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キム・ウォーウィック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キム・ウォーウィック
Kim Warwick
基本情報
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 同・シドニー
生年月日 (1952-04-08) 1952年4月8日(72歳)
身長 182cm
体重 77kg
利き手
ツアー経歴
デビュー年 1971年
引退年 1989年
ツアー通算 29勝
シングルス 3勝
ダブルス 26勝
生涯通算成績 717勝543敗
シングルス 268勝253敗
ダブルス 449勝290敗
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(1980)
全仏 2回戦(1977・79・80)
全英 4回戦(1977)
全米 ベスト8(1982)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 優勝(1978・80・81)
全仏 優勝(1985)
全英 ベスト8(1977・82)
全米 ベスト4(1977)
優勝回数 4(豪3・仏1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 15位
ダブルス 10位

キム・ウォーウィックKim Warwick, 1952年4月8日 - )は、オーストラリアニューサウスウェールズ州シドニー市出身の元男子プロテニス選手。1980年全豪オープン男子シングルス準優勝者。1970年代後半から1980年代前半にかけて、オーストラリアを代表するダブルスの名手として活躍し、4大大会で男子ダブルス4勝、混合ダブルス2勝を挙げた。ATPツアーではシングルス3勝、ダブルス26勝を挙げたが、準優勝が1980年全豪オープンを含めて8つあった。

ウォーウィックは少年時代、オーストラリアの名コーチであるビクトル・エドワーズの“秘蔵っ子”として知られた。エドワーズはイボンヌ・グーラゴングを育てたコーチであり、ウォーウィックとグーラゴングは1972年に混合ダブルスでペアを組んだ。2人は全仏オープンで地元フランスペアのジャン・クロード・バークレー&フランソワーズ・デュール組を 6-2, 6-4 で破り、続くウィンブルドンでもイリ・ナスターゼロージー・カザルス組との決勝まで進出したが、ナスターゼとカザルスには 4-6, 4-6 で敗れた。その後しばらく低迷期があったが、1976年全仏オープン混合ダブルスでイラナ・クロス南アフリカ)とペアを組み、4年ぶり2度目の優勝を果たす。ウォーウィックの4大大会男子ダブルス初優勝は、1978年全豪オープンであった。この大会で、ウォーウィックはポーランドヴォイチェフ・フィバクと組み、決勝でポール・クロンククリフ・レッチャー(ともにオーストラリア)組を 7-6, 7-5 で破って初優勝を決めた。パートナーのフィバクにとっては、これはポーランドの男子テニス選手として初めて獲得した4大大会タイトルであった。

それから2年後、1980年全豪オープンでウォーウィックは男子シングルス・男子ダブルスの2部門に決勝進出を果たした。当時の全豪オープン男子シングルスは、64名の選手による6回戦制で行われていた。第14シードのウォーウィックは、準決勝で大会3連覇を目指した第1シードのギレルモ・ビラスを 6-7, 6-4, 6-2, 2-6, 6-4 で破ったが、決勝ではブライアン・ティーチャーアメリカ)に 5-7, 6-7, 2-6 のストレートで敗れて準優勝になった。男子ダブルスではマーク・エドモンドソンとペアを組んで優勝し、それ以後ウォーウィックはエドモンドソンとペアを組む機会が多くなった。1981年全豪オープンで、ウォーウィック&エドモンドソン組は男子ダブルス2連覇を達成する。1982年はシングルスで好成績があり、全米オープンイワン・レンドルとの準々決勝に進出した。

4年後の1985年、ウォーウィックとエドモンドソンは全仏オープン男子ダブルスで初優勝を飾り、このペアで4大大会3勝目を挙げた。2人は決勝でシュロモ・グリックスタインイスラエル)&ハンス・シモンソンスウェーデン)組に 6-3, 6-4, 6-7, 6-3 で競り勝った。ウォーウィックにとっては、1972年1976年の混合ダブルス優勝以来、9年ぶり3個目の全仏オープンタイトルになる。ところが、半年後の全豪オープン男子ダブルス決勝で、ウォーウィックとエドモンドソンはポール・アナコーンアメリカ)&クリスト・バン・レンスバーグ(南アフリカ)組に 6-3, 6-7, 4-6, 4-6 で敗れ、4年ぶりの優勝を逃した。当時の全豪オープンは、1978年から1985年まで12月の年末開催であったため、1月開催となった現在の感覚とは大きく異なる点が注意を要する。

キム・ウォーウィックは「ジャパン・オープン」で何度か日本を訪れたこともあり、1977年の大会で単複の決勝進出があった。ダブルスでは同じオーストラリアジェフ・マスターズとペアを組んで優勝したが、シングルス決勝ではマニュエル・オランテスに敗れている。彼のテニス経歴を通じて、ダブルスでは1987年まで優勝記録があり、通算「26勝」を獲得した。“エドワーズの秘蔵っ子”からスタートしたウォーウィックは、1989年に37歳で現役を引退した。

4大大会ダブルス優勝

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  • 全豪オープン 男子ダブルス:3勝(1978年・1980年・1981年) [男子シングルス準優勝:1980年]
  • 全仏オープン 男子ダブルス:1勝(1985年)/混合ダブルス:2勝(1972年・1976年)

外部リンク

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