の登場する主な雑劇(説話)は以下のとおり。これら先行する各種作品をうけて明代に100回本としてまとめられ集大成したもの[3]が分量が多すぎたため、清代には整理簡略された簡本のうち康熙33年(1694年)刊行の『西遊真詮』が比較的よくみられる『西遊記』である。
- 西遊雑劇(戯曲)
- 斉天大聖(戯曲)
- 八仙過海
概要
『西遊記』の雑劇などの書作品での通称は猴行者、あるいは通天大聖などさまざまな名前で呼ばれているが、孫行者の名に落ち着いた。日本でよく知られた孫悟空は諱であり避諱により当時の中国では一般には使用されない。
以下、明、清の刊本の『西遊記』に基づく概略を記す。
生い立ち
昔々、東勝身洲(須弥山の周囲にある閻浮提の一つ)[4]は
数百年経った、ある日、限りある命にはかなさを感じたことから不老不死の術を求めて旅に出て、十年以上かけて西牛賀洲[4]に住む
花果山に帰郷すると、混世魔王という化け物が水簾洞を荒らしていたので身外身の術で退治したが、これをきっかけに傲来国に出かけて大量の武器を強奪して配下の猿たちに配って守りを固めさせ、配下の猿を軍隊にまとめ上げた。そうすると自分の武器も手に入れたくなり、海中の東海竜王敖廣の宮殿である龍宮にいき、悟空の意によって自在に伸縮する如意金箍棒[11]を無理矢理譲ってもらう。さらに長く居すわって残りの三海の竜王たちからも武具を要求し、金の冠、金の鎧、歩雲履の防具一式[12]を持ってこさせた。 牛魔王を含む6大魔王[13]の妖仙と義兄弟となり、宴席で酔いつぶれていると、幽冥界から使いが2人きて魂を連れ去り、「寿命が尽きた」という。しかしそんなはずはないと抗弁して暴れ、閻魔帳を持ってこさせると、なるほど孫悟空の寿命が342歳とあるので、自分の名を墨で塗りつぶし、ついでに気に入ってる仲間の猿の名前もいくつか消した。もうお前らの厄介にはならんと冥界十王[14]を殴って帰ってきたところで、目が覚めたが、以後、悟空以外の山猿にも不老のものがふえたという。
大鬧天宮 ()
こうして死籍を消すに至ったことから、天界からも危険視される存在になった。天上界の主宰者、天帝は石猿を討伐しようとするが、太白の意見で思い直し、官吏として天界に召すことで懐柔することにした[15]。悟空は、天界の使者に喜び、弼馬温[16]の官職に任命されたが、半月後にその身分が低いと知ってへそを曲げ、不意に脱走してしまう。地上ではすでに十数年[17]経っていたが、帰還した美猴王を神としてかしずく猿たちに囲まれて気分がいいところに、独角鬼王という妖怪が訪ねてきて臣下となり、さらに褒めそやして煽てたので、有頂天になった悟空は斉天大聖[18]と自ら号するようになった。これを聞いた天帝は身の程知らずの石猿だと怒り、托塔李天王を大将にする討伐軍に派遣したが、先鋒の巨霊神と
力で抑えるのが難しいとわかると、再び太白の意見で懐柔策をとることになり、二度目は悟空の希望通りの待遇とすることにして、新官職「斉天大聖」が創設され、正式に任命された。これは職務のない名目だけの官職であった。これでしばらくは悟空も満足していたが、天界では暇をもてあましていたので、新たに
悟空が戻ると地上では百年経過していた。天帝は烈火のごとく怒り、天兵10万を派遣して包囲し、諸将を総動員して攻めかからせた。悟空の側は、七十二洞の妖怪たちと独角鬼王は生け捕られたが、猿たちはすべて逃げ延び、悟空は哪吒太子と四大天王、恵岸を打ち負かした。ところが恵岸がその師である観音菩薩に苦戦を報告したところ、菩薩は天帝に顕聖二郎真君を推薦する。二郎真君は梅山の六兄弟と共に悟空を遂に追い詰め、太上老君の投げた金剛琢で悟空が脳天を打たれてふらふらのところを捕まえた。
