「中村和雄 (バスケットボール)」の版間の差分
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2020年6月29日 (月) 13:48時点における版
引退 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
生年月日 | 1940年12月4日(83歳) |
出身地 | 秋田県男鹿市 |
選手経歴 | |
1963-1965? | 秋田いすゞ自動車 |
指導者経歴 | |
1966-1974 1974-1992 1995-1998 1998-2011 2011-2014 2015-2016 1978-1979 1979-1981 1985-1990 |
鶴鳴女子高校 共同石油 秋田経済法科大学 オーエスジー/浜松・東三河フェニックス 秋田ノーザンハピネッツ 新潟アルビレックスBB バスケットボール女子日本代表B バスケットボール女子日本代表 バスケットボール女子日本代表 |
中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。鶴鳴女子高校、共同石油(後のJX-ENEOSサンフラワーズ)、浜松・東三河フェニックス(後の三遠ネオフェニックス)などの監督・ヘッドコーチを歴任し、全国優勝に導いた。またバスケットボール女子日本代表、秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBのヘッドコーチも務めた。退任後、秋田県体育協会のゼネラル・アドバイザーとして秋田県のスポーツ振興に取り組む。
渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口には、中村の座右の銘である「心をこめて」という言葉が刻まれたモニュメントが設置されている[1]。また日本工学院八王子専門学校が主催する高校バスケットボールの大会「KAZU CUP」は、中村の名前を由来としている[2]。
来歴
1940年、秋田県男鹿市船越に生まれる。船越中学1年からバスケットボールを始め、秋田高校、芝浦工業大学では主将を務め活躍[3]。
卒業後、鉄興社(現在の日本重化)、秋田いすゞ自動車(現在の横浜ギガスピリッツ)でバスケットボールを続け、指導者を目指す[3]。
1966年、鶴鳴女子高校に赴任。1972年には春の選抜、インターハイ、国体で優勝し、史上初となる3冠を達成した[3]。
1974年、実業団リーグの共同石油の監督に就任。2年後には日本リーグ昇格。4年後には初タイトルを獲得し、1992年までの在任期間中日本リーグ6回、オールジャパン5回優勝の強豪に築き上げた。
その間、1979年から1981年と1985年から1990年までの2度、全日本女子の監督も務めた。
1998年、オーエスジーフェニックスの監督に就任。1999年の実業団大会優勝及び日本リーグ2部昇格、1999-2000シーズン2部優勝へ導く。
浜松・東三河フェニックスとしてbjリーグ転籍後も引き続き指揮を執る。2009-2010シーズンは最優秀コーチを受賞。初優勝に導く。翌2010-2011シーズンも優勝し連覇、最優秀コーチも2年連続受賞したが、同年退任。
直後、出身地の秋田を本拠地とする秋田ノーザンハピネッツHCに就任[4]。2013-2014シーズンにはチームを初のファイナルに導くも、同シーズン限りで退任した[5]。
2015年6月、新潟アルビレックスBBのヘッドコーチに就任[6]。2016年5月、退任。
2018年現在、秋田県でアマチュアの指導にあたっている他、解説者、CNAスポーツコンテンツアドバイザーとして活躍している。
著書
- 『攻撃バスケットボール―技術と練習法』(1987年、成美堂出版)
- 『心をこめて』(1989年、スポーツイベント)
参考資料
- ^ “東京・渋谷に“中村語録”登場 モニュメント除幕”. 秋田魁新報. (2012年9月25日)
- ^ “八王子で高校バスケ「KAZU CUP」-全国の強豪チームが集結”. 八王子経済新聞 (2013年3月25日). 2013年6月15日閲覧。
- ^ a b c 『攻撃バスケットボール―技術と練習法』(1987年、成美堂出版)著者略歴より。
- ^ “中村HC秋田へ、bj連覇浜松退団” (2011年5月24日). 2011年5月24日閲覧。
- ^ “ヘッドコーチ契約満了のお知らせ”. 秋田ノーザンハピネッツ (2014年6月30日). 2014年7月4日閲覧。
- ^ “中村和雄氏とヘッドコーチ契約合意のお知らせ”. 新潟アルビレックスBB (2015年6月2日). 2015年6月2日閲覧。