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2020年6月20日 (土) 11:43時点における版
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ファビオ・フォニーニ | ||||
基本情報 | ||||
愛称 |
Absolutely Fabio-lous Fogna | |||
国籍 | イタリア | |||
出身地 | 同・サンレーモ | |||
居住地 | 同・タッジャ | |||
生年月日 | 1987年5月24日(37歳) | |||
身長 | 178cm | |||
体重 | 79kg | |||
利き手 | 右 | |||
バックハンド | 両手打ち | |||
ツアー経歴 | ||||
デビュー年 | 2004年 | |||
ツアー通算 | 14勝 | |||
シングルス | 9勝 | |||
ダブルス | 5勝 | |||
生涯獲得賞金 | 18,831,523 アメリカ合衆国ドル | |||
4大大会最高成績・シングルス | ||||
全豪 | 4回戦(2014・18・20) | |||
全仏 | ベスト8(2011) | |||
全英 | 3回戦(2010・14・17-19) | |||
全米 | 4回戦(2015) | |||
4大大会最高成績・ダブルス | ||||
全豪 | 優勝(2015) | |||
全仏 | ベスト4(2015) | |||
全英 | 2回戦(2014) | |||
全米 | ベスト4(2011) | |||
優勝回数 | 1(豪1) | |||
4大大会最高成績・混合ダブルス | ||||
全豪 | 2回戦(2013・16) | |||
全英 | 2回戦(2012・13) | |||
キャリア自己最高ランキング | ||||
シングルス | 9位(2019年7月15日) | |||
ダブルス | 7位(2015年7月20日) | |||
2020年2月10日現在 |
ファビオ・フォニーニ(Fabio Fognini, 1987年5月24日 - )は、イタリア・サンレーモ出身の男子プロテニス選手。身長178cm、体重79kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPランキング自己最高位はシングルス9位、ダブルス7位。これまでにATPツアーでシングルス9勝、ダブルス5勝を挙げている。ATPワールドツアー・マスターズ1000で1勝。
2015年全豪オープン男子ダブルスで同じイタリアのシモーネ・ボレッリと組んで優勝、グランドスラム男子オープン化以降初となるイタリア人ペアでの優勝である。また2011年全仏オープン男子シングルスで、イタリア人男子として13年振りのグランドスラムシングルスベスト8進出を果たした選手である。
2019年モンテカルロ・マスターズでは、イタリア人男子として51年振りの優勝を果たした。
生い立ち
会社経営者の父フルヴィオと主婦の母シルヴァナの間に2人兄妹の長男として生まれ、4歳からテニスを始めた[1]。当初は他のスポーツとしてサッカーもプレーしていたが14歳になるとテニス一本に絞り込み、以降本格的にテニスに取り組むようになる[2]。
経歴
ジュニア時代
ジュニア時代には2004年全豪オープンと2004年全仏オープンのジュニアシングルス部門で2度ベスト8に進出しており[3][4]、ITFジュニア世界ランキングでも最高8位を記録する等、早くから国際的に名の知られたトップジュニアの一人となっていた[5]。
2005年~2007年
