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「ゴンドラの唄」の版間の差分

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「[[カチューシャの唄]]」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」<ref>[[和田登]]『いのち短し恋せよ少女-小説中山晋平-』140-141頁。</ref> のだという。
「[[カチューシャの唄]]」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」<ref>[[和田登]]『いのち短し恋せよ少女-小説中山晋平-』140-141頁。</ref> のだという。


歌詞は[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]]の『[[即興詩人]]』([[森外]]訳)の一節を基にしている<ref>[http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000167707 「ゴンドラの唄」はアンデルセンの「ベネチアのゴンドラ」という作品をもとにしているときいたが本当か]、レファレンス協同データベース([[国立国会図書館]])、2015年2月14日 15:46更新。2016年6月23日閲覧。</ref>。
歌詞は[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]]の『[[即興詩人]]』([[森外]]訳)の一節を基にしている<ref>[http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000167707 「ゴンドラの唄」はアンデルセンの「ベネチアのゴンドラ」という作品をもとにしているときいたが本当か]、レファレンス協同データベース([[国立国会図書館]])、2015年2月14日 15:46更新。2016年6月23日閲覧。</ref>。


『[[読売新聞]]』の1915年4月29日付に[[ライオン (企業)|ライオン水歯磨]]の「ゴンドラの唄」への協賛広告が掲載され、「ゴンドラの唄」の4番までの歌詞が紹介された<ref>『流行歌の誕生』164-165頁。</ref><ref>『甦る「ゴンドラの唄」』81-82頁。</ref>。
『[[読売新聞]]』の1915年4月29日付に[[ライオン (企業)|ライオン水歯磨]]の「ゴンドラの唄」への協賛広告が掲載され、「ゴンドラの唄」の4番までの歌詞が紹介された<ref>『流行歌の誕生』164-165頁。</ref><ref>『甦る「ゴンドラの唄」』81-82頁。</ref>。

2020年6月18日 (木) 11:08時点における版

ゴンドラの唄」(ゴンドラのうた)は、1915年(大正4年)に発表された歌謡曲吉井勇作詞。中山晋平作曲。

芸術座第5回公演『その前夜』の劇中歌として生まれ、松井須磨子らが歌唱、大正時代の日本で流行した。


 \relative c' {
  \new PianoStaff <<
   \new Staff { \key c \major \time 6/8 \tempo 8 = 100
   c4 c8 c( d) e | g( e) c' g4. | g8 a g e16( d) c8 g' | e4. ~ e4 r8 |
   c4 c8 c( d) e | g( e) c' g4. | c,8( d) a' g( d) e | c4. ~ c4 r8 |
   g'4 g8 g( e') d | c( e,) a g4. | c,4 d8 e( c) a' | g4.( e4) r8 |
   c( d) e g( c) a | d( c) a g4. | c,8( d) a' g( d) e | c4. ~ c4 r8 \bar "|."
   }
   \addlyrics {
   い の ち -- み じ -- か し こ い せ よ -- お と め --
   あ か き -- く ち -- び る あ -- せ ぬ -- ま に --
   あ つ き -- ち し -- お の ひ え ぬ -- ま に --
   あ -- す の -- つ き -- ひ は な -- い も -- の を --
   }
  >>
 }

楽曲

カチューシャの唄」を手がけた中山晋平により作曲され、同曲同様に大衆の支持を得た。中山によれば、母の死の直後、悲しみに暮れる帰りの汽車の中で「『ゴンドラの唄』の歌詞が語りかけて」きて、「汽車の揺れとともに、自然と旋律がわいてきた」[1] のだという。

歌詞はアンデルセンの『即興詩人』(森鷗外訳)の一節を基にしている[2]

読売新聞』の1915年4月29日付にライオン水歯磨の「ゴンドラの唄」への協賛広告が掲載され、「ゴンドラの唄」の4番までの歌詞が紹介された[3][4]

ライオン水歯磨を使った口で、ゴンドラの唄をお歌いなさい。
ライオン水歯磨は清い歌声を、ゴンドラの唄に与えます。 — ライオン水歯磨の広告、『読売新聞』1915年4月29日付
カチユーシヤの歌〔ママ〕に代わるものは
ゴンドラの唄でございます — ライオン水歯磨の広告、『読売新聞』1915年4月29日付

(旧漢字を新漢字に、歴史的仮名遣いを現代仮名遣いに改めた)

楽譜は1916年(大正5年)7月にセノオ音楽出版社から出版された[5]

ヒット

当初は酷評を受け、「カチューシャの唄」ほどの爆発的なヒットにはならなかったとされる[6]。作曲者の中山は1931年昭和6年)末に行った講演「演劇及び映画に於ける所謂主題歌に就いて」で、この曲があまり流行しなかった理由を長旋法(長調)で、当時の日本の歌曲では珍しかった6拍子のメロディが当時の(日本)人には受け入れづらかったのであろうと推測している[7]

