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ロリ・マクニール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロリ・マクニール
Lori McNeil
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・カリフォルニア州
サンディエゴ
生年月日 (1963-12-18) 1963年12月18日(61歳)
身長 170cm
体重 61kg
利き手
バックハンド 片手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1983年
引退年 2002年
ツアー通算 42勝
シングルス 10勝
ダブルス 32勝
生涯通算成績 1041勝644敗
シングルス 436勝309敗
ダブルス 605勝335敗
生涯獲得賞金 3,441,604 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト8(1987)
全仏 3回戦(1988・92・94)
全英 ベスト4(1994)
全米 ベスト4(1987)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1987)
全仏 ベスト8(1987・92・93)
全英 ベスト4(1987)
全米 ベスト4(1995・96)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全仏 優勝(1988)
全英 準優勝(1994)
優勝回数 1(仏1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 9位
ダブルス 4位

ロリ・マクニールLori McNeil, 1963年12月18日 - )は、アメリカカリフォルニア州サンディエゴ出身の元女子プロテニス選手。

1983年から2002年まで20年近く現役を続行し、4大大会の女子シングルスで1987年全米オープン1994年ウィンブルドンの2度ベスト4に入り、1988年全仏オープン混合ダブルスで優勝するなど、多彩な経歴を残した選手である。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス32勝を挙げた。自己最高ランキングはシングルス9位、ダブルス4位。身長170cm、体重61kg、右利き。

選手経歴

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1983年にプロ入りし、直ちにダブルスで頭角を現し始める。1986年に女子ツアー大会のシングルスで初優勝を果たし、この年に年間2勝を挙げた。マクニールは1987年に著しい躍進を遂げ、全豪オープンでベスト8に入り(第2シードのハナ・マンドリコワに 0-6, 0-6 で敗退)、全米オープンシュテフィ・グラフとの準決勝に進出した。全米オープンの準々決勝では、マクニールは第3シードのクリス・エバートを 3-6, 6-2, 6-4 で破り、こうしてエバートが1974年から1986年まで「13年連続」で続けてきた4大大会連続優勝記録が途絶え、女子テニスにおける1つの時代が終わりを告げた。1987年から1989年まで、マクニールは3年連続で女子ツアーのダブルスに5勝ずつを記録する。

1987年1988年、マクニールは2年連続で全仏オープンの混合ダブルス決勝に進出した。初進出だった1987年シャーウッド・スチュワートアメリカ)とのペアで準優勝になったが、1988年にホルヘ・ロザノ(メキシコ)と組んで優勝した。1992年にマクニールは4年ぶり3度目の全仏オープン混合ダブルス決勝に進み、ブライアン・シェルトン(アメリカ)とペアを組んだが、トッド・ウッドブリッジアランチャ・サンチェス・ビカリオ組に 2-6, 3-6 で敗れ、この部門では2度目の準優勝に終わった。1992年度の女子テニスツアー年間最終戦「バージニア・スリムズ選手権」の1回戦で、マクニールはシュテフィ・グラフを 7-6, 6-4 で破り、マルチナ・ナブラチロワとの準決勝まで進出した。

ロリ・マクニールの名前が強烈な印象を残したのは、1994年ウィンブルドンでのベスト4進出である。マクニールは1回戦で、大会3連覇中だった第1シードのシュテフィ・グラフを 7-5, 7-6 のストレートで破った。ウィンブルドン選手権の女子シングルス競技で、大会前年優勝者が1回戦で敗退したのは史上初の大波乱であった。マクニールはその勢いに乗って自身2度目の4大大会準決勝まで勝ち進んだが、第3シードのコンチタ・マルティネスに 6-3, 2-6, 8-10 の激戦で敗れ、決勝進出を逃した。この大会ではT・J・ミドルトン(アメリカ)とペアを組んだ混合ダブルスでも活躍したが、トッド・ウッドブリッジヘレナ・スコバ組に 6-3, 5-7, 3-6 の逆転で敗れて準優勝に終わった。これでマクニールは4大大会の混合ダブルス決勝に「4度」進出したことになる。

マクニールは日本のトーナメントでも、1989年の「東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント」準優勝と1991年の「サントリージャパン・オープン」優勝があった。1989年の東レ決勝ではマルチナ・ナブラチロワに 7-6, 3-6, 6-7 で惜敗したが、1991年のジャパン・オープンではサビーネ・アペルマンスベルギー)を 2-6, 6-2, 6-1で破って優勝した。マクニールの長い競技経歴を通じて、日本人女子選手との対戦はあまり多くないが、1989年全豪オープン1回戦で小泉幸枝(こいずみ・ゆきえ)選手に敗れたことがある。

マクニールは1999年4月に女子ツアーのシングルスから撤退したが、ダブルスでは2002年まで現役を続行した。2001年にはアマンダ・クッツァーと組んで2つのダブルス・タイトルを獲得し、最後の年になった2002年全豪オープン女子ダブルスでクッツァーとペアを組み、準々決勝まで進出している。マクニールは2002年全米オープンの女子ダブルス1回戦敗退を最後に、38歳で現役を引退した。

4大大会成績

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  • 全仏オープン 混合ダブルス優勝:1988年 (同部門で準優勝2度:1987年・1992年)
  • ウィンブルドン 女子シングルス・ベスト4/混合ダブルス準優勝、ともに1994年 [女子シングルス1回戦で、大会前年優勝者のグラフを破る]
  • 全米オープン 女子シングルス・ベスト4:1987年 [準々決勝でクリス・エバートの4大大会連続優勝記録が途絶える]

外部リンク

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