転向後暫くは下部大会での下積みが続いたフォニーニであったが、2007年から本格的にツアーレベルの大会に挑戦するようになり、2007年全仏オープン男子シングルスで予選を勝ち上がりグランドスラム大会初出場を果たす。1回戦では世界ランク35位のフアン・モナコと対戦、世界ランク191位のフォニーニは最初の2セットを奪う活躍を見せるも3セット目以降はモナコに逆転され、結局6-3, 6-2, 1-6, 2-6, 4-6のフルセットで惜敗した[6]。予選を勝ち上がり出場した7月のオーストリア・オープンシングルスでは1回戦でフアン・パブロ・ブジェジツキを6-4, 6-3のストレートで破りツアーシングルス初勝利を挙げ勢いに乗ると、2回戦では第16シードのヴェルナー・エシャウアーを4-6, 6-4, 7-5のフルセットで下し、アンドレアス・セッピとの3回戦まで進出[7]。続いて予選を勝ち上がり出場したロジャーズ・カップでも2回戦で大会13シード、シングルス世界ランク14位のアンディ・マリーを6-2, 6-2のストレートで下す番狂わせを演じ[8]、世界ランク1位の第1シードロジャー・フェデラーとの3回戦まで進出した[9]。この年は他にも9月のキングフィッシャー航空テニス・オープンシングルスでも2回戦に進出した他[10]、下部ツアーのATPチャレンジャーツアーでもシングルスで3度の準優勝、ダブルスで1度の準優勝を挙げる活躍で、シングルス年度末ランクも前シーズン終了時の247位[11]から94位まで急上昇させ[12]、以降ツアーレベルに定着するようになる。またシーズン後半にはスペインの元プロテニス選手オスカー・セラーノと新たにフルタイムコーチ契約を結び、以降セラーノの指導を受けるようになる[13]。
2008年
シングルスではノーシードで出場した1月のモビスター・オープン1回戦で、第2シードのフアン・イグナシオ・チェラを7-6(0), 6-2のストレートで破る活躍でサンティアゴ・ベントゥーラとの準々決勝まで進出すると[14]、続いてノーシードで出場したブラジル・オープンでは2回戦で第8シードのアルベルト・モンタニェスを7-5, 6-3のストレートで、準々決勝ではノーシードのイボ・ミナールをそれぞれ破り、初のツアーシングルス準決勝に進出。準決勝では第2シードのニコラス・アルマグロと対戦したが1-6, 1-6のストレートで完敗[15]。6月のオレンジ・ワルシャワ・オープンでも準々決勝で第5シードのギリェルモ・カナスを7-5, 7-5のストレートで破り準決勝に進出。準決勝では世界ランク4位の第1シードニコライ・ダビデンコに挑戦したが、2-6, 3-6のストレートで敗退[16]。第7シードで出場した7月のクロアチア・オープンでは、3回戦で前年度優勝者の第3シードカルロス・モヤを6-4, 6-3のストレートで破る活躍で2ヶ月連続のツアーベスト4に進出[17]。準決勝では世界ランク15位の第1シードフェルナンド・ベルダスコと対戦したが、1-6, 3-6のストレートで破れた[18]。この年は他にもノーシードで出場した8月のパイロット・ペン・テニス2回戦で、第10シードのシモーネ・ボレリを6-2, 5-7, 6-4のフルセットで破り、第7シードのアンドレアス・セッピとの3回戦まで進出した他、ツアー下部のチャレンジャーシリーズでも2優勝を記録、ダブルスでもカルロス・ベルロクと組みノーシードで出場したクロアチア・オープンで準優勝した他[19][20]、フィリッポ・ボランドリと組み出場したブラジル・オープン、フアン・マルティン・デル・ポトロと組み出場した8月のカントリーワイド・クラシックでもそれぞれベスト4に進出する好成績を収めたが[21][22]シーズン終盤に左膝を負傷したことにより失速、10月のリヨン・グランプリダブルス1回戦で敗退したのを最後に前シーズンよりも早くツアーを切り上げ、同月30日に左膝の手術に踏み切った[1][23]。これにより前シーズン後半の獲得ポイントを防衛できなかった為シングルス年度末ランクは92位とわずかの上昇に留まったが[24]、ダブルスでは前年末の490位[25]から133位まで大幅に上昇した[26]。これらの活躍により同年9月のデビスカップヨーロッパ/アフリカゾーン グループ Iプレーオフ、対ラトビア戦でイタリア代表に初選出。、シングルスナンバー2選手として初日のシングルスで起用されたが、ラトビアのシングルスナンバー1選手エルネスツ・グルビスに 6-7(2), 1-6, 1-6 のストレートで敗れた[27]。
2009年