天帝は、悟空を斬妖台に引きだして八つ裂きの刑にするが、悟空は仙丹の力で無敵の体となっていたので刀も斧も歯が立たず、火すら効果がなかった。最終手段として太上老君の秘法八卦炉の前に差し出し押し込めて熔かそうとするも、いぶされて目が真っ赤になって「
取経の旅へ
五百年後、観世音菩薩の救済によって三蔵法師の弟子となって功徳を積むことを許され、天竺までの取経の旅[23]を助けることになる。三蔵法師からはおもに
なお、ここで書いたとおり孫悟空は本篇や漢詩中で、各種の名前や肩書きで呼ばれている。ここに書いたほかにも、大聖翁、猴仔公、心猿、混元一気上方太乙金仙美猴王斉天大聖など、様々な名称で呼ばれている。
孫悟空のモデル
中国西部の陝西省やチベットなどに生息するキンシコウを研究する日本モンキーセンター世界サル類動物園長の小寺重孝が、NHKの動物の生態を紹介するテレビ番組『ウオッチング』で、「美猴王」を名乗った孫悟空のモデルにふさわしい美しいサルであり、もしかしたらこれがモデルなのかもしれないと紹介した。後に『アサヒグラフ』1985年3月29日号にて、小寺重孝本人も勘違いと認めているが世間に広まったためひっこみがつかなくなっているという旨の談話が掲載されている。『西遊記』そのものを研究している中国文学研究者は、作中描写から判断するとマカク属のアカゲザルである可能性が高いとする説を提唱しており、例えばニホンザルと異なり水泳を好むアカゲザルの生態などが巧みに『西遊記』の中に描写されていることなどを指摘している。
また、中国起源説(岳亭丘山、魯迅など)は、中国神話に登場する水神「無支祁(巫支祁、無支奇)」に淵源を求める。
禹による無支祁退治の記録は『太平広記』に収められた説話(巻467「李湯」)に登場しており、唐の時代に楚州の知事であった李湯(りとう)が水中から引きあげた巨大な猿の妖怪の話を補うかたちで示されている。それによると禹による無支祁退治の記録は『古岳瀆経』というぼろぼろの古文書にあったものとされており、これが示されることで李湯の話(『古岳瀆経』の見つかる話は李湯の話から48年後の元和8年であるとされる)に登場した正体不明の大猿が無支祁であったのであろう、ということになっている。宋の時代からよく流布されるようになり戯曲などへの利用によって人々の知るところとなった。
猿のすがたや能力の高さ及び山の下に封じられること、水の属性との縁のある点から、『西遊記』に登場する孫悟空の原型のひとつになっているのではないかという考察が古くから存在している。石田英一郎は、猿と水の関係性からこれを説いているほか、無支祁が大索でつなぎとめられて封じられたとされていること自体も水に関する伝説の中で関連性の高い要素であると考察している。
孫悟空と無支祁を結びつけて考えるような点から、『西遊記』を素材とした雑劇には孫悟空の姉妹として、無枝祁聖母・亀山聖母という登場人物が設定されていたりもした。
これとはまた別に、インドの有名な叙事詩『ラーマーヤナ』の猿の神として登場するハヌマーンも黄金の肌と真紅の顔面そして長い尾を持つ姿として描かれているところから、ハヌマーンが孫悟空のモデルとする説も唱えられている。インドのヒンドゥー教寺院ではハヌマンラングールがハヌマーン神の使いとして手厚く扱われ、参詣者から餌などを与えられて闊歩している。ハヌマーンもまた孫悟空と同様に、超常的な神通力を使用し、空を飛んだり、体の大きさを変えたりした。また、場面によって猿軍団を率いる、山を持ち上げるなどの行為を行ったとされる。『ラーマーヤナ』の物語中でヴィシュヌの化身とされるラーマを助けて様々な局面で活躍する猿神の姿は、『西遊記』において猿妖である孫悟空が三蔵法師を護衛して活躍する姿と相似ている部分も多々見受けられ、『西遊記』の物語形成過程に『ラーマーヤナ』が少なからず影響を与えたことも考えられる。