ただ、1920年(大正9年)に大原社会問題研究所が大阪市内にて調査した「現時において最も普通に歌われてゐる流行歌」約100曲のリストに「ゴンドラの唄」が挙げられていることから、ある程度は流行したものと考えられている[8][9]。しかし、その後この曲は「カチューシャの唄」と並んで100年にわたり歌い継がれる曲となった[10]鹿島孝二は『大正の下谷っ子』で、工業学校時代(1918年(大正7年)〜1919年(大正8年)頃[11]または1919年(大正8年)〜1920年(大正9年)頃[12])にこの唄を愛唱したと回想している。

レコード売り上げについては、「カチューシャの唄」が2万枚売れたとされたり、『生ける屍』の劇中歌「さすらいの唄」が25万枚を記録したと言われる一方、「ゴンドラの唄」については具体的な数字が語られることがない[13]

堀内敬三は『音楽五十年史』の中でこの唄を、「大正5年末からじりじりと永く流行った」と述べている。

歌詞

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日(あす)の月日は ないものを [14]

いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬(ほ)を 君が頬(ほ)に
ここには誰れも 来ぬものを

いのち短し 恋せよ乙女
波にただよい 波のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪(あ)せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

カバー

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歌手 媒体・内容
1952年 渡邊勘治(演:志村喬 黒澤明監督映画『生きる』劇中歌。主人公が、雪の降る夜にブランコをこぎながら、この歌を口ずさんだ。
1961年 佐川ミツオ シングル。当時の歌謡界のリバイバル・ブームに乗じてヒットした。B面は渡辺マリとのデュエットによる「煙草屋の娘」。
1965年 森繁久彌 第16回NHK紅白歌合戦』で披露。間奏に佐藤春夫の詩を引用した「ただたまゆらの火を囲み、甲斐なきことをただ夢見、入日の中に立つ煙(けぶり)、ありやなしやとただ仄か、海辺の恋の儚さは、こぼれ松葉の火なりけん」という台詞が入れられた。1966年発売のコンパクト盤『流行歌名曲シリーズ ゴンドラの唄』(ビクター SVC-232M)に収録。
1972年 小林旭 アルバム『夜の巷で…』。1987年の『日本のうた あの頃、あの時、なつかしの抒情歌集』、1995年の『日本の名曲』、2001年の『小林旭大全集』、2009年の『GOLDEN☆BEST 小林旭 ヒット全曲集』などにも再収。
1975年 美空ひばり アルバム『歌謡曲50年(第1集)』。
1976年 ちあきなおみ アルバム『春は逝く』。
1992年 おおたか静流 アルバム『REPEAT PERFORMANCE』。
1997年 由紀さおり安田祥子 アルバム『歌・うた・唄 VOL.2 スタンダード日本 I』。1998年には同年に死去した黒澤明を偲んで『第49回NHK紅白歌合戦』で披露された。
2000年 黒澤優 日本テレビ系列テレビドラマ伝説の教師」第8話の終盤の1シーン。映画『生きる』の「ブランコをこぎながら歌を口ずさむ」シーンへのオマージュとなっている。
2002年 遊佐未森 アルバム『檸檬』。
2008年 藤田恵美 アルバム『ココロの食卓 〜おかえり愛しき詩たち〜』。
2012年 いちろう 城定秀夫監督Vシネ『ヤンキーアイドル』劇中歌・エンディング[15]。ただし同年のネット配信が先行。
2012年 HALCALI ライオンクリニカ」のCMソング
2013年 五条哲也 シングル。
2015年 シャーロット・ケイト・フォックス NHK朝の連続テレビ小説マッサン』劇中で使用された。同作で亀山エリーを演じたシャーロット・ケイト・フォックスのデビューシングル[16]
2020年 NOW ON AIR 4thシングル『ゴンドラの唄』。TVアニメ『啄木鳥探偵處』ED主題歌[17][18]

脚注

  1. ^ 和田登『いのち短し恋せよ少女-小説中山晋平-』140-141頁。
  2. ^ 「ゴンドラの唄」はアンデルセンの「ベネチアのゴンドラ」という作品をもとにしているときいたが本当か、レファレンス協同データベース(国立国会図書館)、2015年2月14日 15:46更新。2016年6月23日閲覧。
  3. ^ 『流行歌の誕生』164-165頁。
  4. ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』81-82頁。
  5. ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』82頁。
  6. ^ 『流行歌の誕生』166-168頁。
  7. ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』83-85頁。
  8. ^ 『流行歌の誕生』168頁、174-175頁。
  9. ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』95-96頁。
  10. ^ 『流行歌の誕生』176頁、185頁。
  11. ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』61-62頁。
  12. ^ 『流行歌の誕生』168頁。
  13. ^ 『甦る「ゴンドラの唄」』95頁。
  14. ^ 「明日の月日の」と歌われる場合もある。
  15. ^ いちろう:ゴンドラの唄 - ミュージック : MUSIC TRACK
  16. ^ 次は歌で酔わせます♪「マッサン」エリー、日本で歌手デビュー! (サンケイスポーツ) - Yahoo!ニュース
  17. ^ NOW ON AIR|ニューシングル連続リリース決定&最新アーティスト写真公開!”. 2020年2月6日閲覧。
  18. ^ kitsutsuki_DOのツイート(1224989865328173056)”. 2020年2月6日閲覧。

参考文献