シーズン序盤は前年末の左膝手術の影響もあり、シングルスでは1〜2回戦負けの続く低調な滑り出しで2月から4月にかけて一時シングルストップ100から陥落する等一時スランプに陥ったが、3月末に主催者推薦で出場したチャレンジャー大会のテニス・ナポリ・カップでベスト4に進出し復調のきっかけを掴むと[28]、予選を勝ち上がり出場した4月のモンテカルロ・マスターズ1回戦で世界ランク25位のトマーシュ・ベルディハを1-6, 6-3, 6-3の逆転で破り、2回戦では世界ランク18位の第14シードマリン・チリッチを6-2, 6-0と圧倒して3回戦に進出[29]。3回戦では世界ランク4位で第4シードのアンディ・マリーと対戦し6-7(11), 4-6のスコアで惜敗したが[30]、この活躍により翌週付けのシングルスランキングでトップ100に復帰。ノーシードで出場した7月のメルセデス・カップでは、1回戦で第7シードのファブリス・サントロを5-7, 7-6(3), 6-1のフルセットで破ると、2回戦ではポール=アンリ・マチューを6-4, 4-1としたところでマチューの途中棄権で勝利。3回戦では世界ランク11位の第2シードニコライ・ダビデンコを6-1, 3-6, 7-5のフルセットで下し今シーズン初のツアーベスト4に進出[31]。準決勝では第4シードのビクトル・ハネスクと対戦したが、3-6, 7-6(4), 2-6のフルセットで惜敗した[32]。この年はノーシードで出場した9月のBCRルーマニア・オープンでも、2回戦で第2シードのニコラス・アルマグロを 6-4, 7-6(3)のストレートで破り、第5シードのアルベルト・モンタニェスとの準々決勝まで進出した他[33]、マドリード・マスターズ、上海マスターズでも予選を勝ち上がり2回戦まで進出する等高グレード大会でも実績を残し、年度末ランキングも自身最高となる54位で終了した[34]。一方、今シーズンはシングルスに注力した為ダブルスにはグランドスラム大会を中心に計7大会しか出場せず、それらの出場大会も全て1〜2回戦負けに終わった事により年度末ランキングは211位まで下降した[35]。
2010年
シングルスではノーシードで出場した2月のブラジル・オープンでルカシュ・クボットとの準々決勝まで進出すると[36]、5月の全仏オープン2回戦では前年ベスト4の第13シードガエル・モンフィス相手に2-6, 4-6, 7-5, 6-4, 9-7のフルセット、雨天中断による日没順延の為2日間に渡った4時間16分の大熱戦を制し[37][38]、自身初のグランドスラムシングルス3回戦に進出[39][40]。3回戦では第20シードのスタニスラス・ワウリンカに挑戦したが、3-6, 4-6, 1-6のストレートで敗れた[41]。6月のウィンブルドン選手権1回戦では、世界ランク9位で第9シードのフェルナンド・ベルダスコを7-6(9), 6-2, 6-7(6), 6-4のスコアで破る活躍でジュリアン・ベネトーとの3回戦まで進出[42]。この年はノーシードで出場した7月のドイツ国際オープンでアンドレアス・セッピとの3回戦まで進出した他[43]、予選から出場した8月のロジャース・カップ、10月のBNPパリバ・マスターズでも本戦2回戦に進出[44][45]。チャレンジャーツアーでも3大会で優勝し、ダブルスでもポティート・スタラーチェと組みノーシードで出場した2月のアビエルト・メキシコ・テルセルで準優勝する好成績を収めたが[46]、その反面ツアーシングルス1回戦負けが前シーズンの10回から16回に増加するなど好不調の波も激しく、シングルス年度末ランキングも55位と前年とほぼ変わらずの順位で終えるに留まった[47]。またシーズン終盤には従来のセラーノとのコーチング契約を終了し[48]、かつてカリム・アラミのコーチを務めた[49]スペイン人のパブロ・マルティンと新たにフルタイムコーチ契約を結んでいる[50]。
2011年 全仏ベスト8
シングルスでは第7シードで出場した2月のモビスター・オープンで順当に準々決勝まで進出すると、準々決勝では前年度優勝者の第3シードトマス・ベルッシを1-6, 6-2, 7-6(0)のフルセットで破る活躍でトミー・ロブレドとの準決勝まで進出[51][52]。ノーシードで出場した5月の全仏オープンでは、1回戦でデニス・イストミンを6-4, 6-2, 6-2のストレートで、2回戦でステファン・ロベールを6-2, 6-1, 6-0のストレートでそれぞれ下し、2年連続の3回戦に進出。3回戦では第30シードのギリェルモ・ガルシア=ロペスを4-6, 6-3, 6-3, 6-1で破ると[53]、4回戦ではノーシードのアルベルト・モンタニェスと対戦。