また、中華人民共和国の安西地方に存在する楡林窟や東千仏洞などで発見された唐僧取経図には、玄奘三蔵のインドへの旅の様子が描かれているとされ、その中に出てくる案内人が孫悟空などの原型となっているのではないかとも言われている。
名の「悟空」については、唐代に実在し、インドまで赴いた僧侶・悟空(731年 - ?)の名をとったものではないかとする説がある。
泉州開元寺西塔浮彫
泉州開元寺の仁壽塔(西塔、嘉熙元年(1237年)完成)浮彫には梁武帝、「唐三藏」、東海火龍太子、猴行者の4種あり、『西遊記』の孫悟空となる前の姿がかいまみえる。
道教思想によっての解釈
道教の世界における孫悟空は俗說の人物像と違って、天道と「五行」「八卦」によって生まれた模範的な修行者だと考えらている。中国清代の道士陳士斌の『西遊記』を解釈する著書『西游真詮』では、孫悟空は「觀天之道,執天之行。運化陰陽,神明合德,萬化生身而與天為伍」の完璧な聖人であり、「乾坤主宰,黜陟幽冥,包含古今,原無等倫」の偉大なる天帝と唯一対等の存在ともされる[28]。天界と対立したのは、八卦「乾」の上九・陽の極まりを象徴する「亢龍の象」が成立したためだと考えられる。
なお、竜王の寶貝(バオベイ)もよく「四方を従わせる」象徵だとみられている(「谘諏四嶽、和合四象,自東自西自南自北,無思不服也」)。水から生まれた「藉絲履」は北で、金から生まれた「鎖子甲」は西で、火から生まれた「鳳翅冠」は南で、東海の如意金箍棒と対応している。陳士斌の解釈によれば、如意金箍棒の重量(「一万三千五百斤」)の数字「13500」では六十四卦の中の最大最高の「九五」という爻が隠れている(90+9*5=135)。また、この数字は「12000+1500」の形で分解できる。「12000」の「12」は、八卦の東南西北の四象を象徴している(3*4=12)。「1500」の中の「15」は「三五の道」を表している(3*5=15)。故に、この武具は乾卦のすべての「象」を体現している[28]。
脚注
- ^ 大鬧天宮の話などでは主人公であり、京劇などでは最も重要な役とされる
- ^ “齊天大聖” (中国語(繁体字)). 2009年7月23日閲覧。
- ^ 100回本の作者として、中国では魯迅による呉承恩説があるが、日本の研究者(太田辰夫・中野美代子ら)は根拠に乏しいとして否定的である。中野は100回本を成立させた「作者」が複数存在する可能性も指摘している。
- ^ a b 『西遊記』における世界観では、世界は「
東勝身洲 ()」「西牛賀洲 ()」「南贍部洲 ()」「北倶盧洲 ()」の四大陸に分かれているとされている。なお、これは仏教の四天王の統治する世界である。孫悟空の出身地・花果山は東勝身洲の近海に、中国(作中では唐)は南贍部洲にあるとされている。また、三蔵一行の目的地である天竺は西牛賀州にあるとされており、中国からすると文字通り「西方浄土」ということになる - ^ ただの山ではなく神仙の棲む特別な霊山である
- ^ 孫悟空が生まれたのが、岩から生まれた卵であったことは有名。誕生まもなくその目から金色の光がほとばしって天界まで達したので、天帝を驚かせた
- ^ これは72個の命を意味する
- ^ 他には分身する術など。身外身の術という、にこ毛を噛み砕いて吹いた物を多数の猿に変化させて使役する術はよく使われる
- ^ 仙術はすべて秘伝の技であり、術を見せれば見た者は自分も習いたくなってきっと邪心を起こすので、みだりに見せたりしてはならなかった