互いに初のグランドスラムシングルスベスト8進出を賭けたこの一戦は両者共一歩も引かない大熱戦となり、セットカウント2-2のファイナルセットまで縺れ込んだ。このファイナルセットではモンタニェスに先にブレークされ追いかける展開となり、5-3モンタニェスのサービスゲームで2本のマッチポイントを握られる所まで追い詰められた。しかしここからフォニーニが追い上げを見せたが、途中自身のサービスゲームで左足を負傷した為まともに足が動かなった。それでも最後は粘るモンタニェスを振りきり、結果4-6, 6-4, 3-6, 6-3, 11-9のフルセット、計4時間22分のロングマッチに勝利[54]。イタリア人男子の全仏オープンシングルスベスト8進出は、1995年全仏オープンでシングルスベスト8に進出したレンツォ・フルラン以来16年振りの事であり[55]、グランドスラム全体でも1998年ウィンブルドン選手権でベスト8に進出したダビデ・サンギネッティ以来13年振りとなる快挙であった[56][57]。しかしモンタニェスス戦終盤で痛めた左足付け根の状態では次戦を戦うことは叶わず、結局準々決勝の対ノバク・ジョコビッチ戦を棄権[58]。イタリア人男子として1978年全仏オープンのコラド・バラズッティ以来、33年振りとなるグランドスラムシングルスベスト4進出の偉業達成はならなかった[59]。
2012年~2014年 マスターズベスト4・ツアー初優勝・デビスカップベスト4
2012年BRDナスターゼ・ティリアク・トロフィーで自身初のツアー決勝進出を果たすも、ジル・シモンに4–6, 3–6で敗れ、初優勝はならなかった。サンクトペテルブルク・オープン決勝でもマルティン・クリザンに敗れ、準優勝。
2013年4月のモンテカルロ・マスターズでは3回戦で世界ランク6位のトマーシュ・ベルディハを6–4, 6–2で、準々決勝で世界ランク9位のリシャール・ガスケを7–6(0), 6–2で破り、ベスト4進出。準決勝で世界ランク1位のノバク・ジョコビッチに2-6, 1-6で敗れた。7月のメルセデス・カップ決勝でフィリップ・コールシュライバーを5–7, 6–4, 6–4で破りATPシングルス初優勝を果たす。翌週のドイツ国際オープンでは世界ランク11位のトミー・ハースや16位のニコラス・アルマグロを破って決勝進出。決勝でフェデリコ・デルボニスに4–6, 7–6(8), 6–2で勝利し500シリーズ初優勝を果たした。年間最終ランキングは16位で、飛躍の年になった。
2014年全豪オープンは4回戦まで進出した。2月のチリ・オープンでは決勝でレオナルド・マイエルを6–4, 6–2で破り優勝。その後のアルゼンチンオープンでも決勝進出したことで、世界ランキングは自己最高の13位まで上昇した。クレーシーズンでは全仏オープンまでに19勝1敗の結果を残した。
デビスカップ2014準々決勝対イギリス戦では世界ランク8位のアンディ・マリーに6–3, 6–3, 6–4で勝利し、イタリアの準決勝進出に貢献した[60][61]。
2015年 全豪ダブルス優勝・ナダルに3度の勝利
2015年全豪オープン男子ダブルスにてシモーネ・ボレリとペアを組みノーシードで出場。決勝でピエール=ユーグ・エルベール/ニコラ・マユ組を6–4, 6–4で破りグランドスラム初優勝を果たした[62]。グランドスラム男子オープン化以降初となるイタリア人ペアでの優勝である。
リオ・オープン準決勝で世界ランク3位のラファエル・ナダルに1–6, 6–2, 7–5で勝利し決勝に進出するもダビド・フェレールに敗れ準優勝。バルセロナ・オープン3回戦にて再びラファエル・ナダルに6–4, 7–6(6)で同シーズン2度目の勝利。1シーズンで2度クレーコートでナダルに勝利したのは2011年のノバク・ジョコビッチ以来2人目。同年のドイツ国際オープンでは2度目の決勝で三度ラファエル・ナダルと対戦するも5-7, 5-7で敗れた。
全米オープンでは今季4度目のラファエル・ナダルとの対戦で3-6, 4-6, 6-4, 6-3, 6-4で勝利。ナダルには今季3度目、ハードでは初めて勝利した。全米では初めて4回戦進出。4回戦ではフェリシアーノ・ロペスに敗れた。
2016年~2018年 ツアー5勝、全米オープンでの侮辱行為
2016年7月のクロアチア・オープン決勝でアンドレイ・マルティンを6–4, 6–1で破り2年ぶりの優勝を挙げた。
2017年マイアミ・マスターズで準決勝に進出した。グシュタードオープンでは優勝した。サンクトペテルブルク・オープンは準優勝だった。
全米オープンの男子シングルス1回戦で、ステファノ・トラヴァーリャに敗戦。試合後、女性審判に対して侮辱発言を行ったため大会追放処分の上、2万4,000ドルの罰金を科せられた。また、グランドスラム理事会からグランドスラム2大会の執行猶予付き出場停止処分と罰金9万6000ドル(約1080万円)を科された[63]。後日、自身の暴言癖が欠点であることを自覚しており、メンタルトレーナーと訓練していた旨を発言している[64]。
2018年、全豪オープンと全仏オープンで4回戦まで進出した。ブラジルオープンでは決勝でニコラス・ジャリーに勝利し、優勝した。スウェーデンオープンの決勝ではリシャール・ガスケを破り優勝。アビエルト・メキシコ・ロス・カボスでは決勝でフアン・マルティン・デル・ポトロを下しシーズン3勝目をあげた。年間最終ランキングを自己最高タイの13位で終えた。
2019年 マスターズ初優勝、自己最高ランキング9位を記録
シーズン序盤は不調で、全豪オープンでは3回戦でパブロ・カレーニョ・ブスタに敗れ、2月は得意のクレーコートの大会で3大会連続で初戦敗退を喫した。しかし、モンテカルロ・マスターズではアレクサンダー・ズベレフらを下してベスト4入りすると、準決勝で大会3連覇中で同大会優勝11回のラファエル・ナダルに6-4, 6-2で勝利して決勝に進出した[65]。決勝戦ではドゥシャン・ラヨビッチを6-3, 6-4で破り、マスターズ初優勝を果たした[66][67]。全仏オープンは4回戦でアレクサンダー・ズベレフに敗れたが、大会終了後の世界ランキングで10位となり、実質的に史上最年長となる32歳で初のトップ10入りを果たした[68]。ウィンブルドン選手権はテニーズ・サンドグレンに3回戦で敗退したが[69]、大会終了後の世界ランキングで自己最高の9位になった。次の全米オープンでは1回戦でライリー・オペルカに敗れた。ヨーロッパ選抜で出場したレーバーカップではジャック・ソックに敗れた。その後上海マスターズでは2回戦でアンディ・マレーに7-6(4)、2-6、7-6(2)のフルセットの激闘の末に勝利したが、試合終盤のマレーがボレーを打つ瞬間にフォニーニが大声を出し、妨害行為をしたとして後味の悪い試合となった。それから準々決勝まで進出したが、ダニール・メドベージェフに敗れた。パリ・マスターズではデニス・シャポバロフに6-3、3-6、3-6で敗れ、初戦敗退となった。年間最終ランキングは12位。
2020年6月、新型コロナウイルス流行の影響でツアーが中断している間に両足首の手術を受けた[70]。
プレースタイル
特にクレーコートを得意としており、コートに突き刺さるようなクリーンなグラウンドストロークを武器にするカウンターパンチャータイプの選手であり、タイトルのほとんどをクレーコートで手にしているので、生粋のクレーターと呼べる。またラケットタッチの巧みさにも定評があり、これを生かしたボレーやドロップショットのレベルも非常に高い。足もツアー内でとても速い方であり、多少の打球も拾うことができる。サーブは身長が178cmとあまり高くないが、ややクイック気味に打つ。リズムに乗ると、フォアもバックもフラットでオープンコートに打ち込み、2015年の全米オープンの試合のようにナダルなどの強敵も圧倒するほどである。[71]。
一方、2008年1月の時点で当時のコーチオスカー・セラーノは、「試合中に突然集中力が途切れることが頻繁にあり、それによりサービスショットの精度が安定しなくなるという欠点を持つ他、試合中に自制心を失い自己中心的なプレーに走った事による自滅も多い」とフォニーニを分析しており、これらの欠点を克服することが更なるレベル向上の鍵となっている[23]。試合中の暴言など非紳士的言動も多く、2017年の全米オープンで受けた処分により、キャリアで支払った罰金の合計額が25万ドルを突破した[72]。
私生活
2014年からイタリア人の元女子プロテニス選手で、2015年全米オープン女子シングルス覇者のフラビア・ペンネッタと交際を始めた。2015年に婚約し、2016年6月16日に結婚した。2017年には第一子が誕生した[73]。