- ^ 祖師は、悟空がきっと禍を引き起こすだろうと予測し、決して誰から術を教わったか口外するなときつく言い渡した
- ^ これは重さ一万三千五百斤の「天河鎮底神珍鉄」という名で、両端に金のたががはまった黒い棒で、伸縮自在、すなわちまたの名を如意棒である
- ^ 南海の敖欽は鳳翅飾りの紫金冠を、西海の敖閏は黄金の鎖編みの鎧を、北海の敖順は
藕糸 ()で編んだ歩雲履を持ってきた - ^ 残りは、
蛟魔王 ()、鵬魔王 ()、獅駝王 ()、獼猴王 ()、𤟹狨王 ()(𤟹は犭偏に禺)。を加えた7兄弟は、七大聖と呼ばれ、牛魔王が長兄。詳しくは斉天大聖で説明 - ^ 冥途の十人の王のことで、十殿冥王ともいう。秦広王、楚江王、宋帝王、仵官王、閻羅王、平等王、泰山王、都市王、卞城王、転輪王の十人
- ^ 太白は穏健派で、外交官の神としても知られる。
- ^ 弼馬温は中国語で「ピーマーウェン」と読み、日本語音は「ひつぱおん」。職務は天界の厩舎の管理人で、馬の飼育係という賤職であったので、のちのち悟空を罵倒する言葉としても使われる。なお、猿を厩の管理人とするとされたのは、弼馬温と同音の避馬瘟というサルはウマを守るものとの伝承がインドから中国に伝来したことによる。
HP・水神の話-「河童駒引」をめぐる動物考―馬・牛・猿(3)より
同様の伝承は日本に伝わり、日本でも武家屋敷の厩でサルが飼育されていた様子が、鎌倉末期の13世紀末ころの絵巻である『男衾三郎絵詞』の図に見られる - ^ 天界の一日は地上の一年に相当するため
- ^ 「天にも等しい大聖人」の意
- ^ 天界で供される桃を栽培する果樹園。蟠桃をはじめ数種類の桃が作られているが、いずれも食べることで不老長生を得ることのできる神聖な桃(仙桃)である
- ^ 二度目の逃走はかなり確信犯的で、はっきりと悪事を働いた自覚を持って逃げ行く
- ^ この時割れて地上に落ちた八卦炉の破片が火焔山となった。
- ^ 別名「両界山」。この山が中国の国境であり、ここから先は妖仙の住む領域。
- ^ 三蔵法師の旅は、大乗仏教の経典を授かることが目的であったため、「取経の旅」といった表現がなされる。
- ^ 風貌が小坊主に似ているという理由である。このことから悟空は猿のなかでも毛の短い猿であることがわかる
- ^ 最初の脱走の際に、以後の脱走を防ぐ抑止力として頭にはめられたのが「緊箍児」(きんこじ、別称「金剛圏」)と呼ばれる輪っかである。これは「緊箍呪」という呪文を唱えることで輪が収縮し、頭が締めつけられるというものである。しかしこの後に三蔵法師は緊箍児によって直接的に脱走を防ごうとすることはほとんどなかった。悟空が妖怪を殺したのを人間が殺めたと誤解したり、実際に人間を殺めてしまったことを知った際の懲罰として用いている。
- ^ 人間に化けすました妖魔を見破って相手にせずに無視したり、予め討ち取ろうとしても、妖魔を見抜くことのできない三蔵に慈悲を理由に咎められて制止され、結局、防ぎきれずに三蔵を攫われてしまったり、制止を振り切って倒した結果、三蔵の誤解を受けて勘当を言い渡されるなどの憂き目にあっている。
- ^ 仏としての名前は
闘戦勝仏 ()。なお、仏となったのちには緊箍児は消えていた - ^ a b “西游真诠”. www.daizhige.org. 2020年1月2日閲覧。
参考文献
- 『西遊記の秘密 タオと煉丹術のシンボリズム』中野美代子 岩波現代文庫 ISBN 978-4-00-602070-5
- 『孫悟空はサルかな?』中野美代子 日本文芸社 ISBN 978-4-537-05013-4
- 『西遊記 孫悟空編』実吉達郎・東山鈴鹿 メタモル出版 1991 ISBN 978-4-895-95026-8