スポンサー
ウェアについては、以前はアディダスと契約を結んでいたが、2016年からイタリアの高級スポーツブランドのハイドロゲンと、2019年からは高級ファッションブランド・アルマーニの兄弟ブランドであるエンポリオ・アルマーニと契約を結んだ[74]。2015年までウェアとシューズがアディダスだったが、2016年からハイドロゲンにウェアが変わったため、それに合わせてシューズもアシックスやナイキ、自分に合ったものを試していた。実際に2016年辺りから試合を見るとシューズのメーカーがそうであった。しかし、ラケットがバボラだったので、2018年の5月ぐらいからシューズはバボラジェットシリーズを使っており、2018年は基本的にシューズはバボラだった。しかし、2019年からは度々アシックスやナイキのものを使用しており、現在では独自にオーダーしたエンポリオ・アルマーニのシューズでテニスをしている噂もある。 ラケットはバボラ製品を使用しており、ピュアドライブ使用である。ストリングはバボラPRMブラストであり、振動止めとグリップテープもバボラのものである。また、フォニーニはグリップバンドを独特な感じに装着しており、バボラのシルバーシールが見えるように、その真上に装着しているのが特徴的である。
主要大会決勝
マスターズ1000決勝
シングルス:1 (タイトル1回)
結果 | 年 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|
優勝 | 2019年 | モンテカルロ | クレー | ドゥシャン・ラヨビッチ | 6–3, 6–4 |
ATPツアー決勝進出結果
シングルス: 19回 (9勝10敗)
|
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結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | 対戦相手 | スコア |
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準優勝 | 1. | 2012年4月29日 | ブカレスト | クレー | ジル・シモン | 4–6, 3–6 |
準優勝 | 2. | 2012年9月23日 | サンクトペテルブルク | ハード (室内) | マルティン・クリザン | 2–6, 3–6 |
優勝 | 1. | 2013年7月14日 | シュトゥットガルト | クレー | フィリップ・コールシュライバー | 5–7, 6–4, 6–4 |
優勝 | 2. | 2013年7月21日 | ハンブルク | クレー | フェデリコ・デルボニス | 4–6, 7–6(10–8), 6–2 |
準優勝 | 3. | 2013年7月28日 | ウマグ | クレー | トミー・ロブレド | 0–6, 3–6 |
優勝 | 3. | 2014年2月9日 | ビニャ・デル・マール | クレー | レオナルド・マイエル | 6–4, 6–2 |
準優勝 | 4. | 2014年2月23日 | ブエノスアイレス | クレー | ダビド・フェレール | 4–6, 3–6 |
準優勝 | 5. | 2014年5月4日 | ミュンヘン | クレー | マルティン・クリザン | 6–2, 1–6, 2–6 |
準優勝 | 6. | 2015年2月16日 | リオデジャネイロ | クレー | ダビド・フェレール | 2–6, 3–6 |
準優勝 | 7. | 2015年8月2日 | ハンブルク | クレー | ラファエル・ナダル | 5–7, 5–7 |
優勝 | 4. | 2016年7月24日 | ウマグ | クレー | アンドレイ・マルティン | 6–4, 6–1 |
準優勝 | 8. | 2016年10月23日 | モスクワ | ハード (室内) | パブロ・カレーニョ・ブスタ | 6–4, 3–6, 2–6 |
優勝 | 5. | 2017年7月30日 | グシュタード | クレー | ヤニック・ハンフマン | 6–4, 7–5 |
準優勝 | 9. | 2017年9月24日 | サンクトペテルブルク | ハード (室内) | ダミル・ジュムール | 6–3, 4–6, 2–6 |
優勝 | 6. | 2018年3月4日 | サンパウロ | クレー | ニコラス・ジェリー | 1–6, 6–1, 6–4 |
優勝 | 7. | 2018年7月22日 | ボースタード | クレー | リシャール・ガスケ | 6–3, 3–6, 6–1 |
優勝 | 8. | 2018年8月4日 | ロス・カボス | ハード | フアン・マルティン・デル・ポトロ | 6–4, 6–2 |
準優勝 | 10. | 2018年9月30日 | 成都 | ハード | バーナード・トミック | 1–6, 6–3, 6–7(7–9) |
優勝 | 9. | 2019年4月21日 | モンテカルロ | クレー | ドゥシャン・ラヨビッチ | 6–3, 6–4 |
ダブルス: 14回 (5勝9敗)
結果 | No. | 決勝日 | 大会 | サーフェス | パートナー | 対戦相手 | スコア |
---|---|---|---|---|---|---|---|
準優勝 | 1. | 2008年7月14日 | ウマグ | クレー | カルロス・ベルロク | ミハル・メルティナク | 6–2, 3–6, [5–10] |
準優勝 | 2. | 2010年2月27日 | アカプルコ | クレー | ポティート・スタラーチェ | ルカシュ・クボット オリバー・マラチ |
0–6, 0–6 |
優勝 | 1. | 2011年7月30日 | ウマグ | クレー | シモーネ・ボレッリ | マリン・チリッチ ロブロ・ゾブコ |
6–3, 5–7, [10–7] |
準優勝 | 3. | 2012年4月14日 | カサブランカ | クレー | ダニエレ・ブラッチャーリ | ダスティン・ブラウン ポール・ハンリー |
5–7, 3–6 |
優勝 | 2. | 2013年2月24日 | ブエノスアイレス | クレー | シモーネ・ボレッリ | ニコラス・モンロー シモン・スタドラー |
6–3, 6–2 |
準優勝 | 4. | 2013年3月2日 | アカプルコ | クレー | シモーネ・ボレッリ | ルカシュ・クボット ダビド・マレーロ |
5–7, 2–6 |
準優勝 | 5. | 2013年10月6日 | 北京 | ハード | アンドレアス・セッピ | マックス・ミルヌイ ホリア・テカウ |
4-6, 2-6 |
優勝 | 3. | 2015年1月31日 | 全豪オープン | ハード | シモーネ・ボレッリ | ピエール=ユーグ・エルベール ニコラ・マユ |
6–4, 6–4 |
準優勝 | 6. | 2015年3月22日 | インディアンウェルズ | ハード | シモーネ・ボレッリ | ジャック・ソック バセク・ポスピシル |
4–6, 7–6(7–3), [7–10] |
準優勝 | 7. | 2015年4月19日 | モンテカルロ | クレー | シモーネ・ボレッリ | ボブ・ブライアン マイク・ブライアン |
6–7(3–7), 1–6 |
準優勝 | 8. | 2015年10月18日 | 上海 | ハード | シモーネ・ボレッリ | マルセロ・メロ レイベン・クラーセン |
3–6, 3–6 |
優勝 | 4. | 2016年10月2日 | 深圳 | ハード | ロベルト・リンドステット | オリバー・マラチ ファブリス・マルタン |
7–6(7–4), 6–3 |
準優勝 | 9. | 2018年7月22日 | ボースタード | クレー | シモーネ・ボレッリ | フリオ・ペラルタ オラシオ・セバジョス |
3–6, 4–6 |
優勝 | 5. | 2018年9月23日 | サンクトペテルブルク | ハード (室内) | マッテオ・ベレッティーニ | ロマン・イェバヴィ マトヴェ・ミデルクープ |
7–6(7–6), 7–6(7–4) |
シングルス成績
- 略語の説明
W | F | SF | QF | #R | RR | Q# | LQ | A | Z# | PO | G | S | B | NMS | P | NH |
W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.
4大大会
大会 | 2006 | 2007 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 | 通算成績 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | A | Q1 | 1R | 2R | 1R | 1R | 1R | 1R | 4R | 1R | 1R | 2R | 4R | 3R | 4R | 13–13 |
全仏オープン | A | 1R | A | 1R | 3R | QF | 3R | 3R | 3R | 2R | 1R | 3R | 4R | 4R | 21–11 | |
ウィンブルドン | A | A | 1R | 2R | 3R | A | 2R | 1R | 3R | 2R | 2R | 3R | 3R | 3R | 14–11 | |
全米オープン | A | Q3 | 1R | 1R | 1R | 2R | 3R | 1R | 2R | 4R | 2R | 1R | 2R | 1R | 9–12 |
※: 2011年全仏準々決勝の不戦敗は通算成績に含まない
大会最高成績
大会 | 成績 | 年 |
---|---|---|
ツアーファイナル | A | 出場なし |
インディアンウェルズ | 4R | 2014 |
マイアミ | SF | 2017 |
モンテカルロ | W | 2019 |
マドリード | 3R | 2019 |
ローマ | QF | 2018 |
カナダ | QF | 2019 |
シンシナティ | QF | 2014 |
上海 | QF | 2019 |
パリ | QF | 2018 |
オリンピック | 3R | 2016 |
デビスカップ | SF | 2014 |
ダブルス成績
大会 | 2008 | 2009 | 2010 | 2011 | 2012 | 2013 | 2014 | 2015 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | W–L |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
全豪オープン | 2R | 2R | 2R | 1R | 2R | SF | 2R | W | 2R | 1R | 2R | A | 17–10 |
全仏オープン | A | 2R | 1R | 2R | 1R | 1R | 2R | SF | 1R | 1R | 1R | A | 7–10 |
ウィンブルドン | A | 1R | 1R | A | 1R | 1R | 2R | 1R | 1R | 1R | A | A | 1–8 |
全米オープン | 1R | 1R | A | SF | 1R | 2R | 1R | 1R | 2R | 3R | 2R | A | 9–9 |
脚注
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- ^ Scoop Malinowski (2011年5月27日). “Biofile with Fabio Fognini”. Tennis-Prose.com. 2011年6月6日閲覧。
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- ^ 準決勝ではフェデラー、ワウリンカ率いるスイスに敗れた。
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- ^ “「全てが備わった」フォニーニ、悪童から家族思いの父に成長”. www.afpbb.com. 2019年4月22日閲覧。
- ^ “フォニーニ「夢が叶ったようなものだよ」。32歳での初のトップ10入りは実質最高齢での記録に”. www.thetennisdaily.jp. 2019年7月16日閲覧。
- ^ “「爆発しろ」発言のフォニーニに罰金か、ウィンブルドン主催者が明かす”. www.afpbb.com. 2019年7月16日閲覧。
- ^ “フォニーニが両足首を手術。遅咲きで最高の結果を残した選手が更なる高みを目指す”. テニスデイリー. 2020年6月2日閲覧。
- ^ Tom Perrotta (2011年5月29日). “Beware the Wounded Tennis Player”. ウォールストリート・ジャーナル. 2011年6月6日閲覧。
- ^ “悪童の暴言がテニス界に貢献?”. THE ANSWER. (2017年9月6日) 2018年1月21日閲覧。
- ^ “Tennis, è nato Federico Fognini: da Flavia e Fabio omaggio a Luzzi”. La Gazzetta dello Sport - Tutto il rosa della vita. 2019年4月22日閲覧。
- ^ “世界13位フォニーニ、アルマーニ下着のアンバサダーに就任”. www.thetennisdaily.jp. 2019年6月2日閲覧。
外部リンク
- ファビオ・フォニーニ - ATPツアーのプロフィール
- ファビオ・フォニーニ - デビスカップのプロフィール
- ファビオ・フォニーニ - 国際テニス連盟
- ファビオ・フォニーニ公式サイト
- ウィキメディア・コモンズには、ファビオ・フォニーニに関するカテゴリがあります。